蔵元も若ければ杜氏も若い、埼玉県幸手(さって)市にある石井酒造。
蔵元・石井誠さんは20代で蔵を継ぎ、数々の企画を立ち上げ、若さを武器に新しい風を日本酒業界に吹かせている新星です。そして、その蔵の杜氏が1986年生まれ・現在30歳の和久田健吾さん。大学卒業後すぐに杜氏として石井酒造の酒造りに関わってきました。
蔵元と同じ20代で酒造りを支える役割を担った和久田さんは、いったいどのような人物なのでしょうか。
研究よりも造りをやりたい。"酒造り"に魅了されるまでの経緯
静岡県浜松市で生まれ育った和久田さんは、東京農業大学への入学を機に上京。醸造科にて酒造りを学びました。その時からすでに、酒造りの世界を目指していたのでしょうか?
「もともとは微生物を学びたいと思っていました。それで大学・学科を調べていたところ、醸造科というものがあることを知り、両親と相談して入学を決めました。在学中に、醸造の授業や蔵へ研修に行くようになり、酒造りへの興味が大きくなっていったんです」
その後、大学院へと進んだ和久田さんですが、研究者よりも現場に魅力を感じていたと言います。
「研究だけをするよりも、現場に携わっている方が自分に向いている気がしました。もともとお祭が好きだったのですが、祭を通じて日本文化に触れていくうちに、”日本のモノづくり”に興味が湧いてきたんです。だからでしょうか、流通や経営でもなく、”自分で酒造りをやる”ことを考えるようになりました」
大学院を卒業後、日本酒の製造関係に携われないかと思っていた矢先、知人を通じて石井酒造を紹介してもらいました。当時はまだ学生だった石井さんとの最初の出会いです。
石井さんからは蔵の簡単な説明があったのみで、すぐに当時の石井酒造代表(現在は会長)との面接が行われました。実はこの時点で、すでに石井さんの心の内には「和久田を入社させる」という強い意思を持っていたそうです。
先代は、息子の誠さんに蔵を継がせる意向を示していましたが、その際に「一緒に酒造りをしていく人材を連れてきて欲しい」と願っていたそうです。そこで、「息子(誠さん)が選んだ和久田さんなら間違いなし」と、即、入社が決まりました。こうして、和久田さんの酒造りのキャリアがスタートします。
目の前のことで手一杯だった、杜氏としての第一歩
入社して1年目からさっそく酒造りを始めることとなった和久田さん。念願叶ったとはいえ、いきなりの実践とは驚きです。そのノウハウはどうしたのでしょうか。
「まずは3ヶ月間、小山酒造で現場を見させてもらいました。仕込みの流れの確認、機械の扱いなど、本当に基本的なことを学びました。蔵で仕込みが始まってからは、大学の先輩に教えてもらったりと、身近なつながりを頼りに試行錯誤していました。1年目は”きちんと酒になるかどうか”を心配するレベル。とにかく、スタンダードな酒造りをしようと心掛けていました」
はじめての酒造りで仕込んだ1本目は普通酒、それができ上がったら2本目に大吟醸、3本目は純米と、初年度はタンク1本ずつ仕込む方法を取ったそうです。それでも酒造り1年目で様々な仕込みに挑戦するのは異例と言えるでしょう。
「誠さんが蔵に戻ってくるまでに醸造の技術を上げておいて欲しい、ということだったので、最初から全てを任せてもらえたのかもしれません」と和久田さん。
最初は、蔵に貯蔵されていた前杜氏が造ったお酒とブレンドして、商品として大きな味のズレがないように整えて販売していました。このころに和久田さんご自身が醸したお酒について次のように語ります。
「とにかく教科書通りに進めた、という感じで、技術や味に気を配れるレベルにはありませんでした。何より、お酒が出来上がったという安堵感。それだけでした」
まだまだ目先のことだけで手一杯だったようです。こうして、石井酒造の若き杜氏が誕生したのです。
若い蔵元・杜氏がタッグを組んで挑む"業界初"の試み
石井酒造に入社し、造り手としての道が開かれた和久田さん。入社3年後には蔵元が代替わりし、当時26歳で”業界最年少蔵元”だった誠さんとの仕事が始まりました。
そこで和久田さんに、いきなりの大仕事が舞い降ります。酒蔵が企画する初めてのクラウドファンディングのプロジェクトを、蔵元の石井さんから持ち掛けられたのです。プロジェクトの内容は、集められた資金で、大吟醸「二才の醸(にさいのかもし)」を造ることでした。
目標金額を見事達成し、たくさんの支援が集まりました。支援者とは、つまりは新しく造られるお酒の購入者のことです。
「酒造り前の段階で、これだけ購入者(支援者)が決まっているというのにはとても驚き、そして失敗出来ないというプレッシャーを感じました」と語る和久田さんですが、プレッシャーを押し退け、淡々と酒造りに専念したようです。
「以前、鑑評会に出品した吟醸酒が入賞を果たし、そのデータを元に酒造りをすれば大きな失敗はしないのではないか、という気持ちがありました。また入社してからこれまでの酒造りの経験も活かされました」
それでも吟醸酒は最後まで気が抜けません。搾ったお酒を呑んだ時、これなら支援者にも満足してもらえると確信し、実際に高評価を得ることができたのでした。
その後、さらに責任重大な仕事を石井さんから任されます。
石井さんが打ち出した新たな企画「埼玉SAKEダービー」です。米・精米歩合・麹・酵母を同じものを使い、埼玉県内にある2蔵同時に酒造りをして”どっちの酒が美味しいかを対決する”という企画です。くしくも、対決相手である寒梅酒造杜氏の鈴木隆広さんは、大学時代の研究室の先輩でした。
まさに”杜氏の腕が試される”企画。このとき仕上げたお酒のできはどうだったのでしょう。
「コンセプトにあった酒を造るというのを念頭に置いていました。実際に、特徴を活かした酒ができ上がったと思っています」と手応えを感じていたようです。
対決相手は大学時代の先輩。やりづらさはなかったのでしょうか。
「この時は、原材料が全く同じということで、お互いの蔵を行き来することが多かったのは、逆に嬉しかったです。先輩の技術や考え方などを目の当たりにでき、とても勉強になりました」
先の12月には、第2回目となる「埼玉SAKEダービー」が行われたばかり。今回のお酒についても、和久田さんなりの工夫をもって醸造に取り組んだそうです。
「今回は、”食用米の使用”と”精米歩合”だけが同じで、他は自由設計でした。そのため、自分が呑みたいと思う味を追求して造りました。このように一から十まで自分の思い通りに造らせてもらえたことに感謝しています」
杜氏の和久田さんは、今年で入社6年目。入社後に蔵元が同世代の石井さんとなり、新しい企画を任されるようになったわけですが、次々に展開するこれらの取り組みを、率直にどのように感じていらっしゃるのでしょう。
「とにかく毎回話が急過ぎて、正直とても大変です(笑)。 ドタバタと準備をして、気づいたら終わっていた……という感じですね。でも、このような企画のおかげで、新しい造りにチャレンジできることはとても楽しいですね」
新しく難しい要望もチャンスと捉え、自分の糧になるよう行動できることも、和久田さんの実力なのでしょう。
二人三脚で醸す石井酒造のお酒
石井酒造の杜氏としての役割をしっかりと果たしつつ、造りの技術も高めていった和久田さん。石井さんとの二人三脚が始まって以来、石井酒造のお酒は、どのように変わっていったのでしょうか。
「(誠さんが現社長になってから)味の設計をしっかり決めよう、とふたりで話し合いました。その中でも、代表銘柄でもある今の『豊明』が、もっとも”石井酒造らしい味”だと思います」
「豊明」は特定名称酒ですが、他のお酒も徐々に特定名称酒へと移行しているそうです。
「地元の冠婚葬祭で使用する普通酒を造っていますが、その他は徐々に特定名称酒にするつもりです。現在の本醸造も、次の仕込みからは純米にする予定なんです。
普通酒の消費が停滞し、特定名称酒の消費が増えている今、消費者に求められている特定名称酒に注力し、今の時代にあった酒造りをすることは重要だと思いますね」
とはいえ、蔵人の数も多くない石井酒造では、管理の難しい特定名称酒ばかりを造るのは容易ではないでしょう。
「仕込みの量を調節することで対応しています。純米、純米吟醸などは、一度に仕込むタンクの上限を決めているんです。きっちり管理を行き届かせるために、自分ひとりでも見切れる量にしています」
蔵が目指す方向性も決まりつつあり、仕込みも、管理も、年々技術が上がってきている和久田さんが醸す石井酒造のお酒。今後、ますます酒質も良くなり、美味しくなっていくことは間違いないようです。
”埼玉らしい味”を目指し「埼玉=日本酒」のイメージ定着化を図る
最後に、和久田さんが石井酒造の杜氏としてどのように酒造りに向き合っていくのか、石井さんが「これから盛り上げていきたい」と言っている埼玉清酒全体についてどのように思っているのかをお伺いしました。
「現在、石井酒造の製造を全て任されていますが、ようやく”石井酒造の味”がまとまってきたところです。その安定化が今のところは一番重要ですね。他には、どんな状況でも対応できるような、応用力を身に付けたいと思っています。社長(誠さん)の急な企画にも対応しなければいけませんからね(笑)」
では、埼玉県全体の日本酒については、どのように考えているのでしょう。
「『埼玉=日本酒』というイメージを定着させたいですね。できれば県とも協力して、県内のさまざまな蔵と力を合わせていければと考えています。それには”埼玉らしい味”ができ上がると良いかもしれません。埼玉には『さけ武蔵』という酒米がありますが、個人的には、それを使うことによって埼玉らしさを出せると思っています」
「豊明」にもさけ武蔵を使用していますが、この酒米はなかなかのじゃじゃ馬で、扱いが難しいのだそう。しかし、だからこそ「使いこなしがいのある米」だと和久田さんは言います。
「埼玉といって日本酒を思いつく人は、現時点ではほんどいないでしょう。しかし、石井酒造のような”埼玉清酒へのプライド”をもった蔵が増え、「さけ武蔵」という酒米と、それで醸したお酒が注目を集めれば、次第に”埼玉らしい酒とは何か”がカタチづくられていくのかもしれませんね。
新しい企画を打ち出す蔵元と、それにしっかりと応える杜氏。業界の中でも群を抜いて若いこのコンビは、今後どういったお酒でわたしたちを楽しませてくれるのでしょう。石井酒造のこれからに、大いに期待をしたいと思います。
(取材・文/まゆみ)
sponsored by 石井酒造株式会社