広島県呉市に蔵を構える宝剣酒造は、「SAKE COMPETITION 2019」の純米酒部門(出品数495点)において、「宝剣 純米 レトロラベル」と県内で生まれた酵母を使用した「宝剣 純米 広島夢酵母」が、それぞれ1位と3位を獲得するという快挙を成し遂げました。

今回お話を伺うのは、21歳という若さで父から杜氏のバトンを受け継いだ、蔵元の土井鉄也さん。20年以上にわたり、ひたすら酒造りに邁進してきました。

甘みや香りを追求せず、ひたすら自分が納得する「うまい酒」を追求してきた、土井さんの軌跡をたどります。

「酒造りには、まったく興味がなかった」

宝剣酒造の4代目蔵元の次男として生まれた土井さん。当初は酒蔵を継ぐ気持ちはなく、高校を中退して「呉市でナンバーワンの土建屋になること」を目標に掲げ、土木作業に没頭する日々を送っていました。

宝剣酒蔵の蔵元杜氏・土井鉄也さん

宝剣酒造の蔵元杜氏・土井鉄也さん

しかし、そのころ宝剣酒造は経営的に苦しいこともあり、外部から杜氏を招くことを止めて、蔵元自ら造りを行う体制に切り替えようとしていました。そして1994年のある日、土井さんは父から「蔵を手伝ってほしい」と連絡を受け取ったのです。

「土木作業よりも肉体的に楽そうだな」と感じた土井さんは、深く考えず、蔵に戻ることを決めました。蒸米を運んだり、お酒を取引先に運んだりといった仕事を担当していましたが、「酒造りにはまったく興味がなく、講習会などに参加してもさぼってばかりでした」と、当時を振り返る土井さん。

そんな宝剣酒造は、まもなく大きなピンチに直面します。1997年2月、父が脳梗塞で倒れたのです。

造りの期間中でしたが、土井さんが杜氏役を担うことに。「米は蒸すのではなく、炊くものだと思っていた」というほど酒造りを知らなかったため、酒造りの教本を片手に不眠不休で造りに没頭します。なんとか、その冬を乗り切ることができました。

それ以降、土井さんが宝剣酒造の舵をとり続けることになります。当時、土井さんはまだ21歳でした。

宝剣酒蔵外観

その後、なんとかお酒を造れるようにはなりましたが、日本酒市場の縮小も重なり、宝剣酒造の売り上げは下がる一方だったといいます。

土井さんが酒販店に営業に訪れ、「宝剣」を取り扱ってもらっても、しばらくすると「宝剣」は棚から下げられていて、大手のお酒が並んでいました。そんな光景を見た土井さんは、「大手と棚取り競争をしても勝てない。俺はうまい酒で勝負する」と決意します。

「だからと言って、さらに手間隙かけてうまい酒を造ろうという努力はほとんどしませんでした。すでに自分はうまい酒を造っているんだからこのままでいい。そんな自負がありましたが、大きな勘違いだったんです」

その言葉の通り、23歳になった年、大きな衝撃を受ける事件が起こります。

一念発起して、"うまい酒"を追求する

ある日、広島の酒蔵の先輩から「栃木県で酒販店と料飲店対象の試飲会があるから、いっしょに行こう」と声をかけられました。土井さんは「先輩といっしょに旅行ができる。夜の宴会も楽しみ」と参加することに。

しかし、意気揚々と3本の日本酒を持ち込んで臨んだ試飲会で、土井さんはショックを受けます。

酒販店の方々が各蔵のブースでお酒を試飲し、その後に熱心に語り合う光景が各所で繰り広げられているのに、宝剣酒造のブースで試飲した人たちのほとんどが黙って首をかしげて、すぐに別のブースへと移っていくのです。

「一瞬は疑問に思いましたが、すぐに『うちの酒が一番まずい』と気づいたんです。恥ずかしさと悔しさで、消え入りそうになりました。この経験が、僕の原点ですね」

このとき、土井さんは「もう二度とこんな目には遭いたくない。これからは絶対に手を抜かず、日本一の酒を造ってやる」と、心に固く誓ったのだそう。

日本酒の入ったタンクに手をかける土井さん

思いを新たにした土井さんは、人気のお酒を徹底的に研究。当時のトレンドだった、香り高い酒造りに取り組みます。

麹造りに細心の注意を払い、搾ったお酒の管理も万全にして、人気のお酒に負けないレベルの純米酒と純米吟醸酒を造りました。ところが、土井さんにはもやもやとした気持ちが残っていたといいます。

「自分で飲んでみても、なにか面白くないんです。先輩に飲んでもらいたいという気持ちにならない。なぜだろうと考え抜いて、『自分自身が心の底からおいしいと感じていない』という結論にたどり着きました。流行に迎合せず、自分が気に入る"うまい酒"だけを造ろうと決めたんです」

そして、次の造りからは広島県産の八反錦のみを使い、酵母は広島県酵母のなかでも香りが控えめのものへと変更します。なんと、それ以降「宝剣」のスペックは変えていないのだそう。

自分がおいしいと思える酒を目指す、魂を込めた酒造りが始まりました。

No.1の背景にある「ストイックな酒造り」

「子供のころから、やるからにはとことんやらないと気が済まない性格だった」と話す土井さんは、造りの腕を上げるために利き酒の能力も磨くことを決めます。

その決意は、ヘビースモーカーだったにもかかわらず、いきなり禁煙するほど。好物だった辛い食べ物も避けて、熱い料理も冷めるまで食べないという徹底ぶりです。

その一方で、利き酒勉強会があると聞くと遠方でも参加して、蔵では睡眠時間を削ってまで利き酒の練習を重ねたのだそう。それでも、なかなか成果にはつながりませんでした。

宝剣レトロラベル、宝剣純米 を両手に持つ土井さん

そんななか、ある異変を感じたのは、広島県で開催された「きき酒競技会」の当日の朝。2000年5月のことでした。

「起きたら、五感が昨日までとは違う感じがしたんです。すぐに利き酒をしてみると、見えるんですよ。お酒のなかまでくっきりと。『これだ!』と、やっと目指した場所にたどり着いたと確信した瞬間でした」

土井さんの直感は当たり、その日の大会で優勝します。その後、3年連続して広島県で優勝し、2004年には全国大会でナンバーワンの栄冠に輝きました。

酒の味わいに加えて、分析データだけではわからない、麹の具合も見えるようになっていった土井さん。以降、毎年こつこつと酒造りを改善し、「宝剣」ファンを増やしていきました。

SAKE COMPETITION審査風景

2012年から始まった「SAKE COMPETITION」で審査員も務めている土井さんは、香りよりも旨味が重視される純米酒部門で上位に食い込むべく努力を重ね、2013年に「宝剣 八反錦 純米」が純米酒部門で4位を獲得しました。

その評判を聞きつけ、全国各地の酒販店から取引の連絡が続々と入り、海外からも問い合わせが増えたのだとか。しかし、大抵の人であれば「この方向性で頑張れば、さらに人気になる」と突き進むところですが、土井さんは立ち止まって考えます。

「うちの蔵が使う米はポピュラーなものではなく、広島産の八反錦。『10位以内に入っていれば御の字』と考えるのは甘えだと思いました。自分も審査員として出品酒を利くと、うちよりもすごい純米酒がいくつもある。もっと繊細に米を見て、より上質な麹造りをする必要があると感じました。理想の仕込み環境を整えて、ナンバーワンを目指すことにしたんです」

酒母タンクに櫂入れする土井杜氏

決心がついた土井さんは、さらにうまい酒を造るべく、原料処理から麹造りまでの設備を次々と新しくしていきます。先端的な地酒蔵に負けない環境を整えようと、多くのお金を投じました。

一方で、土井さんが悩んだのは酒質を微調整するかどうか。

「そのとき、少し香りと甘味があるタイプが純米酒部門で上位に入っていました。それは、自分が理想としている純米酒とは微妙に違うんです。『トレンドに寄せて上位に入ることに意味があるのか』と、ずっと考えていましたね。しかし、『SAKE COMPETITION』は、あくまで市販しているお酒を評価するもの。味を変えることは『宝剣』のファンを裏切ることになると思い、自分の思いを最後まで貫くことにしました」

自分の理想とする酒を追求することに決めた土井さん。そして、2018年には純米酒部門で10位を獲得します。

その結果に、周囲は喜んでくれたそう。しかし、土井さんは平成28BYの造りから導入した新しい甑の扱いにも慣れ、次の造りではもっといいお酒が造れると確信していました。

平成30BYの造りでは、この甑をフル活用して、前年よりもさらに手応えのあるお酒を造ることができたそうです。

宝剣酒蔵の日本酒

そして、今年の6月。「SAKE COMPETITION 2019」の表彰式に向かう際、土井さんは奥さんに「今年の酒は去年よりも間違いなく良くなった。5位、6位あたりには入るんじゃないかな」と話したといいます。

一方で、「この20年間、冬場は慢性的な睡眠不足と食欲不振、体重減少に悩まされてきた。それでも、まだ1番が取れていない。努力は報われない世の中なのだろうか」とこぼしながら、蔵を後にしたのでした。

次々と結果が発表され、「宝剣」の名前が呼ばれたのは純米酒部門の3位。壇上に上がった土井さんは「やったな」と思うと同時に、「上に2銘柄もある。もう1年頑張るしかないな」と、落胆していたのだそう。

そんな土井さんの耳に飛び込んできたのは、「1位、『宝剣 純米 レトロラベル』」という声でした。

土井さんは1位になったときのスピーチを用意していましたが、「自分の酒で勝負するのは苦しかったけど、努力って報われるんですね。ずっと僕が苦しんでいる姿を間近で見守ってくれた、妻に感謝です」と、こみ上げる喜びによって予定外のコメントを残したそうです。

さらなる高みを目指して、挑戦は続く

土井さんの酒造りの真髄は、いかに理想的な麹を造るかどうか。今でも自分で製麹をしているとのこと。

「麹を分析して、いい数値が出たからといって、いい酒ができるわけではありません。数値に出ない部分に、麹の真価が問われるんです。今日は満足な麹ができても、明日は思うようにいかない。昔は、造りの期間にわずか3、4回しか納得できる麹を造れませんでした。その回数を少しずつ増やせるように努力してきましたが、今でも半分に届かないんです。ゴールはまだまだ先ですね」

SAKECOMPETITION 表彰式での土井さんの写真

土井さんの挑戦は終わりません。表彰式の後も喜びは続きましたが、すぐに新たな決意を固めます。

「今回が頂点なら、あとは下がるだけ。来年も1位を死守する気持ちで造ります。気を緩めると、すぐに奈落の底に落ちてしまいますからね」

ストイックな土井さんの酒造りは、さらなる高みを目指して今季も続いていくようです。

(取材・文/空太郎)

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