兵庫県姫路市、網干駅からすぐ見えてくる「大吟醸 龍力 米のささやき」の文字。

いち早く、酒造好適米を全量使用した酒造りや吟醸酒の販売に乗り出し、最近では「IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)2021」の金賞受賞やトロフィー獲得、「令和3年度 全国新酒鑑評会」の金賞受賞など、山田錦の一大産地である播磨地域を牽引する酒蔵のひとつが、代表銘柄「龍力(たつりき)」で知られる本田商店です。

網干駅のホームから見える「龍力 大吟醸 米のささやき」の文字

2021年10月、創業100周年を迎えた節目に、5代目として本田龍祐(ほんだ りゅうすけ)さんが代表取締役社長に就任し、新しい体制となった本田商店は、どんな未来に向かって歩んでいくのでしょうか。「龍力」のこれまでとこれからを紐解きます。

"人のやらなかったこと"をやる

歴史をさかのぼれば、元禄時代(江戸中期)から播州杜氏の総取締役として酒造りに携わっていたという本田家。

蔵元の次男として生まれた初代の本田新二さんが、明治の終わり、そのお酒を売るために網干駅近くに小売酒屋を創業したのが、そもそもの始まりだったと言います。「本田商店」という酒蔵らしからぬ名も、その原点によるものです。

本田龍祐(ほんだ りゅうすけ)さん

「初代から、他の人がやらなかったことをやってきたんです」と語る龍祐さん。

小売酒屋として創業した本田商店は、当時貨物を取り扱っていた網干駅にもっとも近かったことから他の商店の貨物を引き受ける問屋となり、その後、1921年に龍野町(現・たつの市)のカネヰ醤油から酒造免許を譲り受ける形で、酒造りを始めました。

"人のやらなかったこと"をやる。その志向は、3代目である大叔父の武義さん、4代目で父の眞一郎さんによってますます加速します。

「龍力 大吟醸 米のささやき」

特定名称の制度がスタートする以前の1970年(昭和40年)から吟醸酒の醸造を始め、1976年に近畿圏で初めてとなる、しぼりたての生酒「蔵出し新酒」を、1979年に「龍力 大吟醸 米のささやき」を発売。1981年には有志の酒蔵とともに日本吟醸酒協会を設立し、武義さんが初代理事長に就任します。

その頃には全量を自社精米に切り替え、大吟醸酒の醸造に特化した大吟醸蔵を竣工。また、吟醸酒への取り組みとともに、長期熟成酒研究会の発起人として長期熟成酒の振興にも尽力しました。1982年には熟成を目的とした純米吟醸酒を仕込み、8年後の1990年に「真古酒」として発売を開始しています。

「代々、他の人がやっていることにまったく興味がないところがあって、少し変わっていたんでしょうね。燗をつけるのが当たり前の時代に冷やして美味しいお酒を売り出して、1990年代の初めには原料米の全量を酒造好適米に切り替えた。それがいつしか王道と言われるようになったんだと思います」

「龍力 米のささやき 純米大吟醸 秋津」

そんな本田商店の日本酒の中で特に象徴的なのが、"日本のロマネ・コンティ"を志向した「龍力 米のささやき 純米大吟醸 秋津」(当時の販売価格:15,000円/720ml、30,000円/1.8L)です。1996年に発売されたこの日本酒を造るに至るには、とあるきっかけがありました。

「当時、ある百貨店のバイヤーから、『ワインは数十万円もするものがあるのに、なぜ日本酒は高くても1~2万円程度なのか。もっと高いものはないか』と聞かれたのです。

当時から世界最高峰と名高いワイン『ロマネ・コンティ』がどのように造られているのか、それを知ろうと大叔父と父はフランス・ブルゴーニュへ足を運びました。そこで目の当たりにしたのが、ブドウ栽培に適したテロワールと、人の手をかけ、ていねいに造られたブドウだったんです」

ブルゴーニュのごく限られた畑で、馬がその地を耕し、有機農法で育てられたブドウは、ひとつひとつ手作業で収穫。選別されたうえで醸造されます。

日本でも同じように手をかけて育てられた酒米を使えば、ロマネ・コンティに匹敵するような日本酒が醸せるのではないか。そう考えて、すぐに生産者のもとへと向かい、「どれだけ手間と費用がかかってもかまわないから、"日本でいちばんの山田錦"を作ってくれないか」と相談。

協力を申し出てくれたのが、兵庫県の特A地区のなかでもとりわけ優れた山田錦を作ると評判の加東市秋津地区の生産者・都倉さんでした。

加東市秋津地区にある山田錦の水田の様子

「1970年代から吟醸酒の醸造に力を入れていたものの、なかなか鑑評会で評価されませんでした。それが1985年に秋津地区の酒米を使ったところ、姫路酒造組合として初めて、全国新酒鑑評会金賞を受賞したんです。そのときから本田商店の『良い酒造りは、良い米作り』という信念が揺るぎないものとなりました。

そこで、有機農法やへの字型栽培、稲木掛け乾燥で収穫するなど、これ以上ないほど手間をかけた山田錦を作ってもらえるよう、農法指定による契約栽培をお願いすることになったんです」

こうして誕生した「龍力 米のささやき 純米大吟醸 秋津」は、秋津地区で収穫された山田錦を35%まで磨き、低温管理下で発酵。搾った後、1週間で瓶詰めをし、マイナス3℃の冷蔵庫で3年以上熟成させ、社内のメンバーによる評価を経て、「秋津」を名乗れるレベルに達したもののみが出荷されます。華やかで気品ある香りに米のやわらかい甘み、スッキリとした余韻を楽しむことのできる大吟醸酒です。

100周年へ向けて歩んだ変革の道

このように業界に先んじて次の一手を投じてきた本田商店は、2021年10月1日、100周年を迎えました。

ちょうどその節目の年に代表取締役社長となった龍祐さん。このタイミングでの代表就任は、龍祐さんたっての願いでもありました。

「父はずいぶん前から継がせたいと思っていたようですが、僕が『100周年までは頑張ってくれ』と父に頼んでいたんです。本田商店がこの時代を生き抜いてこれたのは、やはり父の功績によるものだと思うんです。

1974年に蔵へ戻り、当時は大手ビールの特約店としての売上のほうが大きかったのですが、造り酒屋としての誇りを取り戻し、大吟醸酒や山田錦を主とした酒造りにシフトしてその波を乗り越えてきた。

だから100周年のゴールテープは、父に切ってもらいたかったんです。僕の代は101年目からスタートして、新しい時代をつくっていけたらと考えました」

本田龍祐(ほんだ りゅうすけ)さん

龍祐さんは東京農業大学 応用生物科学部 醸造科学科を卒業後、本田商店に入社し、酒造経営コンサルに2年間出向した後、2004年に蔵へ戻ります。いずれ蔵を継ぐ者として、酒造りから販売まで広く携わり、2012年に専務となって取り組んだのは、"龍力らしさ"を見極め、酒造りに反映することでした。

「全国燗酒コンテストで最高金賞を受賞するなど、生酛の日本酒を高く評価されるのは光栄でしたが、どこかしっくり来なかったんです。うちはやはり大吟醸酒を評価されてこそ。ラーメン屋さんなのに『チャーハンが美味しいね』と褒められている気がして(笑)。言われるなら『冷酒も燗酒もうまいね』と言われたいし、もっと龍力として、味わいに一貫性を持たせなければと考えたんです」

そこで徹底したのは、大吟醸酒も特別純米酒も低温管理下で仕込み、どの日本酒も「冷酒で飲むとおいしい」を前提とすること。すっきりとしたキレのある味わいを、龍力の目指すおいしさの基準とすることにしました。

龍力にとっての王道とは何か。ブレない軸を定めると同時に、新たな挑戦の形として「宴JOY 日本酒」をコンセプトに、日本酒にくわしくなくても直感的に楽しめるデザインとペアリング提案を行ったのが、2009年から発売した「Dragon Series(ドラゴンシリーズ)」です。

「Dragon Series」

「うちの看板はやはり大吟醸酒ですが、そもそも日本酒をよく知らない方にとっては、大吟醸や特別純米、本醸造などの特定名称の名前を覚えるのは難しいと思うんです。ですから、『冷やしておいしいのが青』『落ち着いた辛口の味わいは黒』といったように、味わいに色のイメージを当てはめて、バイト3日目の店員さんでも自信を持って説明できるようなラベルデザインにしたんです」

コロナ禍に整えた次の時代への布石

本田商店の未来を考えて変革に取り組んできた龍祐さんでしたが、くしくも社長就任のタイミングはコロナ禍の真っ只中。「これ以上は悪くならないはずと開き直るしかなかった」と振り返ります。

「ちょうどビールの取り扱いを辞めたのもあって、売上は前年の半分近くになりました。もうドン底ですよ(笑)。でも出かける頻度が減って、蔵にいる時間が長くなった分、この100年の歴史をあらためて振り返ったり、さまざまな改革に着手したりできた。大きく変える良いきっかけになりましたね」

公式サイトをリニューアルし、武義さんが晩年の約20年間に渡り研究してきた山田錦の特A地区(社地区・東条地区・吉川町)の土壌を「龍力テロワール」として紹介。新たに自社ECサイトを立ち上げ、定額で毎月日本酒を届けるサブスクリプションも始めました。

「龍力テロワール館」

本社1階には「龍力テロワール館」を開設し、資料や土壌標本で兵庫県特A地区の山田錦の歴史と特性を知り、実際に試飲してその味わいを楽しめる場としました。

2021年11月には、眞一郎さんが長年研究してきた熟成古酒に特化した直営店「タツリキショップ 玄妙庵」をオープン。こちらは古酒の試飲が楽しめるほか、自分好みでブレンドし、唯一無二の味わいを探ることができるコンセプトショップです。

酒造りをしている様子

酒造りの現場では、これまでは寒造りでしたが、梅雨前まで醸造できる体制に変えました。醸造体制の効率化を図り、仕込みの回数を週6回から週3回に。朝5時から15時までだった業務時間を、8時から17時に変更し、蔵人の働き方改革も進めています。

「酒造りはどうしても"神格化"されてしまうというか、日の出前から仕込んで、ひとりひとりの手仕事で、となってしまいがちです。でも、いまや空調設備で温度管理もできるし、センサーで数値を測ってスマホでリアルタイムに状況を見ることもできる。時代は変わっているのだから、変えるべきところは変えるべきだったんです。

酒造りを、普通に選べる仕事にしたいんですよ。もちろん、日本酒が好きで日本酒を造りたいというのが理想だけど、そんな人はなかなかいません。15時に仕事が終わって、友人と会うにも『あした早いから先に帰るわ』となるし、出会いも少ない。そんな生活じゃ、『宴で楽しむお酒』なんて造れません。

毎日しんどそうにお酒を仕込むより、余裕を持って楽しくお酒を仕込んだほうが、美味しいお酒を造れるはず。やらなくていいことはやらなくていいんです。どの仕事もそうだけど、最初からスーパースターみたいな人はいません。なんとなく仕事を始めて、上司に『お、うまくできたやん』なんてたまに褒められて、少しずつ慣れていくうちにその才能が開花して、良い職人になってくれたらいいと思うんです」

目指すのは「人の心を動かすようなお酒」

吟醸酒、しぼりたての生酒、兵庫県特A地区の山田錦とテロワール、熟成古酒......いち早く、"人のやらなかったこと"に目を向け、着実に取り組んできた本田商店。龍祐さんは大叔父や父の足跡に敬意を払い、これからの100年を見据えます。

本田龍祐(ほんだ りゅうすけ)さん

「酒造業界には歴史ある会社が多いですし、大きな変化が起こりにくい業界でもあります。だからこそ、龍力は新たな挑戦を続けることで前へ進んでこられた。僕自身は"リレー選手の一員"だと思っています。大叔父や父から継いだバトンを、這ってでもなんとか受け渡す。それが僕の役目です。

働き方やお酒の造り方は、そのときどきで変化することもあるでしょう。そのなかでも本田商店として守り続けたいのは、『良い酒造りは、良い米作り』という信念です」

精米した山田錦

「『儲かるようになったら、もっと良い米を使うよ』なんて言う人がいますけど、そんなことでは、いつまで経ってもその時は来ません。良い米を使うのは、覚悟の表れなんです。

酵母も技術も大切だけど、それらはほんの最後の味付けのようなもの。これからも覚悟を持って良い米を使い続けるのが、僕の責任です。徹底的に兵庫県の米を追究して、その良さを最大限引き出せる酒造りに取り組みたい。

日々尽力して良い米を作ってくださる農家の方々にも、良い思いをしてもらいたいんです。僕自身はあまり物欲はないんですが、『龍力のために米を作ったら、良い車を買えた』なんて言ってもらえたらいいなって。それだけの価値があるものとして、良いお酒を造るのが僕らの役割です」

そして、龍祐さんは、日本酒と龍力のこれからに想いを馳せます。

「日本酒業界は厳しいし、売れない。そう言われているけど、僕は可能性しかないと思っているんです。

ワインはいろんな店に置かれているけど、日本酒はやはり居酒屋や和食屋が中心。それでも国内シェアはワインとあまり変わらないんです。それなら、まだまだ日本酒を知って、飲んでもらえる余地はあるはず。

良い米を使い、じっくりと磨く。酒蔵としては、いろいろとこだわりはありますが、結局のところ、それはお客様にはあまり関係のないことだと思うんです。お客様から見て、『ワクワクするのはどんなことだろう』『どうすれば楽しんでいただけるだろう』、そういうことをもっと考えるほうがいい。

だから、僕らは日本のロマネ・コンティを目指しているんです。世界で有名なロマネ・コンティって、ロマンがあるじゃないですか。スペック云々ではなく、それにまつわる逸話や評判で『いつかは飲んでみたい』と思わせる魅力があるんです。龍力もいつか、そんな偉大なお酒を造りたい。おいしさを超越して、人の心を動かすようなお酒を造ってみたいんです」

「龍力」の商品

"人のやらなかったことをやる"の精神を受け継いだ5代目の龍祐さんが、これから、どんな偉大な日本酒を造っていくのか、楽しみでなりません。

(取材・文:大矢幸世/編集:SAKETIMES)

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