2006年に蔵が廃業して姿を消した佐賀の銘酒「光栄菊(こうえいぎく)」が、有志たちの手で復活を遂げました。
蔵の復活を仕掛けたのは、テレビ番組を制作していた2人のテレビマンです。日本酒を嗜む日々のある日、ベタ惚れしたお酒を造る杜氏と出会い「この人と一緒に酒造りに挑戦したい」という夢を膨らませ、それを実現。2019年12月、復活最初のお酒が売り出されると、あっという間に売り切れとなりました。
華々しい再スタートを切った光栄菊酒造(佐賀県小城市)の復活までの足跡をたどりました。
「菊鷹」を醸した杜氏と一緒に酒を造りたい
「光栄菊」復活の立役者は、光栄菊酒造の日下智社長(54歳)と田下裕也取締役(38歳)のふたり。始まりはNHKの番組制作に外部ディレクターとして参加していた日下さんの職場に、NHKの職員だった田下さんが2011年に配属になったことでした。
2013年春に日本酒をテーマにした番組を制作すると、それをきっかけに田下さんが酒造りに強い関心を示します。それに呼応するように日下さんも「がんばる人たちを傍観者として報道するのではなく、自分たちが当事者になって酒造りをしたい」という思いを強くしました。
そこで日下さんは、2016年秋から長野県の酒蔵で蔵人として修行を始めるのです。
そんな折、出会った日本酒に衝撃を受けました。愛知県の藤市酒造が醸す「菊鷹(きくたか)」です。
「こんなに洗練された綺麗な酸が出ている山廃酒母のお酒があるんだと、その完成度の高さに驚きました」と日下さん。その感想が自分の独りよがりではないかと心配し、他の蔵人にも飲ませてみると、口を揃えて「まったく欠点が見当たらない」と褒める出来栄えです。
「将来、酒蔵を始めるのなら、こんな酒を造る杜氏さんと一緒にやりたい」と、日下さんは「菊鷹」の味わいを記憶をしっかりと焼き付けるのです。
そのお酒を造っていたのが、藤市酒造の杜氏、山本克明さん(42歳)です。
山本さんは、大学を卒業後、滋賀県の酒蔵で2年間修行し、その後、大阪の酒蔵に移籍。滋賀では能登杜氏、大阪では南部杜氏のもとで酒造りを学び、山本さん独自のノウハウを磨きます。2004年には自分の想いを込めた“責任仕込み”の「山本スペシャル」をリリースし、熱狂的な山本ファンを増やしていきました。
2012年に、藤市酒造に杜氏として移籍。その直後に発売した「菊鷹」が評判を呼んで、日本酒好きの間では「酸のある味わいのしっかりとした酒を醸す杜氏」として知る人ぞ知る存在になります。
そんな山本さんのお酒に惚れた日下さんと田下さんは、2017年5月に山本さんと初めて対面します。
「藤市酒造での酒造りが終った後、夏場にうちで酒造りをしてくれませんか?」と頼み込む2人。その依頼に「今は秋から春にかけての季節雇用の形になっているので、やれますよ。面白そうだから、仲間に加わりたい」と山本さんは快諾するのです。
しかし、具体的な計画はなかなか進みませんでした。清酒の免許を新規に取得するのは困難なため、廃業あるいは休眠している酒蔵を探しますが、「候補は出てくるものの、条件が折り合わず、浮上しては白紙に戻るの繰り返しでした」と、日下さんは当時を振り返ります。
佐賀・光栄菊酒造との出会い
そんな折、有力候補地の佐賀県で案件を探していた田下さんのところに、20年ほど前に酒造りを断念して2006年に廃業した光栄菊酒造の蔵が、使われずに残っているという情報が入ってきます。2018年6月のことでした。
早速、2人は現地へ足を運びます。光栄菊酒造の蔵は明治初期に建てられたもの。その後、増改築を経て昭和初期に完成した木造二階建ての立派な建物でした。一時は解体してアメリカの美術館に使うという話が持ち上がるほどのしっかりとした造りで、改修すれば使えることがわかりました。そこで酒蔵と土地を所有している旧光栄菊酒造の創業家の一族と交渉を始めます。
すると「蔵が生き返るのは創業家としてもうれしい話。土地と建物をまとめて譲りましょう」との返事をもらい、条件面でも合意することができたそうです。
創業家はすでに酒造免許を返上していており、別途探さなければなりませんでしたが、幸いにも酒造免許を譲渡してくれる酒蔵もまもなく見つかり、2019年2月に蔵の工事に着手します。
事業計画を詰めていく過程で、醸造規模は当初計画よりも大きくなり、いずれ3季醸造になることを考え、山本杜氏は藤市酒造を離れて、光栄菊酒造に完全移籍することを決断します。
2019年12月、酒造り開始に向けて動き出し、あわせて販売戦略を練りはじめます。酒質は、山本杜氏が得意とする「酸と旨味があって、最後に口の中ですっと切れる食事に合わせる酒」に、スムーズに決定。
銘柄名については、まったく新しいネーミングも考えたそうですが、新社長となる日下さんは、「地元の旧三日月町(2005年の市町村合併で現在は小城市)は、昔から住む人たちは『光栄菊』を愛飲していたはず。その同じ場所で酒造りをするのであれば、復活というイメージが強いだろうし、地域に愛された酒をもう一度飲んでくださいとアピールするのが自然」と考え、「光栄菊」の名前を継承することにしました。
山本杜氏が直前まで造っていたお酒が「菊鷹」で、菊つながりというのも「光栄菊」にした理由のひとつでした。
豪雨被害に負けずに造った新酒第一号は完売
一方、蔵の改修という大工事が佳境に入った矢先、大きな試練に直面します。
2019年8月末に九州北部を襲った豪雨で、光栄菊酒造も床上浸水の被害を受けてしまったのです。できあがった麹室の床には泥水が押し寄せ、工事はやり直しとなりました。
初めて使う水に、初めて使う酒米。設備や機械もすべてが初めてなので、当初は本格的な酒造りの前に小さなタンクで試験醸造を重ねるつもりでしたが、それが豪雨被害でゆとりがなくなってしまったのです。ですが「周囲の期待も大きく、年内になにがなんでも新酒第一号を出す」ことが至上命令だったので、ぶっつけ本番で酒造りに突入しました。
「いつもの醪と何かが違うという違和感がなかなか消えなくて、ずっと胃が痛くて、搾るまで不安がいっぱいでした」と、山本さんは吐露しますが、できあがった新酒第一号と第二号は評判も良く、あっという間に酒販店の店頭で完売となりました。
「菊鷹」時代から山本杜氏の酒の大ファンであり、取引を続けている神奈川県横須賀市の酒販店「SAKE芯」の松尾伸二さんは、生まれ変わった「光栄菊」を味わった感想を、次のように話します。
「甘酸っぱい味わいがフルーツの香りとともに広がり、飲み下した後のさわやかな酸の余韻が素晴らしい。初めての土地で初めての水と初めての設備を使ってこのレベルの味わいは驚きです。山本杜氏の酒にブレはないですね」
これまで「菊鷹」のお酒を取り扱っていた酒販店の多くが、「山本杜氏の酒なら」と最初から特約店に加わってくれました。また、新生「光栄菊」のお酒を味わった多くの酒販店が関心を示し、取引を打診しているそうです。取材時に蔵を訪れた時も、日下社長宛に「光栄菊を取り扱いたい」という電話やメールでの問い合わせが次々と押し寄せていました。
この反響を受けて、当初計画よりも造るお酒の量を上方修正して対応するそうで、酒造りが一段落する5月まで、酒蔵の2階に寝泊りをするという意気込みです。
新しく生まれ変わった「光栄菊」。これからの歩みが楽しみです。
(取材・文/空太郎)