ワインやウイスキーの世界では、当たり前のように楽しまれている「熟成(ヴィンテージ)」という価値。実は、日本酒にも同じように、時を重ねることで生まれる特別な香りや味わいがあります。
そんな日本酒の「熟成酒」について、日本酒活動家の石渡英和(いしわた・ひでかず)さんに話を伺いました。酒税などを管轄する国税局の主任鑑定官として、酒類の品質評価に携わってきた経験があり、熟成酒の専門店のテイスターを務めるなど、熟成酒のプロフェッショナルでもあります。
記事の前半では、日本酒の熟成酒の特徴や魅力、そして楽しみ方を教えていただき、後半では、近年注目の熟成酒ブランド「八継」をテイスティングしていただきます。
色、香り、味、質感—時の流れによる変化
石渡さんは、熟成酒は「時間そのものを味わう体験」と語ります。
日本酒の熟成酒の魅力を理解するためには、まずは熟成(=時間の経過)によって何が変わるのかを知る必要があります。石渡さんによれば、熟成によって変化するのは「色」「香り」「味」「質感」という4つの要素とのこと。

元 国税局主任鑑定官の石渡英和さん
まず「色」については、日本酒は無色透明(もしくは黄色がかった透明)が一般的ですが、時間の経過による「メイラード反応」という化学反応によって、黄金色や琥珀色などに変わっていきます。
「これは、糖とアミノ酸が化学反応することで、褐色になる現象です。醤油や味噌の色が濃くなったり、玉ねぎを炒めた時に飴色になったりするのも『メイラード反応』ですね」
熟成による変化のスピードは主に貯蔵の温度で変わるそうで、0℃よりも低い氷温貯蔵などでは、10年以上の熟成でも新酒とほとんど変わらない色の日本酒もあるのだとか。また、精米歩合が低い大吟醸酒や純米大吟醸酒は、純米酒と比べて変化が少ないという傾向もあります。

熟成期間による色の変化の例
続いて「香り」の変化はさらに複雑です。石渡さんは、熟成酒の香りを構成する代表的な3種類の成分を挙げました。
「1つ目は、アルデヒド系の成分で、ナッツ・バニラ・カラメルのような香りです。人によっては、バラのような香りや少し焦げているような香りと表現されることもありますね。
2つ目は、エステル系の成分。果実感のあるフルーティーな香りが、熟成を経て、ハチミツのような甘やかな香りへと変化していきます。
3つ目は、イオウ系の成分で、これは評価が分かれます。熟成による不快臭を専門用語で「老香(ひねか)」と言いますが、これを構成しているのがイオウ系の成分です。ただ、最近の研究では、同じイオウ系でも不快に感じる香りと心地良く感じる香りがあることがわかってきました」
石渡さんによると、主にこの3種類の成分が複雑に混ざり合うことで、熟成酒の独特の香りが生まれているのだとか。

さらに「味」についても、大きな変化があります。
「新酒と熟成酒を比べると、新酒は要素がシンプルでシャープなため、味わいがストレートに伝わりますが、熟成酒は要素が多く複雑で、奥行きや深みが感じられます」
たとえば、フレッシュで爽やかな酸味を感じさせるリンゴ酸やクエン酸は新酒の味わいを際立たせるのに対し、熟成酒では、うまみとなるコハク酸や乳酸が味わいの骨格となるそうです。

最後に「質感(テクスチャー)」の変化については、まだまだ解明されていない点が多いといいます。
「時間の経過とともに、水分子とアルコール分子の立体構造が変わるため、それがなめらかな舌触りにつながるといわれています。長期熟成した日本酒に特有のとろりとした舌触りは、単なる成分の分析では測れない物理的な変化なのです」
江戸時代では当たり前だった熟成酒の文化
こうした日本酒の熟成酒は、江戸時代では当たり前のように飲まれていました。
当時の状況について、石渡さんは「江戸時代は冷蔵技術がまだなかったので、普通に飲まれていた日本酒は、ある程度は自然に熟成したものだったと考えられます」と話します。
灘や伊丹などの上方で造られ、船で何日もかけて江戸に運ばれた「下り酒(くだりざけ)」は大変な人気があり、当時の資料には、3年熟成や7年熟成の日本酒が高値で取引されていた記録が残っています。松尾芭蕉が詠んだ俳句にも『油のような酒』(※)という表現が出てきます。
※松尾芭蕉が49歳の時に詠んだ俳句『御命講や 油のような 酒五升』。油のようなとろりとしたコクのある日本酒だったとする説がある。

ところが、1878年(明治11年)の酒税法改正によって、日本酒を造った時点で税が課せられる「造石税」が導入されました。
現在の酒税法では、日本酒を出荷する時に税が課せられる「出庫税」が採用されているため、出荷する前の貯蔵しているお酒には、税金がかかりません。
しかし、「造石税」は造った時点で税が発生するため、貯蔵しているお酒も対象となります。売れる・売れないに関係なく、税金を納める必要がありました。
結果的に、酒蔵が利益を出すためには、熟成させずになるべく早く出荷(販売)したほうがいいという状況だったのです。
「日本酒の歴史を見れば、生酒などのフレッシュな日本酒が普通に楽しめるのは、この数十年の話。むしろ、熟成酒としての歴史のほうが長いと言えるでしょう」と、石渡さんは話します。
好みの熟成酒に出会うために
それでは、どうやって自分に合った熟成酒を見つければいいのでしょうか。
最初に知るべきは、熟成酒の多様性。熟成の期間や環境、さらにもともとの酒質によって、熟成酒の味わいは大きく異なります。
「甘口の日本酒は、熟成するとまろやかさが増す」と石渡さん。その一方で、辛口の日本酒は、骨格がしっかりとした引き締まった味わいになるのだとか。
「酒販店で熟成酒を購入する際のポイントは、スタッフに相談すること。『普段どんなお酒を飲んでいるか』『どんなシーンで飲みたいのか』『予算はどれくらいか』などの情報を伝えると、適切なものを選んでくれるはずですよ」
また、商品のラベルや店内の広告などから、熟成期間や貯蔵方法、香りや味わいの説明を確認します。初めての場合は、価格がリーズナブルなものや熟成期間が浅いもの、小容量のものから始めてみましょう。

ただし、注意も必要です。「『熟成酒』や『古酒』と書かれていても品質はさまざま。管理状態の良し悪しが味に大きく影響します。信頼できるお店を見つけることが重要です」と、石渡さんは強調します。
あるいは、熟成酒を提供している日本酒居酒屋などを何度か訪問して、自分の好みを伝えながら、新しい熟成酒に挑戦していく。そんな楽しみ方が理想的かもしれません。
熟成酒の楽しみ方を広げる「ペアリング」と「温度帯」
熟成酒のペアリングについても、石渡さんは興味深い話をしてくれました。
「しっかりとした複雑な味わいなので、濃い味付の料理でも合わせられる。熟成酒には、包容力があります」
特にうまみの成分であるコハク酸が増幅しているため、「ペアリングの相乗効果が期待できる」といいます。西洋料理や肉料理とも合わせやすく、幅のあるペアリングが楽しめます。
意外なのが、スパイシーな料理との相性です。
「カレーやエスニック料理が意外と合う。普通のお酒では、お酒の味が料理の味に負けてしまいますが、熟成酒はスパイスなどの刺激もうまく包み込んでくれる」といいます。
ハーブの効いた料理や辛味のある中華料理なども相性が良いそうです。

加えて、幅広い温度帯も魅力です。
冷蔵庫やセラーで冷やすと、香りは穏やかに、輪郭はシャープになります。常温では香りが開いて、バランスのとれた味わいに。少し温めると、さらに香りが立ち上り、まろやかさが増します。ただ、大吟醸系の熟成酒は、常温か少し冷やして楽しむのがおすすめです。
ちなみに、自宅で熟成酒を楽しむ際、石渡さんが重視するのがグラス選びです。

ボウル部分の重心が下にあるワイングラスの例
「チューリップ型のグラスがいいと思います。スワリングもできるし、香りがキープされます。ワイングラスの場合は、小さめのボルドー型のような、(ボウル部分の)重心が下にあるものも適しています。何より、色が楽しめるように、透明なグラスがいいでしょう」
さらに、自宅で楽しむ際のもうひとつのコツは、時間をかけてゆっくりと味わうこと。
「数日かけて、一本の変化を観察しながら飲んでみる。時には温度変化を楽しみながら少しずつ飲んでいくことで、熟成酒の奥深さがよりわかると思います」
50年の長期熟成酒「八継」を味わう
さて、実際に熟成酒を味わってみましょう。
今回は、2023年に誕生した熟成酒ブランド「八継(はっけい)」を、石渡さんにテイスティングしていただきました。1973年に醸造されたという50年熟成の商品を中心に、異なる個性をもつ4種類の熟成酒がラインナップされています。
「八継」のコンセプトは「時間を旅する」。まさに、日本酒における「時間」という価値を新たに提案する熟成酒ブランドとして、注目され始めています。

テイスティングするのは、1973年醸造の「八継 刻50 純米」と「八継 刻50 本醸造」、2008年醸造の「八継 刻15 実楽」、2007年醸造の「八継 刻17 伝承」という4種類。
石渡さんがそれぞれをテイスティングした時のコメントは、熟成酒の多様性を物語るものでした。

八継 刻50 純米
「八継 刻50 純米」は、50年という歳月を経た純米酒。石渡さんは、香りの第一印象について「日本酒とは思えない」と驚きました。シェリー(スペインの白ワイン)を思わせる香り、ドライマンゴーやドライイチジクのような凝縮した香りが立ち上ります。
「ただ、余韻に穀物感があるため、日本酒らしさも感じました」。入口は洋酒のようで、口に含むと日本酒らしい味わいが見えてくる。引き締まった輪郭と骨格をもった「素晴らしいお酒」と評価します。
どんなシーンで飲みたいかと尋ねると、「ホテルのバーがいいな。おしゃれな空間で、自分の大事な人と飲みたい」とのこと。合わせるおつまみは、「シンプルにナッツ系が合うと思いますが、私はこれだけで飲みたい」と、単体で完成された味わいを強調しました。

八継 刻50 本醸造
「八継 刻50 本醸造」も同じく50年熟成ですが、その個性は異なります。香りの立ち方がシャープで、レーズンなどのドライフルーツやハチミツのような香りを感じるといいます。
口に含むと「酸味が少し際立っていて、わずかに渋味も感じる」。そして興味深いことに、「まだポテンシャルがあるんじゃないかと思わせる」お酒だといいます。50年も熟成しているのに、まだポテンシャルがある。これも熟成酒のロマンです。
余韻は「スッと消えていく」というバランスのとれた味わい。ペアリングとしては、「京風の上品な和食と合いそう。お互いを引き立て合うのでは」とのことです。

八継 刻15 実楽
「八継 刻15 実楽(じつらく)」は、製造元の沢の鶴が長年契約している山田錦の産地・実楽の地名を冠した15年熟成。「香りがスパイシーでパンチがある」と石渡さん。ロースト感やカラメルを思わせる香りが特徴です。
さらに「全体のバランスが素晴らしく、後味に米のうまみを感じます」と評価。どんなペアリングを楽しみたいかと問うと、中華料理が挙がりました。スパイシーな香りが、中華料理のような強い個性のある料理と相性が良いのではないかと話しました。

八継 刻17 伝承
最後の「八継 刻17 伝承」は、精米歩合33%の大吟醸酒を17年間、低温で熟成させたもの。石渡さんにとって、この一本が今回最大のサプライズでした。
「これまで体験したことがない香り」と、米を蒸した時の香りに加え、ココナッツのような香りを感じ取ったといいます。そして「八角のような香りもありますね」と驚く石渡さん。スパイスのような刺激のある香りも感じられたそうです。
石渡さんは「これは初体験」と繰り返し、「想像を膨らませてくれるお酒」と評しました。この一本を楽しむシーンとして、エスニック料理との相性を想像しながら、「香り・味わいの特徴やペアリングについて、みんなで意見を交わしながら飲みたい」と語りました。

過去を振り返り、未来に想いをつなぐ「熟成酒」
「八継」の4種類のラインナップをテイスティングした石渡さんは、日本酒の熟成酒の価値を改めて評価しました。
「一般的な日本酒は、そのお酒を造った人が生きているうちに、商品としてお客さんに届けることができる。しかし、『八継』のような長期熟成酒は、もとのお酒を造った人とそのお酒を送り出す人の世代が替わっている。それが、長期熟成酒が普通のお酒と異なる大きな点のひとつでしょう」

「八継 刻15 実楽」や「八継 刻17 伝承」のような十数年の熟成であれば、商品としての完成や飲んだ人の感動を、造り手自身が見届けられるかもしれません。ただ、「八継 刻50 純米」や「八継 刻50 本醸造」のような50年以上の熟成となると、そうはいかないでしょう。
その時代の造り手から、次の時代の造り手へ。未来の可能性を信じる想いのバトンをつないでいく。それが、熟成酒のロマンです。

「50年という時間の積み重ねは、簡単に再現できるものではない」と、石渡さんは強調します。だからこそ、貴重な一口を味わいながら、飲み手自身がたどってきた時間をゆっくりと振り返ること、それが熟成酒の大きな楽しみのひとつと言えるでしょう。
日本酒の長い歴史のなかで楽しまれてきた熟成酒の文化。その魅力が現代に再び注目され、日本酒の新たな価値として提案されています。時の流れが織りなす豊かな風味の熟成酒で、豊かな時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。
(取材・文:土田貴史/編集:SAKETIMES)
◎商品の概要
- 商品名:八継 刻50 純米
- 原材料:米、米麹
- 精米歩合:70%
- アルコール度数:16.5度
- 醸造年:1973年
- 製造者:沢の鶴株式会社
- 内容量:720mL
- 販売価格:275,000円(税込)
- 販売場所:「八継」公式オンラインストア
- 商品名:八継 刻50 本醸造
- 原材料:米、米麹、醸造アルコール
- 精米歩合:70%
- アルコール度数:16.5度
- 醸造年:1973年
- 製造者:沢の鶴株式会社
- 内容量:720mL
- 販売価格:275,000円(税込)
- 販売場所:「八継」公式オンラインストア
- 商品名:八継 刻15 実楽
- 原材料:米、米麹
- 精米歩合:70%
- アルコール度数:17.5度
- 醸造年:2008年
- 製造者:沢の鶴株式会社
- 内容量:720mL
- 販売価格:33,000円(税込)
- 販売場所:「八継」公式オンラインストア
- 商品名:八継 刻17 伝承
- 原材料:米、米麹、醸造アルコール
- 精米歩合:33%
- アルコール度数:16.5度
- 醸造年:2007年
- 製造者:沢の鶴株式会社
- 内容量:720mL
- 販売価格:77,000円(税込)
- 販売先:「八継」公式オンラインストア
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