日本酒を製造するためには、国から発行される「清酒製造免許」が必要です。しかし、現状では、需要と供給のバランスをとることを理由に、免許の新規発行は原則認められていません。

近年では、輸出用に限ってのみ日本酒の製造が許可される「輸出用清酒製造免許」や、どぶろくなどの「その他醸造酒製造免許」を利用して酒造りを始める醸造家も増えていますが、それらとは異なる方法で独自ブランドの日本酒を造る方々に出会いました。

それが、福島県白河市の有賀醸造に勤める荒井裕光さん・敦子さん夫妻です。

荒井裕光さん、敦子さん夫妻

荒井裕光さん、敦子さん夫妻

酒蔵で蔵人として働きながら、自身が手掛けるオリジナルの酒造りをする。一見、離れ技にも思えるこのスタイルはどのように確立されたのか、ふたりの酒造りに懸ける情熱に迫ります。

酒蔵で働きながら、オリジナルの日本酒を造る

有賀醸造の外観

福島県南部にある白河市は、"みちのくの玄関"とも呼ばれる歴史ある街。有賀醸造は、この地で200年以上に渡って酒造りを続けてきた歴史ある酒蔵です。

現在は、現社長の次男、有賀裕二郎さんが杜氏として蔵を牽引し、看板商品のマッコリはもとより、「陣屋(じんや)」「生粋左馬(きっすいひだりうま)」などの銘柄で日本酒ファンの注目を浴びています。

荒井裕光さん、敦子さん夫妻と、有賀醸造の有賀裕二郎さん(写真右)

有賀醸造 杜氏・有賀裕二郎さん(右)

今回の主人公となる荒井さん夫妻は、2016年に揃って有賀醸造に入社。以来、蔵人として酒造りの一翼を担いながら、自身の銘柄「コイクマ」の製造を行っています。

「前の仕事を辞めたあと、福島市の実家に戻って酒蔵巡りをしていたときに、たまたま訪れたのが有賀醸造でした。ちょうど仕込みの最中で、『試しにやってみる?』と言われて手伝ったところ、蔵人としてスカウトされたのがきっかけです」(裕光さん)

実は、荒井さん夫妻はともに酒造りの経験者。裕光さんは大阪の秋鹿酒造で、敦子さんは和歌山の平和酒造や滋賀の冨田酒造で腕を磨いた、根っからの蔵人夫婦です。一度は退職したものの、またどこかで酒造りがしたいと思っていたふたりは、そんなきっかけで有賀醸造で蔵人として働くことになりました。

荒井裕光さん

転機はさらに続きます。

「有賀醸造には、タンク1本分の日本酒を自由に造ることができる一般向けの酒造り体験プランがあり、これは面白そうだなと。いつか自分たちの蔵を持つことが夢だったので、業務外で酒造りをやらせてほしいと頼んだんです。杜氏は快くOKしてくれて、まずはタンク1本分を造ってみることになりました」(裕光さん)

仕込みタンクは、一升瓶換算で150本ほどの製造量でしたが、「せっかく造ったのだから売ってみたら?」という有賀さんの後押しもあり、販売も行うことに。以前から交流のあった酒屋さんに相談してみると、取引に応じてくれました。

一般的に、ひとつの酒蔵から出荷される日本酒は杜氏の監修のもとで製造されますが、「コイクマ」は酒質の設計から造りのすべてを荒井さん夫妻が行っています。販売元こそ有賀醸造ですが、れっきとした荒井さん夫妻のオリジナルブランドの日本酒です。

「珍しい方法かもしれませんが、特別なことをしている実感はないですね。昔からやりたいことばかりやってきたせいかな」と話す裕光さん。

「コイクマ」の商品ラインナップ

「コイクマ」の販売収益は有賀醸造に入り、荒井さん夫妻には社員として給料として支払われるというフェアな関係性ができているのだそう。「いずれは自分たちの蔵を持ちたいから、これは未来へ向けての投資なんです」と、敦子さんも二人三脚での酒造りに自信を持っています。

「変態」と思われても自分が飲みたいもの

「コイクマ」の造りは、28BYから数えて今年で6年目を迎えました。

タンク1本から始まった「コイクマ」は、SNSや酒販店、飲食店の口コミで広まり、遠くは大阪にも取引店を持つまでになりました。製造量が増えるにつれ、有賀醸造の業務と両立しながらの酒造りはハードになりましたが、今季は約2.6トンを仕込む予定。一升瓶換算でおよそ2,600本の日本酒ができあがります。

荒井裕光さん、敦子さん夫妻

「営業活動は特にしていなくて、やっていることと言えばSNSでの発信だけ。酒販店さんの説明を聞いて、どういうお酒かわかった上で購入してほしいので、蔵での店頭販売や、蔵からのインターネット販売はしていません」(敦子さん)

限られた酒販店のみの流通でも、「コイクマ」が引く手あまたの理由は、なによりも酒質の良さ。「全量生酛仕込み」というこだわりに惚れ込むファンが多いようです。

「好きなんですよね、生酛。工程が複雑だからこそ、そのぶん味わいに複雑さが感じられますし、米そのものの味を活かしたお酒を造りたかったので、それにはやはり生酛だなと。でも結局は、自分が飲みたいから造っているだけです(笑)」(裕光さん)

有賀醸造の仕込み道具

有賀醸造では生酛造りを行っていなかったため、酒造りに必要な道具の調達も自ら行いました。

酛摺り用の木桶は、蔵の資料庫から見つかった古いものを直したり、県内の桶職人に依頼して作ってもらったほか、櫂棒を自作して使っていたこともあったのだそう。

「コイクマ」のイラスト

ラベルのイラストは、インターネットで知り合ったイラストレーターに直接依頼しています。まるで絵本のワンシーンのようなファンシーなイラストには「飲んでほっこりするようなお酒にしたい」という思いが込められています。

また、気になる銘柄名「コイクマ」の由来について、敦子さんは次のように話します。

「以前、出会った方が『変態』を『恋熊(コイクマ)』と読み間違えて、それがかわいらしくて印象に残っていたんです。自分たちでお酒を造るなら、『変態と思われても自分たちが飲みたいものを造りたい』と思って『コイクマ』と名付けました」

荒井敦子さん

常識やトレンドにとらわれず、信じた道を行くふたりの思いが詰まったお酒は、生酛由来のしっかりとした旨味が感じられながらも飲み口がよく、幅広い温度帯で楽しめるのが特徴。特に燗がおすすめで、開栓後の味の変化を感じながら、自分なりに"育てて"ほしいというのが荒井さん夫妻の願いです。

「出荷されたときではなく、お客さんが育てることで完成する」と語る潔さは、大切な我が子を旅に出す親心さながら。取り扱ってくれる酒販店を"里親さん"と呼ぶのも、お酒への愛情があるからにほかなりません。

「飲み方も造り方も、日本酒はもっと自由でいいと思うんです。そんな中で僕らは真面目に造っているだけ。『コイクマ』がこんなに広がるとは思ってもみませんでしたが、これも周りの人が盛り上げてくれるから。縁のありがたさを感じます」(裕光さん)

蔵元と蔵人の信頼関係で成り立つブランド

オリジナルの酒造りを認める代わりに、働き手として力を貸してもらう。そんな荒井さん夫妻と有賀醸造の関係は珍しいケースです。その理由を、裕光さんは次のように分析します。

「造りのスケジュールを調整しなければならないし、空いているタンクがあったら自社の日本酒を造りたいでしょう。なにより給料を払っているのに自分たちのお酒のことをされるのは、蔵元としてはいい気がしませんよね」(裕光さん)

有賀醸造の有賀裕二郎さん

では、蔵元の有賀さんは、荒井さん夫妻の挑戦をどのように見ているのでしょうか。

「特に抵抗はありませんよ。荒井さんたちがうちに入ってくれたのは、私が蔵に帰ってきてから5年経ったころ。ちょうど『陣屋 特別純米』が『SAKE COMPETITION 2016』の純米酒部門でGOLD(トップ10)を受賞し、特定名称酒の製造量を増やしていきたいと思っていたんです。ただ、洗米に麹造り、酛、醪管理といったすべての工程に自分が携わっていて、体力的な限界も感じていた時期でした。

それまでの造りの大部分はマッコリと普通酒。蔵には特定名称酒の造り方を知っている人もいなかったので、一から試行錯誤していました。そんな時に、きちんとした酒造りを経験してきたふたりが来てくれたので、本当に助かったんです。造りも大幅に改善しました」

オリジナルの酒造りばかりか、販売にも協力的だった理由は、「社員として働いてもらっているわけだし、有賀醸造で造っているお酒としてきちんと売っていこう」と自然に思えたからだそう。救世主のように現れた荒井さん夫妻に報いたいという気持ちもあったのかもしれません。

「いろんな醸造のあり方を同じ蔵でできるのはおもしろいし、なかなかないですよね。自社の日本酒も、ふたりの挑戦をヒントにもっと良くなっていけばいいなと思っていますし、このバリエーションの豊富さが有賀醸造なんだと思ってもらえたらうれしいです」

「コイクマ」の裏ラベル

有賀さんの力強い答えに、蔵元と蔵人の関係性を越えた、同志としての信頼感が芽生えているのを感じます。お酒の多様性はもちろん、「蔵人との関係性もさまざまな形があっていい」という有賀さんの懐の深さが、「コイクマ」が世に出るきっかけを作ったのは間違いありません。

ふたりの酒造りに極力介入しないのも、「より自由に造ってほしいから」と語る有賀さん。荒井さん夫妻を見守る優しい眼差しがあってこそ、「コイクマ」は今日もすくすくと育っています。

商品先行で進める、新しい酒造りのやり方

酒蔵を持ちたいと願う人の多くが、まず場所探しから始めるのに対して、先に商品を造るという荒井さん夫妻のアプローチは、実は理にかなっている方法と言えるでしょう。

それは、酒蔵を持つ前から酒販店との関係を築くことで、「造ってから売り先に困る」などの問題が解消されるのみならず、ファンづくりにも活かされるからです。

コイクマ

「コイクマ」を造るふたりの存在は、今後、同じようにオリジナルの日本酒を製造販売したいと考えるプレイヤーたちの、新たなロールモデルになるかもしれません。

自分の蔵を持った暁には、「地域に根付いた地元の人に愛されるお酒を造りたい」(裕光さん)、「お酒を飲めない人でも楽しめる、発酵に興味を持てる場所にしたい」(敦子さん)と抱負を語るふたり。夢の実現を目指し、ふたりは今日も「コイクマ」を醸しています。

◎お問い合わせ先

  • Mail:koikuma.sake@gmail.com
  • ※「コイクマ」についてのお問い合わせは、有賀醸造ではなく、上記のメールアドレスにご連絡ください。

(取材・文:渡部あきこ/編集:SAKETIMES)

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