山梨県大月市。JR中央線笹子駅から徒歩5分の場所に、笹一酒造株式会社はあります。かつては関東一円に出荷し、1万石近い生産量を誇っていた笹一酒造の迫力ある姿。今もなお変わることなく、笹子峠の入り口に佇んでいます。
1661年(寛文元年)に「花田屋」として創業し、1919年に創立した笹一酒造は、毎日の食卓で愛される普通酒の量産を続けることで、その名を世に知らしめてきました。しかし近年は、時代の流れとともに売り上げがどんどん減少しています。4代目蔵元・天野行典さんの背中越しにその光景をずっと見てきた、長男で専務取締役の天野怜さんが、父・行典さんとともに笹一酒造を大転換させたのは2013年でした。
今回は、笹一酒造が再起をかけて挑んでいる新ブランド「旦(だん)」について、専務取締役を務める天野怜さんと、杜氏の伊藤正和さんに話をうかがいました。
大量生産用の設備を撤廃!新ブランド「旦」のこだわりとは
"元旦"という熟語に使われている「旦」の文字。書家・金澤翔子さんが手がけた力強い文字には、"地平線から日が昇る"、"すべての始まり"という意味と、蔵人たちの思いが込められています。
「私たちが目指しているのは、特定の料理を意識しない究極の食中酒です。仕込み水は、富士山の雪解け水が地下の不透水層という溶岩の間で、何十年もかけて濾過された澄み切った水。また、余計な香りを出す酵母は使用せず、伝統的な純米酒や山廃仕込みの酒を中心に、できる限り純粋な味を表現することを念頭において醸造しています」と、天野怜さんは話します。
蔵内には、かつて大量生産に取り組んでいたことがわかる大きな貯蔵タンクがひしめき合っています。
笹一酒造は、2013年に大量生産用の製造設備を撤廃しました。最新の手洗式洗米機や乾燥蒸気を出せる吟醸甑など、ていねいな酒造りをするために必要な最良の設備を導入し、さらに機械に頼っていた麹造りと酒母造りを手作業に戻しました。
そんな「旦」の醸造に欠かせないのが、酒造りを取り仕切っている伊藤正和杜氏です。
伊藤杜氏は、石川県能登半島の先端にある珠洲市周辺で江戸時代後期に発祥した、代表的な酒造りの技能集団・能登杜氏のひとり。「旦」の原料には、山田錦や備前雄町を使用しています。各県から、良い状態の米を取り寄せているそうです。
「『旦』は現在、13種類あります。そのすべてに大吟醸クラスの手間をかけています。あえて、香りの出にくい酵母を使い、昔ながらのていねいな酒造りで、本物の味を目指しています」と話す伊藤杜氏。精米や麹の培養など、造りのすべてを自社で行い、最後まで一切の手を抜きません。
じっくりと低温発酵させることによって生まれる、広がりのある吟醸香。そして、ピュアで優しい酸味と旨味・甘味のバランスが取れた王道の酒造りで再起を目指す笹一酒造。「旦」は、その魅力を充分に理解してくれる特約店にしか卸していないのだとか。それは、本物を造る人から本物を飲みたい人へ続く、当たり前のルートなのかもしれません。
2017年には、世界的なワインの評価法である「パーカーポイント」にて、純米吟醸酒が91点という高得点を獲得しました。新しい挑戦を始めたばかりの笹一酒造。「旦」は、その名の通り、その新しいスタートを照らしてくれています。
(取材・文/堀内 麻実)