私は杜氏を目指して酒蔵で修行中の身です。今年の春で三造り(秋の造りはじめを起点、春の造り仕舞を終点にして一造りとする酒屋の経験年数の数え方)をこなしました。ですが、何十年も働く蔵人だらけのこの世界ではまだまだ話にならないくらい下っ端です。

これからしっかりと経験を積んで杜氏になって、自分思うお酒を造りたいと思っていますが、今回はそんな杜氏についての話です。

蔵人は杜氏か?杜氏は社長か?杜氏っていったい誰?

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日本酒は蔵人が造ります。その酒造りの現場の最高責任者が杜氏役です。

私が勤める蔵がある秋田県にも、全国に誇る名杜氏と呼ばれるベテランもいれば、新進気鋭の若い杜氏もいます。「へー、お酒造ってるんですね!じゃあ杜氏だ!」なんてよく言われたりしますが、杜氏は蔵人の最高責任者のことを指しますから、基本的に蔵に1人しかいません。ですが、全ての蔵に杜氏がいるかと言えばそうでもなく、杜氏を置かない酒蔵もあります。

ここで言う「杜氏」というのは、秋になったら三役(頭・もと屋・麹屋)や若い蔵人を連れて蔵に来て酒造りを行い、春になったら地元に帰ってゆく季節労働の人です。杜氏や蔵人は、春から秋にかけては農家として米づくりなどをしていることが多く、かつてはこのような働き方が一般的だったようです。

そのため杜氏の出身地にあわせて、たとえば能登(石川県)だったら「能登杜氏」、丹波(京都府)だったら「丹波杜氏」 のように呼ばれ、杜氏の住む地域ごとに酒造りの技術が継承されてきました。全国各地にのさまざまな杜氏集団があります。

現在は、昔ながらの杜氏のほかに通年勤務の製造部長や醸造部長が杜氏を務めたり、社長自らが杜氏役を兼ねる「蔵元杜氏」というスタイルもよく聞きます。もちろん季節労働であれ通年社員であれ、蔵人としてさまざまな経験を積んだ人が杜氏になるという昔からの実力社会が健在です。

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雑用係の追い回し、精米担当、釜屋(蒸し)の助手からはじまり、槽や麹、酒母に醪屋の主任、蔵人を束ねる頭などを経験し、周囲に認められて初めて杜氏になれるという長い長い道のりです。杜氏となるには、少なくとも7年から10年の酒造りの経験が必要で、そのくらいは蔵人として働いていないと杜氏になる資格は無いと定めているところもあります。

今はまた別の道もあって、東京農業大学などの醸造系の大学を卒業し実務経験を積んだらOKという蔵や、社長が指名すれば杜氏を名乗っていいとう蔵もあり、昔に比べれば基準は緩くなっているのかもしれません。

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とはいえ、やはり蔵での実務経験がなによりで、酒をちゃんと造れないと蔵人がついてきません。理論だけでなく、蔵人に認められるようなリーダーシップも必要です。これについては大学でも講習会でも学べませんから、現場でしっかり働くことがやはり一番重要なのです。

杜氏のルーツはどこか?秋田における二大流派を比較してみる

さて、秋田県の杜氏について見てみましょう。

秋田県は「山内(さんない)杜氏」という流派がメインで、奥羽山脈を隔てた岩手県の「南部杜氏」の流れもあります。南部杜氏は全国から人を集めてその技術を全国に広げているのに対し、山内杜氏はちょっと地味な印象かも知れません。

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山内杜氏というのは、山内村(現在の秋田県横手市)から派生した杜氏集団です。

旧山内村のような山間地域で冬の間に稼ぐには、秋の稲刈り後にはじまり、春の田植えまでにきっちり終わる日本酒の酒造りという仕事がちょうどよく、酒造りを学ばせて酒蔵に人をやっていたというのがそもそもの始まりです。

山内杜氏は秋田県内だけでなく日本全国へ、果ては中国や樺太にも酒造りのために出向いていました。杜氏になって一旗あげるという夢を抱えて、家族と離れて厳冬の酒造りをしていたようです。

最初は旧山内村出身者のみの集まりでしたが、酒造りで出稼ぎにいける人たちが少なくなってきたので、県内外からも人を集めているというのが現在の状況です。

ちなみに、「雪の茅舎」でおなじみの齋彌酒造店の杜氏・高橋藤一氏は、この山内(さんない)に掛けて「櫂入れしない」「加水しない」「濾過しない」の三ない造りの純米酒造りを実践されています。

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南部杜氏は、岩手県石鳥谷(現在の花巻市)近辺の出身者が集まったものでしたが、こちらはもっと早い時期から外部から人を募って人材を輩出し、全国に広がっていきました。酒造技術の研鑽という目的の他に、蔵人の互助組織だったり立場の弱い蔵人が経営者に物申すための組織だったりという味合いが強い時期もあったようです。

かつては南部流としての酒造りの特長、山内流としての技がたくさんあったらしいのですが、今では酒造りの研究や技術が全国的に進歩して、醸造器具も同じ会社のものが県境を越えて使われています。また、醸造技術も公開されているので、杜氏ごとに明確な酒造りの違いといのは少なくなりましたが、それでも仕込配合や米を洗う時の所作などに違いがあるようです。

地域ごとの流派の違いというよりも、誰から技術を学んだかという点のほうがより重要なのかもしれません。

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山内杜氏も南部杜氏も、造りが始まる前の夏の時期に講習会を開きます。

杜氏だけではなく蔵人を集めて、醸造試験場の先生や杜氏、蔵元社長、酒造関連企業などの方々を講師に呼んで勉強会を開き、お酒に関するテストや自醸酒鑑評会などを行います。他の蔵と情報交換ができるのもこの会の楽しみです。また、この講習会では同時に杜氏資格の試験も行われます。

昔は酒を造れば売れた時代や、逆に全然売れない時代もあり、杜氏や蔵人の働き方も出稼ぎから社員やオーナーへと変化しました。酒造りにおいて、これからの時代は一体なにが大事になってくるのか。今の時点で私にはぼんやりとしか見えていませんが、いずれ杜氏になる日まで経験を積んで行こうと考えています。

(文/リンゴの魔術師)