2024年12月5日(木)、「日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り」が、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。
日本酒・焼酎・泡盛といった日本のお酒は、米や麦などを蒸す、麹(こうじ)を造る、醪(もろみ)を発酵させるなどの伝統的な技術が、各地の自然や気候に合わせて発展し、地域の風土と深く結び付きながら伝承されてきたものです。
こうした技術で造られた日本酒は、祭礼行事や儀式などにも用いられ、日本文化において必要不可欠な役割を果たしてきました。
ユネスコ無形文化遺産への登録によって、日本の酒造りに対する注目が高まるなか、かつて酒造りをしていた酒蔵の建物に新たな価値を加えようとする試みが、京都市で始まっています。
京都の伏見にある玉乃光酒造は、同社が所有する築100年を超える歴史的・文化的な価値を持った「東蔵」を保存・再生するプロジェクトを発足。老朽化して使われなくなった蔵を活用して、どのような未来を描いているのでしょうか。
今回は、玉乃光酒造の代表取締役社長・羽場洋介さんとプロジェクトメンバーに話をうかがいました。
全国でも珍しい「純米吟醸蔵」
1673年(延宝元年)に和歌山県で創業した玉乃光酒造は、1945年(昭和20年)の和歌山大空襲で酒蔵が一部焼失したことをきっかけに、酒どころである京都の伏見に移転しました。以来、純米吟醸と純米大吟醸のみを造る、全国でも珍しい「純米吟醸蔵」として、伝統的な製法を大事にした酒造りを続けています。
玉乃光酒造は、戦後の酒米不足によって日本酒市場から純米酒がほとんど姿を消していた1960年代に、業界に先駆けて、醸造アルコールを添加しない純米酒を復活させました。さらに、戦後、栽培が途絶えていた酒米「雄町」の復活にも尽力してきた歴史があります。
そして、現在は年間で約5,000石(一升瓶換算で50万本)を製造していますが、手作業による昔ながらの酒造りを続けていることも大きな特徴。酒造りにとって重要な米麹も、機械を使用せずにすべて手造りしています。
仕込み量が多い日には、約3,000kgもの酒米を蒸し、引き込み・種切り・床もみ・切り返しなどの麹造りの各工程も、手のひらで温度や湿度を確かめながら、すべて手仕事で行います。麹が完成するまでに要する時間は、丸2日。昼夜問わず手入れを行い、麹を育てます。
「玉乃光」の酒造りに使われているのは、やわらかい口当たりが特徴の伏見の伏流水。「いい米、いい水、手づくり」にこだわり、旨味のある“味吟醸”を醸す酒蔵、それが玉乃光酒造です。
代表商品の「玉乃光 純米吟醸 酒魂(しゅこん)」は、麹によって引き出された米の旨味と酸味のバランスが良く、キレのある味わいが特徴です。
酒蔵は単なる製造業ではなく、伝統文化の担い手
玉乃光酒造の14代目当主・羽場洋介(はば・ようすけ)さんは、異業種から転職して酒蔵の経営に取り組んでいます。大学を卒業した後、公認会計士やコンサルタント、飲食店の経営者としてキャリアを積んできましたが、結婚相手の実家が玉乃光酒造で、その縁から酒蔵の経営に関わるようになりました。
コロナ禍で売上が落ち込んでいた時期に、まずは外部顧問として参画。会社の経営全体を見るなかで、現会長である義父から「社長にならないか」と言われたのだそうです。
「江戸時代から350年も続いている酒蔵がなくなってしまうことを想像したら、自分にできることがあるなら、やるしかない」
そう考えた羽場さんは、玉乃光酒造に正式入社し、副社長を経て、2023年9月に社長に就任しました。副社長時代に推進した、オーガニック認証の取得やアンテナショップのオープン、スパークリング工場の建設などのプロジェクトを通して、羽場さんのなかで、酒造りに対しての理解と想いが強まっていったといいます。
「創業350年の長い歴史、世界に誇れる京都という場所、守り続けてきた酒造りの技術、純米酒を復活させたチャレンジ精神。『玉乃光』の酒造りには、伝統産業としての誇りが感じられます。特に京都・伏見の酒蔵であることは重要で、これまで先人たちが繋いできた京都の価値観や思想を伝えていく役割があると思っています」
酒蔵を単なる製造業ではなく、伝統文化の担い手として捉え直した羽場さんは、古き良き日本酒の素晴らしさを世の中に伝えていく活動にも力を入れるようになりました。
玉乃光酒造の伝統文化に新たな風を吹き込み、革新的なムーブメントを起こしたいという願いから、玉乃光酒造から派生した新しい会社・京伝びと(きょうでんびと)を立ち上げ、「伝統と革新」「京都のテロワール」「禅の思想」をコンセプトにした日本酒ブランド「禅利(ぜんり)」を、2023月6月にリリース。
日本酒を世界に誇る日本の文化として伝えるために、コミュニティの運営やイベントの開催を通して、その想いを体現する機会を設けています。
日本文化を世界に発信する場所に
現在、羽場さんがもっとも注力しているのは、酒蔵の敷地にある「東蔵」の保存・再生のプロジェクト。
東蔵は玉乃光酒造の本社の向かいにあり、和歌山から京都に移転した玉乃光酒造が、1952年(昭和27年)に酒造りを再始動した場所です。3つの建物で構成され、敷地面積は約300坪と広大。もっとも古い建物は1882年(明治15年)に建設され、もっとも新しいものでも100年という歴史があります。
酒造りの場が本社に移ってからも、商品の貯蔵や蔵人の住居として使用されていましたが、現在では老朽化が進み、その一部が蔵人の休憩場所として使われているのみ。東蔵には85本の貯蔵タンクがありますが、現在は稼働していません。
酒造りの文化的な価値を重視する羽場さんは、玉乃光酒造の第二創業地であり、代々受け継がれてきた東蔵に新たな生命を吹き込みたいと考えています。
「社長に就任してまだ1年、それまで異なる業界にいたため、酒造りを熟知しているわけではありません。しかし、東蔵に来ると、歴代の当主たちが自分に憑依したような不思議な感覚になるんです。就任したばかりのころはよく東蔵を訪れ、そのたびに『伝統や文化を次世代につないでいきたい』という想いを新たにしてきました。私にとって大事な場所なんです」
羽場さんは、京伝びとの共同代表・梅原英哉さん、Skeleton Crew Studioの代表・村上雅彦さんとともに、一般社団法人酒蔵保存協会を設立。2024年10月に「玉乃光酒造 東蔵再生プロジェクト」を発足しました。さらに、京都市の文化芸術・文化財保護の両分野を支援する「京都を彩る建物や庭園」に認定されるように、申請を進めています。
このプロジェクトが目指すのは、日本酒を通してさまざまな日本文化にふれ、その価値を次世代に伝えていくための場づくりです。京伝びとの梅原さんは、「日本の魅力を再確認できる場をつくり、伝統産業や職人にスポットがあたる未来をつくりたい」と語ります。
「伝統産業に関わる職人や企業には、『素晴らしい技術や作品がありながらも、その価値を適正な価格で世界に届けられていない』という共通の課題があります。それを解決するために、国内外の特別なゲストを招いたイベントを開いたり、全国各地に眠る伝統的なコンテンツを展示したりと、東蔵を伝統産業のプレゼンテーションの場にしたいと考えています」(梅原さん)
東蔵で開催しようとしているイベントのキーワードは「刹那的」「再現不可」。日本の伝統文化に関わるアーティストと、玉乃光酒造の日本酒を含めた食文化を組み合わせ、季節やテーマに合わせた、その時にしか体験できないものを提供したいのだとか。
過去には、有名レストランのシェフを東蔵に招き、玉乃光酒造の日本酒と料理のペアリングを楽しめるシークレットイベントを開催しました。書道家や華道家のパフォーマンスも披露され、参加者は「日本の伝統文化を総合的に楽しめた」と、満足した様子だったといいます。
同じくプロジェクトメンバーで、若手クリエーターの育成や活躍の場の創出などに携わるSkeleton Crew Studioの村上さんは「東蔵は日本の風土や四季、そして人々の情熱と技が結晶となった日本の重要な文化遺産」と話します。
「デジタル産業に関わり、クリエーターたちと接するなかで、『デジタルとアナログ』『革新と伝統の調和』の重要性を感じています。新たに生まれ変わる東蔵では、次世代のクリエーターとコラボしたイベントなどを企画中です。失うともう二度と取り戻せない100年の歴史をもつ東蔵を、未来につなげていきたいと思います」(村上さん)
日本の伝統文化やものづくりに接し、職人と身近に触れ合う機会を増やすことで文化を継承していきたいと、三者三様に意欲を燃やしています。
総工費3億円という一大プロジェクトとなる東蔵のリニューアルは、2025年4月着工・翌年3月竣工の予定で進行中。現在、ふるさと納税を活用し、東蔵の修繕工事に係る基本調査費用の寄付を募集しています。返礼品として、本プロジェクトのためにデザインされた非売品の日本酒などが用意されています。
「日本酒市場はこの50年間で4分の1まで縮小しています。しかし、日本酒は単なるアルコール飲料ではなく、古くから続く日本の食文化であり、神事に使われる神聖なものであり、職人の技術が織りなす伝統文化です。そんな日本酒を通して、日本の文化の素晴らしさを、東蔵から世界に向けて発信していきたいんです」(羽場さん)
「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産として正式登録されたいま、「先人たちが紡いできた酒造りを、しっかりと未来に繋げていきたい」と話す羽場さん。
長い歴史を見守ってきた玉乃光酒造の東蔵は、失われてはいけない日本の文化やものづくりの精神を次世代に伝える場として、新たに生まれ変わろうとしています。
このプロジェクトは、日本酒の新たな価値を再発見しようとする試みともいえるでしょう。それは、酒蔵が単なる製造業ではなく、伝統や文化を守り伝えていく存在であることを、改めて示してくれるかもしれません。
(取材・文:SAKETIMES)
◎寄付募集の概要
- プロジェクト名:Arts Aid KYOTO/玉乃光酒造 東蔵再生プロジェクト
- 寄付受付終了日:2025年2月28日(金)
- 備考:このプロジェクトは令和6・7年度の2年に渡るもので、玉乃光酒造から東蔵の運営を委託された「一般社団法人 酒蔵保存協会」が、令和6年度は修繕工事に向けての基本調査を行い、目標額以上の寄付金が集まった場合には、令和7年度の東蔵修繕工事費用に充てていく予定です。