長らく生産を休止していた福島県会津美里町の男山酒造店が、約20年ぶりに酒造りを復活させました。代表社員に就任したのは、先代の甥にあたる小林靖さん。異業種から転身して、さらには千葉県から移住しての挑戦です。

近年、酒蔵の復活や事業継承のニュースを耳にするようになりましたが、そこに至るまでの経緯はそれぞれ異なります。男山酒造店の再始動には、どのような歩みがあったのでしょうか。小林さんにお話をうかがいました。

20年間休止していた酒蔵を復活

男山酒造店

会津若松市から車で20分ほどの会津美里町は、人口2万人ほどの小さな町です。男山酒造店がある旭地区の周囲には水田が広がり、集落の中にそびえる煙突を目指して進むと、塀に囲まれた男山酒造店へとたどり着きました。

出迎えてくれたのは小林靖さん。男山酒造店の8代目として、2020年より蔵の経営にあたっています。

男山酒造店 小林靖さん

広々とした土間の先に甑(こしき)や放冷機が並ぶ蔵の中は、20年間眠りについていたとは思えないほど、現役感が漂います。取材に訪れた日には、すでに甑倒しが終わっていましたが、蔵人たちの活気がまだあちこちに感じられました。

「酒造りをしている間は無我夢中で後ろを振り返る暇もありませんでした。今もまだ整理して考えられる状態ではないですが、出荷もできて少しほっとしています」

初めての酒造りの感想を控えめに語る小林さんですが、男山酒造店の復活は小林さんの熱意なしには叶わないものでした。

男山酒造店の創業は、1865年のこと。普通酒の生産をメインとし、1970年代後半には2,000石を誇る会津でも中堅どころの酒蔵でした。代表銘柄は「会津男山」。ピーク時には、地元はもとより関東へも出荷されていたと言います。

千葉県で生まれ育った小林さんは、幼い頃から母の実家であった蔵をたびたび訪れていました。酒蔵がどんな場所なのかよくわからないまま、湯気のなかで蔵人たちが作業している姿を「かっこいいなあ」と思いながら眺めていたそうです。

男山酒造店

小林さんの叔父が7代目として蔵を経営していましたが、1998年、杜氏の体調不良をきっかけに生産は休止。しかし、先代はその後も蔵の管理を行っていました。

そんなある日、「酒造免許を返上して、蔵を取り壊すかもしれない」という話を小林さんは耳にします。

「それまでもずっと気になっていましたが、いよいよ蔵がなくなるかもしれないと聞いて、いてもたってもいられず、親族に『自分がやりたい』と申し出ました」

都内のIT企業に勤め、酒造りとはまったく無縁の人生を送ってきた小林さんの突然の告白に、「安定した生活を捨ててやることじゃない」と周囲は猛反対します。なかでも、もっとも反対したのは妻の真由子さんでした。住み慣れた土地を離れ、酒蔵の復活という、できるかどうかもわからない計画に不安を隠せません。

ですが、小林さんの決意は揺ぎませんでした。

「投げかけられた疑問にひとつひとつ答え、粘り強く説得しました。妻の不安は私が考えもしなかった視点で、その後、いろいろと調べるきっかけにもなり、実はプラスに働いたことも多かったかもしれません」

最終的には小林さんの熱意に押されて了承した真由子さん。その理由をこっそりうかがうと、「やらないで後悔してほしくなかったから」と教えてくれました。

福島県らしい酒造りをゼロから学ぶ

復活の計画が動き出したものの、何から始めるべきかわからなかった小林さんは、ある人物を尋ねます。福島県ハイテクプラザ 会津若松技術支援センターの鈴木賢二さんです。

鈴木さんといえば、全国新酒鑑評会で福島県を7年間連続最多金賞受賞という快挙に導いた立役者。県内外の蔵元・杜氏から「日本酒の神」と呼ばれる、酒造りのスペシャリストです。

男山酒造店

「設備や機材はそのまま置いてありましたが、本当にお酒が造れるかは素人目にはわかりませんでした。そこで、鈴木先生に電話して事情を話すと、『協力したい』と言ってくださったんです」

蔵の中を視察した鈴木さんの答えは「いける」という判断。それを聞き覚悟を決めた小林さんは、会社を辞め、単身で会津へ移り住みます。

鈴木さんに紹介してもらった会津若松市内の酒蔵で修行をし、蔵人として一連の工程を教わりながら、男山酒造店の復活を目指して懸命に酒造りに励む日々が始まりました。

同時に、福島県清酒アカデミーにも通い、酒造りの学びも深めていきました。「まったくの素人だったので、それを強みになんでも聞けました」と笑う小林さんは、修業先やアカデミーで他の酒蔵の人々と交流する中で、あることに気づきます。

「彼らと話していると、みんな『うちは』ではなく『福島県の酒は』って言うんです。横のつながりが強く、みんなで一丸となって良いものを造ろうと取り組んでいるのがよくわかりました。先代には、蔵同士はみんなライバルで技術は門外不出だと聞いていたので意外でしたが、この風通しの良さが、福島県の日本酒のおいしさの理由に違いないと思いました」

男山酒造店

2019年には、真由子さんと息子の春親くんを会津に呼び寄せ、蔵の再開に向けて本格的な作業に入ります。

小林さんは設備投資のための資金繰りに奔走し、真由子さんは蔵のなかを掃除し、酒造りの準備を進めました。設備も、20年前にはなかった瓶貯蔵ができる冷蔵庫や洗米機などを買い揃えました。麹室も大々的に改修し、パネルヒーターなども設置。環境が整うまでに1年はかかったと話します。

肝心の杜氏探しには、福島県ハイテクプラザの鈴木さんも同行。「飛露喜」を醸す廣木酒造などでも造り経験がある大ベテランの杜氏・猪俣一徳さんのもとを訪れ、小林さんと一緒に頭を下げてくれたそうです。

すでに酒造りの第一線を退いていた猪俣さんですが、「小さい子どもを連れてまで会津にやってきたその心意気に負けた」と杜氏となることを快諾。

こうして杜氏も決まり、男山酒造店の酒造りが始まりました。

新銘柄「わ」に込めた思い

男山酒造店

初めての酒造りは、小林さん曰く「毎日がトラブルの連続」でした。壁を越えるとまた次の壁が現れるような目まぐるしい日々が続きます。心が折れそうになるとき、支えになったのは「飲んだ人においしいと言ってもらいたい」という思いでした。

はじめての搾りの日、槽から出てきた搾りたてのお酒を飲んだ小林さんは、蔵人のいる前で号泣します。

「正直、味なんてわかりません。無事にお酒ができあがったことに、ただ感動してしまったんです」

男山酒造店の新銘柄「わ」

3種類の「わ」をすべて並べると、磐梯山のシルエットが浮かび上がる

酒蔵復活にあたり、新ブランドとして立ち上げた新銘柄の名前は、「わ」です。

今期は酒米や酵母違いで3種類をリリース。杜氏と一緒に酒質を設計するなかで、「ど素人だからこそ、業界の常識にとらわれない造りがしたい」と、純米大吟醸酒にあえて滓(おり)を入れたままにするなど、個性を出すことにも挑戦。新酒らしいフレッシュさの中に優しい甘さが広がる、きれいな酒質のお酒に仕上がっています。

気になるのは、ひらがな一文字の斬新な銘柄名です。この名前にどのような思いが込められているのでしょうか。

「うちが再生できたのは準備段階から支えてくれた、たくさんの人のおかげです。それを絶対に忘れないために、人の"輪"から『わ』と名付けました。同時に、飲んでくれる人が、"和"やかな気持ちになってくれたらという願いも込めています」

男山酒造店の「わ」は。今はまだ福島県内のみの販売ですが、「今後は首都圏や全国へも発信していきたい」と意欲を語る小林さん。

「目指すのは、人とのつながりを大切にし、義を重んじる経営者になること。熱意に突き動かされるまま酒造りの世界に飛び込んだ自分のことを温かく受け入れてくれた会津の人への感謝を、お酒で表現していきたい」と、小林さんは胸を張ります。

男山酒造店

「わ」が初めて店頭に並んだ日に、小林さんは取り扱いのある酒販店をまわりました。

お店の人に、その売れ行きを聞くと「会津美里の人がたくさん買いに来ているよ」との返答。蔵の復活を心待ちにしていたのは、他ならぬ地元の人たちでした。ここでも人の"輪"を実感し、「ますます身が引き締まりました」と話す小林さん。

「やっと蔵元1年生になったところで、まだまだこれからです。もっとおいしいお酒を造れるようになるまで先は長いですね」

小林さんの思いから始まった「わ」が、どんな風に広がっていくのか、生まれ変わった男山酒造店のこれからに期待しましょう。

(取材・文:渡部あきこ/編集:SAKETIMES)

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