歴史を感じさせる老舗の居酒屋や料亭・割烹。雰囲気のある大人の空間には、若いうちは気軽に入りにくいものでしょう。それは、長い時間をかけて受け継がれてきたマナーやしきたりなど、独特の文化があるからかもしれません。

今回は、女性の日本酒ファンが集う「日本酒女子会」を主宰するなど、日本酒を広めるための活動を続けているシンガーソングライター・氏家エイミーさんをゲストに迎え、SAKETIMES編集長の小池潤が、明治13年創業の老舗そば屋「かんだやぶそば」で、酒場文化を体験します。

「日本酒女子会」主宰・氏家エイミーさんと「SAKETIMES」編集長・小池潤

江戸時代から続く独特の空気を感じながら、日本酒業界の若手ふたりに、歴史ある酒場の文化や若い世代に対する日本酒の伝え方について、語っていただきました。

そば屋は、"人が集まる場所"

神田駅から徒歩5分。木々に囲まれた料亭風の一軒家「かんだやぶそば」が見えてきました。5年前の火災を機に新しく建て直された建物ですが、老舗の風格が漂います。

「かんだやぶそば」の外観

ランチタイムを終えた昼過ぎの時間帯でもお客さんが途絶えることはありません。年配の方々をはじめ、海外からの観光客も多く見られます。そばを食べてすぐ帰るというお客さんは少なく、お酒を飲んだりつまみを食べたりしながら、ゆっくりと時間を楽しんでいる様子です。

「かんだやぶそば」の歴史は138年。その発祥は、江戸時代末期に「蔦屋」というそば屋の「藪蕎麦 連雀町支店」を譲り受けたことから始まります。

「蔦屋」は、武士のために設えられた格式の高いそば屋として、江戸末期に大評判だったのだそう。店が藪に囲まれていたことから「藪蕎麦」と呼ばれていたようです。

「かんだやぶそば」4代目・堀田康彦さん

「そば屋はもともと、さまざまな用途に使われていたんです。みんなで会合をする場所、ちょっと一服する場所、夕飯までの小腹を満たす場所......居酒屋であり、喫茶店であり、食堂でもあったんですよ」と教えてくれたのは、かんだやぶそば4代目の堀田康彦さん。

幕末から始まる長い歴史のなかで、"人が集まる場"として、現代にその姿を残しているんですね。

そばを待つ間に、日本酒を一献

20代の頃から日本酒の美味しさに魅了され、「日本酒女子会」を通してその魅力を伝えてきた氏家さん。これまでもさまざまな店でお酒を飲む機会があったようですが、「かんだやぶそば」へ来店したのは今回が初めてだそう。

「日本酒女子会」主宰・氏家エイミーさんと「SAKETIMES」編集長・小池潤

「格式のある佇まいですね。100年以上の歴史を持つ、かんだやぶそばの様な趣ある場所で『日本文化を学ぶ』や、『着物』をテーマにした日本酒女子会も開いてみたいです」と、独特の雰囲気を新鮮に感じている様子でした。

対する小池は最近、大阪にある老舗居酒屋「明治屋」を訪れたことから、これまで経験したことのなかった"酒場文化"に興味をもったのだそう。

小池潤(以下、小池)「ちょっと入りにくいなと思わせてくれる店にこそ、独特の文化があるのだと思います。かんだやぶそばにも、スタッフとお客さんがいっしょに文化を守ってきた様子が感じられますね」

「かんだやぶそば」の練り味噌

さっそく、"そば前"としての料理が運ばれてきました。そば前とは、そばを食べる前に、おつまみを食べながらお酒をいただくこと。突き出しとして出てきたのは、自家製の練り味噌。江戸味噌と甘味噌を練ったものに、そばつゆ・鴨脂・一味唐辛子などを入れて、独自に味付けされたものです。

小池「これは、ついついお酒が進んでしまいますね」

「かんだやぶそば」のお料理

また、五菜盛りと呼ばれる、蕎麦の海苔巻き、ジュンサイ、ミョウガの揚げ物などが季節替わりで提供されるおつまみのセットも魅力じゅうぶん。箱型の漆器に、美しく盛り付けられています。

氏家エイミーさん(以下、氏家)「きれいですね!箱庭のような、完成された世界です」

堀田康彦さん(以下、堀田)「そば屋にあるおつまみは、そば屋にある材料だけでつくられているんですよ。卵焼きの卵は、月見そばや卵とじに使うもの。蕎麦を打つときに、つなぎとして卵を使うこともありますね。とろろ芋やかまぼこも同じです」

身近にあるものでできる最大限のサービスを考えた結果として、そば前が生まれたんですね。そば前というお酒の嗜み方も酒場文化のひとつといえるでしょう。

日本酒がつくるコミュニケーション

堀田「お酒を頼むときは、気を付けてください。かんだやぶそばでは『お酒ください』と言うと、人肌より少しあたたかいくらいのぬる燗が出てきます。『冷や』というのは、常温のことです」

「かんだやぶそば」のお料理と日本酒

それは江戸時代から続く注文の方法で、冷蔵庫がなかった時代の名残でもあるようです。ちなみに現在は、冷たいお酒も飲めるのだとか。「冷酒ください」と、頼んでみましょう。「熱燗」というと、かなり熱々のお酒が出てくるそうなのでご注意を。

徳利とお猪口で提供される日本酒。お互いに注ぎ合うことで、自然なコミュニケーションが生まれます。

日本酒をいただく「日本酒女子会」主宰・氏家エイミーさんと「SAKETIMES」編集長・小池潤

小池「エイミーさんは日本酒女子会を長く開催されてきましたが、お酒を通して、どんなコミュニケーションをとっていますか?」

氏家「毎回、初めて参加される方々も多いので、すぐに打ち解けられるように、積極的に話しかけるようにしています。『日本酒を飲む場が楽しい』と思ってもらえるように心がけていますね」

小池「日本酒女子会に来る方々は、日本酒との良い出会いができるという点で、とても恵まれていると思います」

氏家「初めての印象は大事ですよね」

小池「外で日本酒を飲もうとすると、最近はワイングラスで提供されることが多いように感じます。若い世代にとっては、日本酒をワイングラスで飲むのが当たり前になっていくのかもしれません。昔ながらの酒器で提供されるのは、逆に新鮮ですね」

氏家「昔は燗酒が主流だったようですが、その後、冷蔵の技術が発達して、冷やして飲むのが一般的になっていって......そして現在は、ワイングラスで楽しむようになった。時代とともに、楽しみ方が変わっていくのがおもしろいですね。伝統的な飲み方もカジュアルな飲み方も、これから日本酒を広げていくためにはどちらも必要だと思います」

小池「さまざまな酒器、幅広い温度帯で楽しめる懐の深さが、日本酒の魅力ですね。お酒を差しつ差されつ、良いコミュニケーションが生まれるのは、伝統的な酒器ならではの良さかもしれません」

菊正宗に寄せる、厚い信頼

小池「燗酒というと、もっと熱い温度で飲むイメージでしたが、とてもちょうど良いです」

氏家「お酒の旨味がふくらんで、まろやかになりますね。温かいものには、ホッとさせてくれるような安心感があります」

日本酒をいただく「日本酒女子会」主宰・氏家エイミーさんと「SAKETIMES」編集長・小池潤

実は、かんだやぶそばで提供されている日本酒は、オープン当初から1種類のみ。銘醸地・灘で造られる菊正宗です。日本全国の銘酒が流通している東京の中心地で、なぜ、菊正宗にこだわっているのでしょうか。

堀田「昔から、京都の伏見や神戸の灘など、美味しいお酒は水の良いところで醸されてきました。日本酒を輸送する際には、大きな樽を船で運ばなければならなかったため、東京には、力のある酒蔵のお酒しか流通していなかったんです。当時、上方から江戸へ下ってきた菊正宗は、まさに血統書つきのお酒。上等なものだったんです」

また、戦後の時代は、米不足の影響から合成酒や三倍醸造酒などが多く流通していました。

堀田「そんな時代でも、菊正宗は昔ながらの手法で造られた本格的な日本酒でした。長い付き合いを続けてきたのは、ごまかしのない良いお酒を造ってくれる酒蔵を信頼しているからではないでしょうか」

銘柄を中心に考えるのではなく、あくまでも、大事なのは人間同士のコミュニケーション。よりよい関係性を築いていくために日本酒があると考える、かんだやぶそばの矜持が感じられました。

大人の嗜みとして若い世代に伝えたい

堀田「そばの粋な食べ方について聞かれることが多いのですが、そばの正しい食べ方なんてないんですよ。飲食店での良い佇まいは、人に迷惑をかけないこと。周りの人に気遣いができるというのが、もっともスマートなんです。店がお客さんを思いやるのはもちろん、お客さんが店に対して、お客さんがお客さんに対して思いやりのある行動をすることこそ、粋な振る舞いなんだと思いますよ」

「かんだやぶそば」の店内

小池「差しつ差されつお互いに気遣い合ったり、他人に迷惑をかけないように振る舞ったり......酒場における大人の嗜みは、若い世代から見ても粋に感じます。かんだやぶそばはまさに、見本となる大人から文化を教えてもらえる場ですね」

氏家「着物を着てお酒を飲むとか、形から文化に飛び込むのも良いですね。日本酒女子会では、これからも若い世代の日本酒の入り口になれるような環境づくりを続けていきたいですね」

小池「日本酒は日常のお酒であるとともに、ちょっと背伸びをして、襟を正して飲みに行くようなお酒でもある。かんだやぶそばのような歴史や文化のある店で昼から飲んだり、若い人がちょっとだけ格好つけるための日本酒があってもいいですよね。奥深いところと入り口のどちらもがあるからこそ、文化としての幅もでてきますね」

品の良い器に盛り付けられたおつまみや、選りすぐった上質なお酒。大きな声を出す人はいませんが、活気のある店内。かんだやぶそばには、若い世代が背伸びして行ってみたいと思うような大人の社交場としての魅力があふれていました。

「日本酒女子会」主宰・氏家エイミーさんと「SAKETIMES」編集長・小池潤

長い歴史のなかで育まれてきた文化には、人と人が豊かに共存していくための知恵が詰まっています。時には、老舗の居酒屋やそば屋の暖簾をくぐり、伝統にふれながら杯を交わすことで、日本酒のさらなる奥深さを体験してみてはいかがでしょうか。

(取材・文/橋村望)

sponsored by 菊正宗酒造株式会社

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