およそ40年前まで、日本には、何年も熟成させて楽しむ日本酒がほとんど存在していませんでした。しかし、日本酒の歴史を振り返ると、鎌倉時代にはすでに3年熟成の酒があり、江戸時代には5~10年寝かせた熟成古酒が造られています。

明治時代になると、政府の税制によって、年を越して熟成させる酒が姿を消してしまいますが、昭和40年代に入ると、熟成古酒に挑戦する酒蔵が再び現れ始めました。この"熟成古酒の失われた100年"を、日本酒造りの歴史とともに振り返っていきます。

前回の記事では、全国清酒品評会と新たな銘醸地の誕生について紹介しました。今回は、近代のアルコール添加とその是非に関する議論について、みていきましょう。

腐造を救済するためのアルコール添加

明治から大正時代にかけて、日本酒造りのなかでアルコール添加をすることは認められていませんでした。しかし次第に、腐造を防止する目的に限って、添加が認められるようになります。

私は明治、大正の大腐造の時救済に従事しましたが、このときは酒蔵の約2~3割が腐造しました。この時の腐造は酒母の不純から起こったものではなく、次のような高温冷え込みのものでありました。(中略) 処がここで面白いことは、長野県では腐造した酒を早期出荷し、且つアルコールを余計入れたため石数が多くなって大儲けをしたという話を聞きました。

『醸造論文集 第7輯 科学者の非科学性』(小森成吉/昭和24年)

腐造は酒造家にとって命取りになりかねない大事件。しかし、上述のような、それを逆手に取った話は当時少なくなかったようです。

本年の造りの傾向としてはモロミの段階で甘の切れが悪かったということです。モロミ日数20日目くらい、清酒メーターマイナス20位になると、甘の切れが止まって、アルコールは少しづつは出るが、メートルも増してアルコール17.5%位でマイナス25位になる傾向があったのです。アルコール添加には好都合でしたが。

『醸造論文集 第7輯 本年の造りを顧みて』(渡辺八郎/昭和26年)

『甘の切れが止まる』は、発酵が鈍くなったという意味です。これ以上放置すると醪が腐り、香りの良くない甘だれした酒になってしまいます。ところが『アルコール添加には好都合』という記述のとおり、ここに大量のアルコールを添加することで、甘味のバランスが良い酒になったのです。

「悔いを100年の後に残す」という警鐘

また清酒の方も本来の姿を維持し、葡萄糖や飴を追放することに進まねばならぬ。徒に数量の増加のみに没頭して、本当の酒の姿を失うということは悔いを100年の後に残すものだと述べておいたが、今日さらに共感を深くしている。

『醸造論文集 第9編 酒精添加法の功罪と増醸法の今後の方向』(花岡正庸/昭和28年)

この論文が書かれた昭和28年(1953年)は、日本酒が極端に不足していた時代。酒であれば何でも売れたため、大量のアルコール添加が流行し、三倍増醸酒が造られ始めます。しかし、これらの動きは、あくまでも緊急対策であったことを忘れてはいけません。

日本の経済が復興から発展へと向かうなかで、醸造技術者・花岡正庸氏はアルコール添加や三倍増醸酒を厳しく非難し、「本当の酒の姿を失うということは悔いを100年の後に残す」と、本来の日本酒造りを取り戻すべきだと主張します。

ところが、研究者をはじめとする指導者の多くは、アルコール添加や三倍増醸酒を推進していきました。

現在は一人歩きが完全にできる三倍増醸の酒ができており、この増醸酒をきき分けることは、いかな玄人でもできかねるところまで進んでいます。

『醸造論文集 第9輯 増醸酒のありかたについて』(渡辺八郎/昭和28年)

最近いろいろな場合にアル添増醸があったためにどれだけ安易な醸造が行われているか知れたもので無い。ある人は技術の堕落と言い、多少そんなところもないではないが、まあ、物事はそう清純にばかり考えないでもよいであろう。

『日本釀造協會雜誌 51巻10号』(山田正一/昭和31年)

アルコール添加のおかげで酒になったというようなモロミも多くなってきている。この傾向は昭和24年増醸酒の実施によって益々多くなっているのではないかと思われるが、元来アルコールは増量が目的であったのであるが、それがいつの間にか清酒モロミの原料として考えられるようになってきた。

『日本釀造協會雜誌 55巻12号』(赤坂久保/昭和35年)

醸造技術の立場から言えば、たとえ、アルコールの使用量を少なくした場合でも増醸の場合はそのままで行くべきでないかと考えられる。酒のモロミは生き物だと言われるとおり、目標をたてて製造に取り掛かっても、なかなか思うような経過を取ってくれないのが普通であり、その上、気温の異変でもあるとモロミは思わぬ方向に走るのである。技術が拙いからだと言えばそれまでであろうが、このような場合、増醸のみが残された手ではなかろうか。

『日本釀造協會雜誌 56巻12号』(岩崎亨/昭和36年)

科学的な醸造技術の開発とその普及を目的として設立された醸造試験所の研究者は、日本酒を効率良く造る方法を追求し、成果をあげてきました。しかしながら、ただ酔うための飲料ではなく、ひとつの文化として日本酒を認識することも忘れてはなりません。

(文/梁井宏)

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