2026年9月1日(火)、長野県佐久市で1887年(明治20年)から酒造りを続ける芙蓉酒造が、新たな経営体制を発表しました。
起業家・スタートアップ投資家の千葉功太郎さんが全株式を取得し、代表取締役会長に就任。六代目蔵元の依田昂憲(よだ・たかのり)さんが代表取締役社長を続け、千葉さんは「蔵主」、依田さんは「蔵元」として、ともに「共同六代目」を名乗ります。
この新体制が発表されたのは、スタートアップ経営者や投資家が集う「Industry Co-Creation(ICC)サミット KYOTO 2026」の会場でした。
スタートアップの世界を歩んできた投資家は、なぜ今、日本酒蔵を継ぐのでしょうか。「蔵元」と「蔵主」が一つの代を分け合う体制は、酒蔵経営をどう変えるのでしょうか。発表翌日、二人にお話をうかがいました。
その情熱が100年単位で受け継がれる酒造りの世界
芙蓉酒造と千葉さんの関係は、2024年ごろに始まりました。
千葉さんが神奈川県鎌倉市の自農場で育てた農産物から焼酎をつくろうと、芙蓉酒造へ製造を依頼したことがきっかけです。しかし当時は、「酒蔵の経営者やオーナーになることまでは考えていなかった」といいます。

蔵元・依田昂憲さん(写真左)と蔵主・千葉功太郎さん(写真右)(画像提供:ICCサミット)
転機となったのは、2026年3月に開かれた「ICCサミット FUKUOKA 2026」でした。
千葉さんは、日本酒やクラフトジン、ビール、クラフトサケなど、あらゆるジャンルの酒類・醸造事業者が競い合う異種格闘技戦形式の審査プログラム「ICC SAKE AWARD」の審査員として、「稲とアガベ」の岡住修兵さんや「ヤッホーブルーイング」の井手直行さんら、日本の酒業界を牽引する造り手たちと同じグループに入ります。
「みなさんの持つ素晴らしい知見を“副音声”として聞きながら審査したことで、造り手の知識が一気に入ってきました。業界を学ぶには、トップの方から直接教わるのが一番です。まさに特等席でした」(千葉さん)
千葉さんがさらに心を動かされたのは決勝戦です。優勝者が決まると会場はスタンディングオベーションに包まれ、敗れたチームも涙を浮かべて拍手を送っていました。
「スタートアップも、本当に熱い業界です。でもお酒の業界は、その熱さが100年単位で受け継がれている。業界を良くしようという思いと、ものづくりや事業に真剣に向き合う姿に感動しました」(千葉さん)
このSAKE AWARDで業界の熱量に触れたことで、酒造りへの距離が一気に縮まります。アワードにスポンサーがないと知るとその場で個人スポンサーに名乗りを上げ、次のICCで登壇するなら「何か良い報告をしたい」と、芙蓉酒造の蔵元・依田さんから相談を受けていた事業承継の手続きも急ぎました。
芙蓉酒造の新体制が発足したのは、「ICCサミット KYOTO 2026」の発表当日である2026年9月1日(火)。依田さんが佐久市で手続きを終えたのは、京都へ向かう電車の発車わずか20分前でした。半年前の福岡で生まれた構想が、文字通り滑り込みで結実した瞬間でした。
スタートアップ投資家が見出した、AI時代の日本酒蔵の価値
千葉さんが酒蔵に見出した価値は、単に「伝統産業だから」というものではありません。背景にあるのは、AIの登場によって仕事や産業の価値が大きく変わるという見立てです。
自身も投資家としてAIを徹底的に活用しているという千葉さん。現在は、朝から晩まで会話を記録するデバイスとAIを連携させ、会話から発生したタスクを自動で整理する仕組みまで構築しています。

(画像提供:ICCサミット)
「今回のICCでのプレゼン資料も、会場へ向かう飛行機の離陸前にAIへ指示を出し、出来上がったものに少し直して完成させました。これまで何時間もかかっていた作業が10分ほどで終わる。AIを積極的に活用することで、これまで買えないと思っていた時間が買えるようになったと感じています」(千葉さん)
こうした実体験から、千葉さんは経営者を含むホワイトカラーの仕事の多くが、遠からずAIに置き換わると予測します。
一方で、人間が生きる限り、食べること、飲むこと、おいしさを追求する営みは変わりません。農業や醸造には物理的な場所と時間が必要であり、どれほど「フィジカルAI」が進歩しても、産業そのものは残り続けるという考えです。
また、海外との仕事を通じて、日本の食に対する世界の関心が急速に高まっていることを肌で感じていました。千葉さんが自ら営む鮨店「麻布 鮨功」でも、海外のゲストにアレンジなしの本格的な江戸前鮨を提供し、そのおいしさがしっかりと受け入れられる手応えを得ています。
「海外には圧倒的な数の“胃袋”があり、日本食のおいしさに気づき始めています。SNSで『日本のコンビニおにぎりが美味しい』という投稿が注目を集めるほど、日本の食に対する関心と理解のスピードは速いと感じます」(千葉さん)

(画像提供:麻布 鮨功)
食の関心は今後、地域や造り手の歴史といった深いストーリーへと向かっていくはず。日本酒の魅力が世界に広がるにつれ、「創業139年の蔵が造る酒を飲んでみたい」「実際にその酒蔵を訪れてみたい」という需要も時間をかけて確実に生まれてくると、千葉さん考えています。
その可能性を先行して示しているのがお茶や抹茶の分野で、世界的に需要が高まってもすぐには増産できません。千葉さんが2026年3月に苗を植えた茶畑も、収穫は4年後。開墾や手入れに費用と人手をかけても、その間は売上を生み出さないのです。熟成を必要とするお酒も、まったく同じ構造を抱えています。
「僕は投資家なので、時間のかかる食の領域へ先行投資をすることで貢献できると思っています。日本の伝統や歴史、文化を、『食』を通じて海外へ届けることは、日本人である自分にとっても大きな武器になるはずです」(千葉さん)
AIで仕事の時間を短縮できても、作物が育ち、発酵や熟成が進む「時間」だけは短縮できません。その「待つ時間を資本の力で支える」ことに、千葉さんは投資家としての新たな役割を見出しています。
“売却しない覚悟”を形にした「蔵主」という役割
承継を進めるなかで、千葉さんには一つ気がかりなことがありました。自身の長期的な想いと、「投資家が酒蔵を買った」と聞いて世間が抱くイメージとの間に、大きな隔たりがあったことです。
「投資家が酒蔵を買い、コストを削って利益を出し、数年後に売却する。そのように見られるのは本当に不本意でした。自分の本心と周囲のイメージが大きく乖離していたんです」(千葉さん)
芙蓉酒造の事業承継を決めた時、千葉さんには「将来的に売却する」という選択肢は最初からありませんでした。50年先、100年先を見据え、自らの家業として次の世代へ引き継ぐ構想を描いていたのです。
しかし、長期の展望を胸に秘めるだけでは、その覚悟は世の中に伝わりません。想いを正しく表現する体制について、依田さんと何度も議論を重ねました。

(画像提供:ICCサミット)
「どうすれば自分の想いと外への見せ方を一致させられるのか、話し合いを続けました。もともと『買って売る』気はなく、千葉家の家業として引き受け、家族にも関わってもらう形を目指したんです」(千葉さん)
千葉さんが参考にしたのは、代々にわたり事業を継いできた伝統企業の経営者たちです。
「ファミリービジネスでは、生まれたばかりの1歳の子どもも次の経営者になるかもしれない存在として見られる。IT業界の“一代目”である僕とは、まったく違う時間軸でした」(千葉さん)
何十年、何百年と事業を守り続ける家族の姿に学び、千葉さん自身もその時間軸の中で生きたいと考えます。また、農園や鮨店、酒蔵といった食にまつわる事業は、ITや投資に比べて子どもにも親の仕事が直感的に伝わる点も魅力でした。
「ITや投資の仕事は、子どもから見ると何をしているのか分かりづらい。でも、農園や鮨店、酒蔵なら“親の背中”を直接体感してもらえるんです」(千葉さん)
話し合いの末、二人がたどり着いたのが、千葉さんも「共同六代目」を名乗り、「蔵主」として経営を担う体制です。“売却しない”という強い意思を、組織の形そのもので表したのです。
六代目蔵元が蒔いてきた種と、その先にあった葛藤
芙蓉酒造は、日本酒「金宝芙蓉」をはじめ、そば焼酎「天山戸隠」、クラフトジン「YOHAKHU」、ノンアルコールの「浅間コーラ」など多彩な商品を手がけています。これまで40種類以上・20か箇所以上の農産物を焼酎へと加工してきた、受託製造(OEM)の強みも持ち合わせます。
2010年に家業へ戻った依田さんは、「芙蓉酒造にしかできないものづくり」を模索してきました。自らウェブサイトを整備し、「焼酎 OEM」の検索キーワードで上位表示される導線を構築。現在も月に1~2件の問い合わせがコンスタントに届く仕組みをつくり上げました。

クラフトジン「YOHAKHU」(画像提供:芙蓉酒造株式会社)
2020年には、720mLで1,500~2,000円ほどだった従来の価格帯を大きく超える、1本6,000円のクラフトジン「YOHAKHU」を発売。「東京ウイスキー&スピリッツコンペティション(TWSC)2026」で金賞を獲得するまでに育て上げます。
しかし、挑戦したいことが増えるほど、資金と人手の不足に直面します。
「やりたいことは無数にあるのに、お金も力も足りない。自分のできる範囲で、少しずつ種を撒いてきたという感覚でした」(依田さん)
そんな葛藤を抱えるなか、2024年に受託製造の依頼を通じて出会ったのが千葉さんでした。千葉さんの農場で育った農産物から焼酎を造るなかで、付き合いは家族ぐるみへ広がり、互いの人柄や仕事への姿勢を深く知り合う関係が築かれていきました。
そんなある日のこと、樽熟成中の焼酎の経過報告で、依田さんが千葉さんの自宅を訪れます。お酒を酌み交わしながら「酒蔵の経営に関心のある人を知りませんか?」と漏らした依田さんに、千葉さんから返ってきたのは「それなら僕ができる」という言葉でした。

(画像提供:ICCサミット)
「酒蔵の次の100年を考えたとき、自分一人で抱えられる問題ではないと感じていました。もちろん誰でも良いわけではありません。歴史や自分たちが歩んできた道を尊重してくれる面白い人との出会いがあれば、託したいと考えていたんです」(依田さん)
依田さんの家族もまた、やりたいことを抱えながら葛藤する姿を近くで見守ってきました。すでに家族ぐるみで親交があり、人となりを知り尽くしている千葉さんだからこそ、この承継を心から歓迎してくれたといいます。
「まったく見知らぬ企業や投資家とのM&Aなら、絶対に進めていなかったと思います。互いの人柄が分かっていることは、何よりも大切でした」(依田さん)
千葉さんが提示した承継の条件は、依田さんが引き続き社長と蔵元を続けることでした。酒蔵と依田家の歴史を守り、ものづくりに責任を持つのは依田さん。そこに足りなかった資本や販路、経営のパートナーシップを千葉さんが補います。
依田さんが長年まき続けてきた種が、千葉さんというパートナーを得て、ついに大きな芽を吹こうとしています。
なぜ、今「蔵主」が必要なのか?
新体制では、依田さんが社長兼「蔵元」を、千葉さんが会長兼「蔵主」を務めます。「共同六代目」という独自の形を提案したのは、依田さんでした。
「私が六代目で、千葉さんが七代目というのは違う。同じ時代にパートナーとして経営するなら、二人とも六代目で良いのではないか。僕が一人で背負いきれなかった重荷を一緒に背負い、二人三脚で進む形が一番しっくりきたんです」(依田さん)

(画像提供:ICCサミット)
これまで依田さんは、製造や商品開発にとどまらず、資金繰り、販路開拓、組織の将来まで一人で抱え込み、「経営者として孤独だった」と振り返ります。
千葉さんは二人の関係性を、映画の「プロデューサー」と「監督」に例えます。蔵主である千葉さんが担うのは、資本の調達、経営の大きな方向性付け、そして業界や地域外部とのネットワーク構築です。増産資金を準備して新たな販路を切り拓き、新商品では狙う市場や価格設定を依田さんと議論します。
一方、蔵元の依田さんは、地元で愛され続ける「金宝芙蓉」の味わいを守りつつ、千葉さんが示す方向性を商品へ落とし込みます。
承継後の展望として、千葉さんは、まず日本酒、焼酎、スピリッツ・リキュールの3つの分野で、全国や世界へ届けるプレミアムラインを構築する構想を掲げています。
「酒造りそのものには口を出しません。僕にはその技術もノウハウもないからです。ただし『どの市場を目指すのか』という入口の議論と、仕上がった商品への感想は適切に伝えます」(千葉さん)
自ら営む鮨店「麻布 鮨功」などの場で、市場で高く評価される酒を飲み慣れた日本酒ファンに新商品を提供し、そのダイレクトな反応を依田さんへフィードバックする。これまでの酒蔵単体では捉えにくかった市場のリアルな声を、次の醸造へと還元する理想的な循環を目指しています。
今回の体制は、蔵主・蔵元・杜氏といった役割を完全に切り分けるものではありません。依田さんは社長であり、現場の酒造りを統括する責任者でもあります。
互いの領域を明確に分け切るのではなく、重なる部分を議論で深めながらそれぞれの責任を果たしていく。「蔵主」とは、ものづくりの担い手が一人で全責任を背負い込まないための、最善な役割分担の形なのです。
「僕はこれから、“蔵主”という新しい役割を提唱していきたい。同じような悩みを抱える酒蔵が新しい挑戦をはじめ、それぞれの地域が活性化していったらうれしいですね」(千葉さん)
日本で一番AI化された酒蔵へ
新体制で千葉さんが最初に掲げる目標は、「古さを残したまま、日本で一番AI化された酒蔵」にすることです。

(画像提供:芙蓉酒造株式会社)
現場の会話や紙の記録、もろみの測定値などを、蔵人の作業手順を変えずにデータ化。熟練の感覚や経験知をAIに学ばせ、生産の安定や業務効率化、新商品開発に活かせる環境を構築していきます。
「古さは残したまま、日本で一番AI化された酒蔵にしたい。見た目や道具は従来のままでも、裏側のデータ基盤はまったく違う。芙蓉酒造の酒造りを学習したAIと、新商品のアイデアを壁打ちできる未来を描いています」(千葉さん)
AIに代替されにくいからこそ酒蔵を選び、その価値をAIで拡張する。造り手をAIに置き換えるのではなく、造り手が本来の仕事に集中できる環境をつくる考えです。
そんな壮大な構想も、現場に即した一歩から始めます。最初に取り組むのは社内LINEグループの開設です。これまで芙蓉酒造には、全社的なデジタル連絡手段がありませんでした。

(画像提供:ICCサミット)
「まずは情報共有の場をつくることからです。そのLINEグループに、依田さん、僕、そして将来的には『AI君』という3人目のメンバーを参加させたいんです。現場でデータ化された会話や記録、測定値などを理解し、質問すれば何でも答えてくれるAIの導入を早い段階で実現したいですね」(千葉さん)
最初から大規模システムを導入するのではなく、日々の連絡や相談という日常の延長線上にAIを配置。現場に寄り添いながら、段階的に成果を積み重ねていく考えです。
経営から製造までを一人で抱え、デジタル化まで手が回らなかった依田さんも、この変化を前向きに捉えています。
「千葉さんに入っていただいたことで、僕は酒造りという実務に集中できるようになります。一人なら20年、30年かかっていた変化を、もっと速く実現できるかもしれない。何より、大きな相談相手であり仲間ができた安心感があります」(依田さん)
蔵を「買う」のではなく、蔵の未来をともに「背負う」

(画像提供:芙蓉酒造株式会社)
近年、酒蔵のM&Aが増加する中で、外部資本が入ること自体はもはや珍しくありません。しかし千葉さんは、黒子のオーナーとして資金だけを出すわけでも、プレイヤーとして自ら酒を造るわけでもなく、依田さんと並ぶ「六代目」を名乗り、家業として、次世代へと受け継ぐ責任を引き受けたのです。
一人の蔵元が、造り、経営、資金、販路、将来への投資まで、すべてを背負う必要はない。「蔵主」とは、造り手と並び立ち、蔵の未来をともに背負うための新たな存在です。
芙蓉酒造の2人の「共同六代目」が、この手を取り合う体制からどのような酒と未来を醸し出していくのか。その答えは、彼らが世に送り出す一本一本のお酒が証明してくれるはずです。
(取材:SAKETIMES編集部)

