2022年春、新潟市北区に位置する福島潟のほとりに、新しい醸造所「LAGOON BREWERY(ラグーン・ブリュワリー)」がオープンします。

ここで造るのは、海外輸出用の日本酒と、どぶろくなどの「その他の醸造酒」。オーナーを務めるのは、今代司酒造の元・代表取締役社長である田中洋介さんです。

なぜ、田中さんは日本酒の老舗蔵を退職し、新たに醸造所を立ち上げることを決意したのでしょうか。オープン前の醸造所を訪れ、田中さんにその想いを伺いました。

老舗酒蔵の元社長が独立を決めた理由

田中さんが新しい醸造所を開く構想に至ったのは、ちょうど2021年を迎えたころのこと。令和2年度の税制改正により「輸出用清酒製造免許制度」が新設され、2021年4月1日から申請受付が始まるというニュースが発表されたころでした。

現在の日本では、日本酒の製造に必要な「清酒製造免許」の新規発行が原則認められておらず、すでに免許を持っている酒蔵からの譲渡や、酒蔵の買収などの手段を取らない限り、新たな酒蔵を立ち上げるのは難しい状況です。

そんな中、新たに交付が始まった「輸出用清酒製造免許」によって、海外輸出のみを目的とするのであれば、日本酒を製造することが可能になりました。

LAGOON BREWERYの田中洋介さん

LAGOON BREWERYの田中洋介さん

酒造りに無縁だった前職から新潟市にある今代司酒造へと転職し、2021年に10年の節目を迎えた田中さんは、代表取締役のポジションを退き、お酒に関わる新しい事業を立ち上げようとしていたところでした。

「今代司酒造は、現在、NSGグループという新潟の企業が運営していますが、親会社がある企業というのは、ひとりの雇われ社長が経営を続けるより、一定の期間で成果を出して、次の人にバトンタッチしていくべきだと考えていました。家族経営とは異なり、多くの人たちの様々な能力を注ぎ込んでいったほうが成長するはずなのです」

2012年の入社当時は赤字だった今代司酒造の経営を立て直したのをはじめ、経営者としての実績を重ねていった田中さん。新型コロナウイルス感染症が拡大する中でも経営は安定し、社員たちも成長していることから、「いまこそ独立するタイミングだ」と考えたそうです。

「独立するなら、酒販店やツーリズムなど、引き続き日本酒に関わる仕事をしようと思っていました。まったく違う職種から今代司酒造に飛び込んだきっかけもそうだったんですが、私は日本酒を『かっこいい』と思っているんです。日本の伝統産業でもありますし、誇りを持ってできる一生の仕事だと思っています」

「潟(=LAGOON)」のほとりの醸造所

2021年2月に親会社であるNSGグループに退職の意思を告げ、4月には今代司酒造の社内で発表。新しい醸造所を始めるという田中さんの宣言に、社内外を問わず、「酒蔵の社長がどうして?」と驚きの声が上がりました。

「数年前に法改正の話題が出始めたころから、日本酒業界内でこれから新しい動きが出てくるだろうと様子を見ていました。ですが、『輸出用清酒製造免許』は海外輸出を前提としているためにハードルが高く、いまいち盛り上がっているようには見えませんでした。

せっかく国税庁が変えた法律を誰も活用しないようでは、この変化の流れが止まってしまう。日本一の酒蔵数を誇る新潟県で誰も活用しないのもおかしいと思い、『それなら俺がやるか』と思ったんです」

そう決意した田中さんのタイミングを見計らったように、ふたつの機会が訪れます。

LAGOON BREWERYの外観

新潟市・福島潟のほとりにある「LAGOON BREWERY」

ひとつは、新潟県の中でも田中さんのお気に入りスポットだった、福島潟のほとりにある物件との出会いでした。

「環境省の『日本の重要湿地500』にも選ばれている福島潟は、天然記念物のオオヒシクイをはじめ、数多くの渡り鳥が訪れる日本有数の飛来地です。新潟市の中心街からほど近いにもかかわらず、山々と水景が美しく、春には菜の花が咲き誇ります。『潟』がつく名前はとても新潟らしいですし、県外からお客さまが訪れると必ず案内する、大好きな場所だったんです」

醸造所にふさわしい場所を探していた田中さんは、たまたま福島潟にドライブに行った際、以前は飲食店だった日本家屋が空き物件になっており、内覧を受け付けていることに気がつきます。

「潟は渡り鳥がやってきて、また飛び立っていくための拠点であり、生命の多様性が育まれる場所です。この場所で多様なお酒を育んで、全国に羽ばたいていくイメージが、『LAGOON(=潟) BREWERY』の構想につながりました」

福島潟の風景

福島潟の風景

さらに同じころ、新潟市北区にあった酒蔵「越後伝衛門」が、無期限休業を発表します(※現在はオーナーが変わり再開)。

ここで杜氏を務めていた尾﨑雅博さんは、田中さんと同い年ということもあり、ふたりは今代司酒造時代から親しく交流していた間柄。この報せを受けて、田中さんは「一緒にお酒を造らないか」と尾﨑さんに声をかけます。

自己資金300万円に加え、信用金庫と政策金融公庫から融資を集め、ものづくり補助金を申請。2021年10月には物件を正式に借り入れ、尾﨑さんとともにオープンのための準備を開始しました。

「街のパン屋さんのような酒蔵」を目指して

LAGOON BREWERYが造るのは、輸出用の日本酒と、どぶろくをはじめとする「その他の醸造酒」です。

瓶詰されたLAGOON BREWERY「翔空」

現在、日本酒の醸造方法をベースとした「その他の醸造酒」を造る醸造所は増えており、東京都・三軒茶屋の「WAKAZE」や秋田県・男鹿の「稲とアガベ醸造所」、福島県・南相馬の「haccoba」などの若手醸造家たちが「SAKE(※)」と通称されるお酒の製造に意欲的に取り組んでいます。

(※)日本酒の醸造方法をベースに副原料を用いたり、掛米を使わずに全量米麹で造るお酒のこと。日本の法律では「日本酒」と呼ぶことはできないが、世界では「SAKE」として日本酒と並列に扱われることから、この呼称が使われることが多い。

LAGOON BREWERYも、「その他の醸造酒」の製造免許を活用し、日本酒の造りをもとにしたSAKEの製造を計画しています。どぶろくのほか、麹を焙煎したスモーキーなSAKEや、地域の名産であるトマトを副原料とした商品を考案中です。

LAGOON BREWERYの新ブランド「翔空」

LAGOON BREWERYの「翔空(しょうくう)」

銘柄の名前はすべて「翔空(しょうくう)」に統一。「潟を象徴する酒蔵でお酒が生まれ、大空へ羽ばたき、ファンとしてこの場所に帰ってくるように」という願いが込められています。

福島潟のある新潟市北区は、県内でも農業が盛んなエリア。LAGOON BREWERYでは、現在、「酒蔵から半径20キロメートル以内で栽培されている米のみを原料として用いる」という方針をたてています。そのうちの80%を、自然栽培や有機栽培など環境保全型の農業に取り組んでいる生産者の育てた米が占めています。

「慣行栽培を否定するわけではありませんが、酒造りにおいて環境保全型のお米はまだ存在感が小さいので、新たな選択肢として提示していければと。自然に恵まれた環境の中で造るので、自然環境に配慮する酒蔵でありたいと考えています」

一方で、お米の品種や精米歩合、酵母、酛などについては、初めから限定せず、さまざまなスタイルに挑戦していくそうです。

「この酒蔵の設備や道具にどんな原料や造りが合っているのかは、実際にやってみないとわかりません。酒蔵がゼロから始まるということ自体、いまの人たちはあまり見たことがないと思うので、酒蔵のアイデンティティが生まれていく様子を観察していただければと思っています。"育成型酒蔵"とでも言えばよいでしょうか」

LAGOON BREWERYの蔵内部

田中さん曰く、理想は「街のパン屋さんのような酒蔵」だとか。

「街のパン屋さんといえば、訪れると焼きたてのパンがあって、それが食卓に並ぶと、家族みんながほっこりするような存在ですよね。かといって、いつも同じものばかり作るわけではなく、季節によっていろいろな商品を作ることで、新しい発見や感動も与えてくれます。そういうパン屋さんのような酒蔵が、全国の街にあるような未来を描いています」

「小規模生産によって機動力を高めたい」と意気込む田中さん。1年目は50石からスタートし、2年目からは150石へ拡大を目指します。

「自分の性格に合った規模感でやりたいというのもありますが、周囲から見て『自分にもできそう』と思ってもらうのも大事なことだと思っています。見本と言うとおこがましいですが、自分の醸造所を設立したいと思っている人に勇気を与えられたらよいですね」

日本酒を造れないのは「もったいない」

田中さんが小規模での生産にこだわるのは、「2016年に海外のSAKE醸造所を訪れたことも影響している」といいます。

「ワシントン州シアトルのシダーリバーブリューイング(現在は閉業)を訪問したときに、こんなにも小さい規模で酒造りができるのかと驚きました。ほかの海外の醸造所もいくつか訪れましたが、手に入らない道具はDIYで作ったり、ビール用の器材を応用したりしている。その発想力を尊敬しましたし、ビールを自家醸造で造るという文化が、それだけ浸透していることにも感動しました」

シダーリバーブリューイングの蔵内

シダーリバーブリューイングを訪問した当時の様子

海外でSAKEを造る醸造所が増え、コンペティションなどでも品質の高いお酒が出品されるのを見ながら、田中さんは「このままでは、日本は海外に抜かれてしまうのではないか」と感じたそうです。

「世界中でクラフトビールのブームが起きたのは、アメリカでビール醸造所が次々と誕生し、隆盛した流れを受けています。現在、アメリカを中心にSAKE醸造所が増えてきていますが、これからクラフトビールのように盛り上がっていったときに、日本で新しいものが何も生まれないという状態では、負けてしまうんじゃないかと思ったんです。

焦りや危機感ではなく、それは『もったいない』と感じました。こんなに楽しい酒造りに、海外の人は自由にチャレンジできるのに、日本では何もできないなんてもったいない。どんな業界でも発展には新規参入がつきものですし、日本でも新しい動きが生まれるべきだと考えています」

LAGOON BREWERYの田中洋介さん

日本国内で新規参入の動きを活性化させるために、田中さんは、個々のSAKE醸造所が努力するだけではなく、「ほかの醸造所と連携することも必要」だと考えています。

「誰よりも先行してSAKEを造り始めたWAKAZEの存在は大きいですし、稲とアガベの岡住さんの発信力や、これから醸造所をさらに増やそうとしているhaccobaのバイタリティを尊敬しています。私は、みなさんよりひと周り年上の世代ですし、バックグラウンドも異なりますが、組めるところは協力していったほうが、新しいカテゴリーを確立していけるのではないかと。

海外輸出用のお酒を搾ったときに、『国内でも飲んでもらいたい』とSNSに投稿したら、フォロワーの方から『どうして国内では飲めないの?』と驚かれたんですよね。SAKE醸造所を応援するファンは増えていますが、広く一般の消費者の方に日本の現状を理解してもらって、課題意識を持ってもらう必要があると感じています。

熱意のある人がどんどん新規参入する潮流をつくるには、ある程度まとまって声を上げていくことも大切。その結果、『なぜ日本では飲めないの?』と疑問を持ってくれる人が増えていけば、将来的に法改正へとつながるかもしれません」

一方で「日本酒業界から後押しされるためには、『あなたたちがいてよかった』と思ってもらえるように頑張らなければならない」と強調する田中さん。新しいチャレンジをしながらも、従来の日本酒業界に深く関わってきた存在として、両者をつなぐ役割を担おうとしています。

「"マイクロ酒蔵モデル"を確立したい」

LAGOON BREWERYは、輸出用の日本酒の取引先として、北米やヨーロッパ、アジアに至るまで、広く13カ国と契約を結んでいます。

「いずれも今代司酒造時代からお付き合いがあって、個人的なつながりがあるところです。海外に関しては、ビジネスライクではなく"飲んで楽しい相手"という条件で取引先を開拓していたので、結果的に、情熱的なパートナーたちと関係性を築けています。

彼らも覚悟を持って海外で日本酒の事業に取り組んでいるので、今回の挑戦についても応援してくれました。こちらの成長の過程を伝えながら、ていねいに付き合っていけると思っています」

LAGOON BREWERYの新ブランド「翔空」

3月には醸造所と併設のカフェをプレオープンし、4月にはいよいよ本オープン。それに先駆けて、2月28日までのあいだ、クラウドファンディングを行っています。

「クラウドファンディングを行ったのは、資金調達のためだけではなく、今の日本酒業界が抱える課題を広く知ってもらうことも必要だと考えたからです。

リターンには『亀の尾』のどぶろく、『コシヒカリ』のどぶろく、『亀の尾』の全麹酒のほか、主にお酒が飲めない方に向けて、Tシャツやキャップなどのアイテムも用意しています。

また、『1年間を見守る頒布会』は、これからの1年間で仕込む全12本のお酒を、3カ月ごとにお届けするセットです。1年を通してLAGOON BREWERYのお酒を味わいながら、成長を見守っていただければありがたいですね」

LAGOON BREWERYの田中洋介さん

いよいよ酒造りが始まったLAGOON BREWERYの経営を通して、「"マイクロ酒蔵モデル"を確立したい」と語る田中さん。

「小規模にこだわることは、設備投資額を抑えられるなどのメリットにもつながります。この"マイクロ酒蔵モデル"を確立して発信することで、新たに酒蔵の設立を目指す人たちが増え、日本酒の多様性が広がっていく。そんな未来を描いているんです」

日本全国、そして世界中に日本酒/SAKEの現在地を伝える新しい醸造所・LAGOON BREWERY。多様性を象徴する福島潟から、いま、まさに飛び立とうとしています。

(取材・文:Saki Kimura/編集:SAKETIMES)

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