独自の視点をもつオピニオンリーダーに話を伺い、日本酒の未来を探るシリーズ連載『オピニオンリーダーの視点』。第5回は、ワイン業界におけるもっとも名誉ある称号「マスター・オブ・ワイン」をもつ大橋健一さんの登場です。

60年以上にわたる「マスター・オブ・ワイン」の歴史で、この最難関を突破したのは世界でたったの370人(2018年4月時点)。そのうち日本人は、大橋さんを含めた2名のみです。大橋さんは世界的に有名なワインのコンテスト「インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)」のSAKE部門において、コ・チェアマンも努めています。

日本酒の輸出量は年々増加傾向にありますが、平成27年時点で、全出荷量のうち輸出量が占める割合は3.2%(農林水産省「日本酒をめぐる状況」より)と、まだ少ないのが現状。日本酒が世界中で親しまれる"SAKE"になるためには、何が必要なのでしょうか。

マスター・オブ・ワインである大橋さんに質問をする、株式会社Clearの代表・生駒

前編では、ワインのみならず日本酒にも造詣が深い大橋さんに、ワインとの比較から見える日本酒の課題を教えていただきます。「SAKETIMES」を運営するClear Inc.の代表・生駒龍史とともに、日本酒の未来を考えます。

文化を超えなければ、SAKEの拡大はありえない

生駒龍史(以下、生駒):お忙しいなかお時間をいただきありがとうございます。日本酒の海外進出を伸ばすために、ワインから学ぶべきことは非常に多いと思っております。今日はぜひ、いろいろと勉強させてください。

大橋健一さん(以下、大橋):こちらこそ、よろしくお願いします。ではさっそくですが……"日本酒が海外に進出する=ブランドが自動的に構築できる"、そう考えている人が多いと思いませんか?

生駒:確かに、そういう印象はあります。

大橋:もうひとつ。"日本酒を海外に輸出して外国人にウケている"ということが華やかに感じられますか?

生駒:はい、そう思いますね。

大橋:そういった考え方は、日本独特なんですよ。

生駒:えっ、そうなのですか。気づきませんでした。一方向の見方しかできていなかったとは…。

大橋:私は「マスター・オブ・ワイン」になるために、10年以上も机の上で勉強してきました。数ヶ月ほど海外に住んだことはあったものの、海外留学経験のないまま暮らしてきたコテコテの日本人です。ただ、「マスター・オブ・ワイン」を履修する中で「自分は日本人じゃない」「日本人的なものの見方をしない」という考え方を徹底的に学びました。別人格になったようにみずからの意識を変えることがとても大切だと知りました。

たとえば、あるコミュニティのなかに帰国子女がいると、日本では従来はかなり珍しいと捉えられますよね。でも、世界的に見れば帰国子女、そして外国人の存在は特別なことではありません。意識を変え、海外を常識にしなければならないのです。

マスター・オブ・ワインの大橋さんが話している様子(右からのカット)

マスター・オブ・ワインの称号を持つ大橋健一氏は、ワインのスペシャリストとして様々な大手企業のワインコンサルタントとして活躍。同時に酒類専門店・山仁(宇都宮市)の代表、また業務用酒販の全国ネット・サマーソールト(春日井市)の役員も務めている。著書に「自然派ワイン」(柴田書店)がある。

ところで、日本酒の輸出量は少しずつ伸びていますが、そのほとんどは海外にある日本人のコミュニティーに届けられています。

生駒:海外の日本人マーケットということですね。

大橋:そうです。産業的に広がりをみせているのは確かですが、売る場所が海外へ移ったというだけで、本当の意味での拡大とは違うように思います。文化を超えていませんから。その一線を超えていかないと、真に日本酒がSAKEとして浸透していくことはないでしょう。どこの国にいるどんな人に、どうやって飲まれたいのか、SAKEがどんな存在でありたいのか。造り手は意識を変えなければならないと思います。

どの蔵もみな「良い日本酒を造っている」と言う

大橋:日本酒業界の現状は、取引の依頼があると、相手先がよくわからなくても「輸出できるならそれでいい」と考えがちだと感じます。 海外のプロモーターにすべてを任せて出荷したり、さらに中間業者を通したり......そもそも、国によって流通形態が違うことをあまり意識していないのかもしれません。輸入商社がダイレクトにエンドユーザーまで届けられるところもあれば、必ず「製造」「卸売」「小売り」の3層を通らないと売ることができないマーケットもあります。

国の事情や取引先となるパートナーのことをよく調べることはとても大切です。相手は量を売りたいと思っているかもしれない。こちらはブランドをつくりたいと思っているかもしれない。そういった点をしっかり精査しないと、戦略が最初からくい違ってしまいます。

生駒:その通りですね。

大橋:「ブランドとクオリティーのどちらを先に出したいですか?」と酒蔵にたずねたとき、即答できる人は意外と少ないのではないでしょうか。

生駒:どちらが先かという価値観が、酒蔵には希薄かもしれません。良いお酒を造っているかどうかが唯一の観点になっていて、どうやって届けるかということに意識が向いていないところ多いように思います。

大橋:「良いお酒を造っています」は、100社あれば100社ともいう言葉。それは差別化にはならないでしょう。

生駒:良いお酒を造るのは前提、ということですね。

大橋:そうです。ワインにおいても、出発点は「良いワインを造ろう」です。最初から「二流でいいから大量のワインを造ろう」なんて人は、まずいないですよね。どんどん売れて生産量が増えてくると、クオリティーを維持したまま量産へ目を向けようになります。そのとき、ワインの場合は、国内市場だけでまわそうと考える人はほとんどいません。最初から国際的な市場を狙って造るのです。どんなターゲットマーケットに注力するのか、ワイン業界ではそのように考えます。

マスター・オブ・ワインの大橋さんが話している様子(正面からのカット)

生駒:基本的な考えとして、マーケットへの意識が備わっているのですね。

大橋:はい。ただし、ターゲットマーケットが決まっても、それに合わせたワインを造るのではありません。そのマーケットで強みになる観点はどんなことなのかを調査するのです。

生駒:ペルソナ(製品やサービスのユーザー像を仮に定義したもの)を設定して、そこにウケるワインを造ろうというのではなく、マーケットに対してどのような主導権をとっていくかを考えるということですか?

大橋:そうです。どう売り込めば"かっこよく映るか、バリューが高くなるか"を考えてプロモーションします。

生駒:Aワインを売りたいとき、それにはこういう特性があるからこの国の人たちに飲んでもらいたい、この側面をウリにしようという、商品特性を軸にマーケティングの筋道を立てるのですね。なるほど、とても勉強になります。

異文化とのコミュニケーションが、伝播のスピードを速める

生駒:ワインが文化的な垣根を超えて、世界で飲まれるようになったのはなぜでしょうか。

大橋:きっかけは同じ国のコミュニティーからです。昔のイギリス人は自分たちでワインを造って飲んでいました。スパイスを求めてアジアへ航海するときの寄港地である南アフリカでぶどうを栽培しておけば、そこでワインを造って飲めることから、現地に技術者が渡ってワイナリーを始めます。南アフリカの人たちがワインを造る術を覚えると、次第にワインが広まっていきました。このように、イギリス人は最初から南アフリカの人たちへ向けてワインを造ったのではなく、自分たちが飲むために技術を教えたのです。

身振り手振りで説明をする、マスター・オブ・ワインの大橋さん

それがきっかけだと考えると、日本人が海外にコミュニティーを持っていないことは問題ですね。ワインが海外に伝播したような劇的な広がりは、SAKEではまだ見込めそうにありません。異文化とのコミュニケーションが、伝播のスピードを速めるのだと思います。日本人は、他国の人に比べると海外に住んでいる人が少ないので、コミュニケーションのヒントや量が少なくなってしまう傾向にあります。

生駒:英語もネックのひとつになっていますよね。

大橋:英語に対するネガティブな気持ちがあるかもしれませんね。日本人のコミュニティーに向けて販売したり、日本人がベースの商社と取引したりしているうちは日本語で済んでしまいます。つまり、非常に狭いチャンネルの情報しか得られていないのが現状でしょう。アドバイスをもらおうとすると、中間業者が入らない限り、英語でのコミュニケーションになりますからね。それをできないところがほとんどではないでしょうか。

生駒:蔵に英語を話せる人がいればいい、という短絡的な話ではないですよね。

大橋:はい。英語でのコミュニケーションはただの道具で、マーケティングとは違うところにあります。ところが、英語を話せる人をマーケターだと思いこむ傾向が見受けられます。求められるのは、流暢な英語を話せる人よりも、たどたどしくても、本来がマーケターで英語を話せる人の方ですね。

生駒:海外コミュニティーへの進出と日本人の国際化がテーマだとわかってきました。

後編は、海外で日本酒が認められるために何から手をつけるべきか、具体策の話へ

海外におけるSAKEの市場拡大ができていない現状を、鋭く指摘した大橋さん。では課題をクリアするために、酒蔵はどのような取り組みを行えばいいのでしょう。後編では、具体的な指南を頂きながら、SAKEが世界で飲まれるようになるまでの打開案を伺います。

(文/はらだ・みちよ)

この記事を読んだ人はこちらの記事も読んでいます