海外輸出の拡大などのうれしいニュースがある一方で、国内市場は縮小傾向にあり、ひとつの転換期を迎えている日本酒産業。そんな中で、日本酒の魅力をさらに広めようと、新しい取り組みに挑戦するプレイヤーが少しずつ増えてきました。

連載「編集長レポート」では、編集長を務める小池がいま注目している、"日本酒の未来をつくる人"を取材し、そのことばを通して日本酒のこれからについて考えていきます。

第3回のインタビュー相手は、食品用の冷凍装置を製造・開発している株式会社テクニカンの常務取締役の前川達郎さん。

株式会社テクニカン 営業部 前川達郎さん

株式会社テクニカン 常務取締役 前川達郎さん

テクニカンは、自社開発の冷凍技術「凍眠(とうみん)」を使い、数年前から、日本酒の冷凍に挑戦してきました。2023年5月からは、自社が運営する冷凍食品専門店「TŌMIN FROZEN」を中心に、全国26蔵の日本酒を冷凍した「凍眠生酒」というシリーズを販売しています。

「凍眠生酒」のキービジュアル

この「凍眠」の技術は、日本酒にどのようなメリットをもたらすのでしょうか。

気体ではなく、液体で凍らせる独自の技術

株式会社テクニカンの創業は1988年(昭和63年)。1970年に開催された大阪万博をきっかけに、日本で初めてのファミリーレストランが誕生し、全国各地に普及していたころでした。

増え続けるお客さんのニーズに応えるため、求められていたのは効率の良い冷凍。当時、テクニカンは、現在でも一般的な冷却した空気(気体)による冷凍技術を持っていましたが、不凍液(凍らない液体)を用いた手法の開発にも着手しました。

「たとえば、同じ20℃という温度でも、気体と液体では体感がまったく違いますよね。気温が20℃の場合は過ごしやすいですが、水温が20℃の場合はかなり冷たく感じる。当時の代表は、そうした実際の経験から着想を得て、液体のほうが温度を奪う力が強いのではないかと考えました」(前川さん)

さまざまな検証を重ねた結果、同じマイナス30℃に設定された従来の冷凍庫よりも、不凍液を使った手法のほうが10倍以上も早く冷凍することができました。さらに、時間の短縮だけでなく、品質についても明確な違いがありました。特に肉類は、解凍する時に「ドリップ」と呼ばれる赤い液体が出てしまうことがありますが、不凍液で冷凍すると、それがほとんど出ないのです。

この「不凍液という液体を使って凍らせる」という新しい技術によって、品質の劣化を限りなく抑えることができ、新鮮な食材を新鮮なまま、お客さんに届けられるようになりました。

「凍眠生酒」のきっかけは、南部美人からの問い合わせ

そんなテクニカンは、2018年ごろから、日本酒の冷凍に挑戦しています。きっかけとなったのは、岩手県の酒蔵「南部美人」の代表取締役社長である久慈浩介さんでした。日本酒業界の中でも、海外進出に精力的に取り組んでいるひとりです。

当時、久慈社長は、日本酒の魅力を広めるために世界各国を回る中で、品質が大きく劣化している自社商品を現地で発見し、なんとか改善できないかと思案していました。

株式会社南部美人 代表取締役社長 久慈浩介さん

株式会社南部美人 代表取締役社長 久慈浩介さん

久慈社長が考える日本酒の魅力のひとつが、生酒のフレッシュな味わい。生酒というジャンルは、他の酒類にはあまり存在しないため、しぼりたての日本酒を世界に届けることができれば、日本酒のファンは間違いなく増えると考えています。

そんな中、海外で状態の良くない生酒に出会ってしまった久慈社長は、より良い輸送・保管の技術を求めて、販売代理店を経由してテクニカンに連絡しました。

「凍眠の技術が生まれて30数年が経っていましたが、日本酒を凍らせるという発想は、私たちにはまったくありませんでしたね。久慈社長からご連絡をいただいた時は、液体を凍結すると膨張してしまうため、瓶が破裂してしまうのではないかという懸念がありました」

しかし、実際に「凍眠」の技術を使って冷凍してみると、瓶の破裂は起こりませんでした。さらに、通常の方法で液体を冷凍した時に起こる水分の分離も起こらず、しぼりたての品質をそのまま保持することができたのです。

「正直、半信半疑で始めたプロジェクトでしたが、『凍眠』で凍らせた南部美人を飲んだ時、その美味しさに大きな可能性を感じました」

「凍眠生酒」のプロジェクトが本格的にスタート

生酒を冷凍する「凍眠生酒」のプロジェクトは、久慈社長の紹介で加わった「獺祭」の旭酒造を加え、2社からスタートしました。その後、久慈社長の声かけによって、全国の酒蔵が興味を持ってくれるようになりました。

「凍眠生酒」シリーズの商品(一部)

「凍眠生酒」シリーズの商品(一部)

2023年5月には、全国26蔵の生酒の取り扱いを発表。前川さんは「日本酒の輸送や保管にはまだまだ課題がある」とした上で、個別の酒蔵による"点"の力ではなく、複数の酒蔵が集まった"面"の力で、日本酒産業を変えていきたいと話します。

「しぼりたての商品はいくつもありますが、特に生酒は非常にデリケートなので、輸送や保管の間に品質が少なからず変化してしまいます。テクニカン独自の『凍眠』を使えば、本当の意味での"しぼりたて"を、どこにでもお届けできる。日本国内だけでなく、世界のさまざまな地域の方々が、日本酒特有のフレッシュな魅力をダイレクトに受け取れるようになることで、日本酒の世界市場はさらに広がっていくのではないかと考えています」

実際、久慈社長と同様に、この「凍眠生酒」のプロジェクトに参加している酒蔵は、海外輸出における品質の改善にかける期待が大きいようです。

「凍眠生酒」は、日本酒の何を変えるのか

日本酒の海外市場は、少しずつではありますが、年々拡大しています。しかし、特に日本からの輸出において大きな課題となっているのは、輸送・保管の環境が適切でないことによる品質の劣化。冷蔵すべき生酒が常温で放置され、その風味を損ねたまま提供されてしまう事例は少なくありません。

前川さんも話していたように、日本酒の生酒は非常にデリケートで、冷蔵で輸送・保管をしたとしても、その品質は時間とともに変化していきます。その点では、本当の意味での"しぼりたて"は、酒蔵でしか味わえないものです。

しかし、この「凍眠」の技術によって、しぼりたての日本酒を、品質を保持した状態で輸送・保管することができる。これは、しぼりたての瞬間を一時停止して瓶に封じ込めていることと同じと言えるでしょう。「凍眠生酒」は、日本酒のしぼりたての感動を、世界のあらゆる場所で共有できる可能性を持っているのです。

さらに、この「凍眠」の技術は、近年注目されている日本酒の熟成やヴィンテージに対しても、良い影響を与えるかもしれません。たとえば、ある酒蔵のある年度の生酒をそのまま冷凍し、お客さんにとっての最高の瞬間を待って提供することが可能になれば、それは新しい付加価値になります。

また、最高の技術を持った杜氏の生酒をそのまま冷凍して保存すれば、資料として価値のあるものになります。それは、後に続く造り手たちを育てる一助になるかもしれません。

日本酒を輸送・保管する際の大きな制約だった「時間による変化」を限りなくゼロにするこの「凍眠」の技術は、生酒を通して日本酒の魅力を世界中に広めていくだけでなく、付加価値の向上や、後世の育成にもつながる可能性を秘めたものでした。

今後、この「凍眠生酒」のプロジェクトが拡大し、世界のあらゆる地域の方々が、しぼりたての美味しさを楽しめるようになることを願っています。

(取材・文:SAKETIMES編集長 小池潤)

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