新潟県内で長く親しまれてきた『極上吉乃川』が、2026年8月で終売となりました。
1985年の発売以来、日々の食卓や飲食店で愛されてきた代表商品を終売するという決断は、吉乃川にとって決して簡単なものではありませんでした。

1985年の発売以来、売上の主力だった定番商品を終売にしてまで吉乃川が挑戦するのは、酒蔵としての理念から、酒質設計、醸造・品質管理の設備、商品体系、ロゴやデザインに至るまで、自分たちのすべてを見つめ直す全面的なリブランディングです。
なぜいま、これほどの大きな変革に踏み切ったのでしょうか。
前回の記事では、今回のリブランディングにつながる大きな転機として、創業家以外から初めて社長に就任した峰政祐己(みねまさ・ゆうき)さんが取り組んできた課題と成果を紹介しました。
今回の記事では、リブランディングという大きな決断の裏にあった危機感と次の時代へつなぎたい吉乃川の姿について、20代目蔵元の常務取締役 川上将司(かわかみ・しょうじ)さんに話をうかがいました。
創業470年超の老舗酒蔵に突きつけられた現実
吉乃川が2026年9月に発表したリブランディングは、単なる新商品の発売やパッケージの変更に留まりません。
酒蔵としての理念をはじめ、酒造りの考え方、酒質設計、商品体系、デザイン、ロゴやシンボルマークなどのCI(コーポレート・アイデンティティ)、さらには醸造設備や品質管理に至るまで、吉乃川が長く積み重ねてきたものを全面的に見つめ直す取り組みです。

背景にあったのは、飲食店市場の変化による主力商品の苦戦と、日本酒を取り巻く消費環境の大きな変化でした。
飲食店を中心に長く支持され、吉乃川の屋台骨を支えてきた『極上吉乃川』や『厳選辛口 吉乃川』も、飲食習慣や市場環境が変わるなかで、販売状況が変化していました。長年にわたって吉乃川の屋台骨を支えてきた定番商品の苦戦に、酒蔵としての今後のあり方が問われていたのです。
「これらの商品は、長らく吉乃川の土台となってきたお酒です。それゆえに、その土台に触れるという発想はこれまでありませんでした。しかし、それでも何か手を打たなければいけない段階に来ているという思いは以前からありました。
当初は主力商品のパッケージを変更するリニューアルを考えていましたが、話し合いを重ねるうちに、この土台へ手を入れることは“吉乃川そのもの”に向き合うことだと気付きました。それなら、商品の見た目だけではなく、吉乃川のあり方から考え直そうと舵を切りました」

吉乃川株式会社 20代目蔵元 川上将司さん
さらに、日本酒の飲まれ方や選ばれ方の変化も大きな要因でした。
昨今の日本酒市場では、限定性や希少性、造りの背景やストーリーなど、商品の付加価値に魅力を感じる消費者が増えています。一方、吉乃川が長く強みとしてきたのは、日々の食卓で気軽に楽しめる日常酒でした。
「日本酒の選ばれ方は、時代の変化とともに大きく変化しています。ただ、吉乃川としては、“日々“のうまい日本酒が誰でも気軽に飲めること。この土台は、手離してはならないと思いました。
その上で、自分たちの技術を磨きながら、特別な日に飲んでいただくプレミアムで高付加価値なお酒も造ること。吉乃川らしくあり続けるために、その両立をどのように実現するかを考えなければいけないと思いました」

大学卒業後に大手ビール会社で営業職を経験し、2023年に吉乃川へ入社した川上さん。入社後は経営だけに身を置くのではなく、酒造りや瓶詰めといった製造の現場で働く人たちと同じ時間を共有し、ともに汗を流しました。
日本酒業界の外で培った視点と、現場で体感した酒造りのリアル。その両方を通じて見えてきたのは、変えるべき課題だけではなく、従業員の誠実さや酒造りへの真摯な姿勢、そして蔵への愛着という、吉乃川がすでに持っている強みでした。
「従業員のためにも、伝統を守るだけでなく、時代に必要とされる酒蔵になりたい。そのためには、中途半端に妥協した表面的な変化ではいけないと思ったのです」
吉乃川が大切にするもの、次へと残すべきものを問い続けながら、今回のプロジェクトは進んでいきました。
“吉乃川らしさ”を改めて言葉にする
近年、新ブランドの立ち上げやパッケージのリニューアルの事例は日本酒業界で多く見られますが、CIや酒質設計、商品のラインナップなどに至るすべてを見直す例は多くありません。ましてや、全国的にも名の知れた歴史のある地方蔵であればなおさらです。
「すべてを見つめ直す」と決めたものの、そのプロセスは難航の連続でした。プロジェクトが本格化してからもっとも時間を費やしたのは、デザインや商品開発よりも前にある、“吉乃川そのもの”を言葉にする作業です。

「私たちは何のためにお酒を造るのか、吉乃川が造るお酒はどういうものか、ブランディングやマーケティングを担当する姉(麻衣さん)や峰政社長、ブランドパートナーの方々と何度も話し合いました。同じ方向を見ているつもりでも、言葉にすると各々で少しずつ違う。そのすり合わせが一番難しかったですね」
吉乃川の特徴は、「楽しい」なのか「やさしい」なのか。「毎日に寄り添う」なのか「毎日を大切にする」なのか。わずかな言葉の違いでも、受け取る印象は変わります。
吉乃川が470年以上続いてきたなかで、何を変えずに残し、何を変えるのか。
その基準をつくるための議論の末に定まった新しい企業理念は「お酒づくりを通じて、すべてのひとの豊かな毎日を醸しつづける。」。そして、ブランドメッセージは「毎日を、こんこんと、やさしく。」です。

当初の案は「毎日を、こんこんと、楽しく。」で、社内でも「楽しく」という言葉を支持する声が多いなか、川上さんはあえて「やさしく」を提案したといいます。
「僕も“楽しい”は大事だと思います。でも、お酒って楽しい時だけにあるものではないと思ったんです。悲しい時やつらい時に、気持ちをほぐしてくれることもある。楽しさも含めて、もっと大きく包み込める言葉が“やさしさ”なんじゃないかと思いました。お客様に対しても、蔵で働く人に対しても、“楽しい蔵”より“やさしい蔵”でありたいんです」
その言葉は、お酒の味わいにも、蔵としての姿勢にも重なりました。モチーフとしたのは、社名にも刻まれている「川」です。
「川は土地を潤し、人の暮らしに寄り添いながら、過去から現在、そして未来へと絶えず流れ続けます。長岡という土地でお酒を醸し続けてきた吉乃川が、これまでを受け継ぎながら次の時代へ進む。その姿を象徴するものとして、“川の流れ”をリブランディング全体の共通テーマに決めました」
CIや商品などのデザインは、2019年に発売したブランド「みなも」でタッグを組んだ徳田祐司(とくだ・ゆうじ)さん率いる株式会社カナリアが担当。情緒的な美しさと売り場での視認性、マーケティングの視点などをどのように両立させるか、何度も議論を重ねました。

完成したシンボルマークは、“絶えず続く川の流れ”を想起させる上品な佇まいに。吉乃川の象徴だった髭文字のフォントも、従来から受け継ぐ筆文字という伝統を残しながら、角をやわらげ、優しさや親しみやすさが伝わる柔らかな書体へと生まれ変わりました。
たどり着いた理想の味わいは「美味淡麗」
言葉やデザインを整えるだけでは、リブランディングは成り立ちません。次に向き合ったのが、「吉乃川らしい味わいとは何か」という問いでした。
新潟県の日本酒を表す言葉として知られる「淡麗辛口」。しかし、吉乃川の味わいを改めて見つめ直すと、単に「辛口」と括るだけでは伝え切れないことに気付きます。
そこで、杜氏や製造のメンバー、そして外部の有識者も交えながら、吉乃川として目指す味わいを徹底的に言語化して、たどり着いたのが「美味淡麗(びみたんれい)」です。
「目指したのは、食事よりも前に出過ぎず、食卓の時間そのものを豊かにする味わい。きれいな酒質を土台に、上品な甘味、穏やかな酸、豊かな旨味が調和し、心地よい余韻を残しながら、最後はすっとクリアに収束するイメージです。この『美味淡麗』が吉乃川の全商品に共通する新たな軸となります」

理想の酒質を保ち続けるために、醸造設備にも大きく手を入れました。
「高い品質を安定して届けるには、設備の刷新が不可欠でした。まずは、年間を通して計画的に仕込める四季醸造に取り組み、酸化のリスクを徹底して抑える設備も新たに導入しています。さらに、特定名称酒を中心とした瓶貯蔵への切り替えを進め、冷蔵貯蔵の収容能力も四合瓶換算で従来の約5万本から約6倍となる約30万本規模まで一気に広げました。
こうした環境を整えたことで、フレッシュなお酒はみずみずしく、寝かせるお酒は最適な熟成期間を見極めてお届けできるようになりました」
高級酒だけを丁寧に扱うのではなく、日々の食卓で飲まれるお酒まで、最高の状態で届ける。そこには、吉乃川が今回のリブランディングで掲げた「毎日を豊かにする」という考えが、品質管理の形としてそのまま表れています。

新しい吉乃川の輪郭が固まる一方で、最後まで大きな葛藤となったのが、看板商品「極上吉乃川」の終売でした。
1985年の発売以来、たくさんの愛飲者に恵まれ、吉乃川の営業担当もこの商品を通じて飲食店や酒販店と何十年も信頼関係を育んできました。「極上吉乃川」は単なる主力商品ではなく、吉乃川の歴史を象徴する存在だったのです。
長年親しまれた名前やラベル、そしてそのお酒とともに紡がれてきた思い出を手放す苦悩は、最後まで消えることはありませんでした。社内でも「なんとか残せないか」「限定販売で継続できないか」と何度も議論が重ねられたといいます。
川上さんは、その決断に苦渋の思いを滲ませつつも、前を向きます。
「長年のファンの方々のなかには、驚きや寂しさを感じられる方もいらっしゃると思います。ですが、長く愛されてきたものの価値を見つめ直し、その役割を次の時代にふさわしい形で受け継ぐこと。それこそが、吉乃川が掲げる『変わらないために、変わる』をもっとも象徴する決断です。
決して役割を終えたわけではありません。『極上吉乃川』が担ってきた“日々の酒”という役割は、新しい吉乃川へ、きちんとつないでいきます」
時代に寄り添い、絶えず流れ続ける吉乃川
新たな吉乃川は、2026年9月中旬に出荷を開始しました。約3年に及んだプロジェクトを経て、川上さんは「ここからが大事です」と話します。
「どんな反応があるのか、楽しみでもあり、怖さもあります。もちろん批判もあると思います。でも、ここまでやると決めた以上、中途半端にはしたくなかった。成功するかどうかは、これからです。ただ、少なくとも自分たちが納得できる状態でスタートラインに立つことができたと思っています」
細部に至るまで妥協せず、真剣に意見を交わしながらものづくりと向き合う日々は、川上さんにとって吉乃川の歴史を見つめ直すきっかけになりました。

「吉乃川は創業470年を超えていますが、その歴史は、何も変えずに守ってきた歴史ではないと思います。先人たちも、それぞれの時代で必要な挑戦をしてきたから今がある。今回のリブランディングも、そうした挑戦の歴史のなかにあるものだと思っています」
大きな変革へ舵を切りながらも、吉乃川が手放さなかったのは、「毎日を豊かにするお酒を造り続ける」という使命でした。
特別な日の一杯だけでなく、日々の食卓にある一杯を大切にする。その原点を守るために、すべてを見つめ直したのが今回のリブランディングです。

「毎日に寄り添い続けながら、これまでにない価値にも目を向けていきたいですね。吉乃川が変わらず吉乃川であるために、これからも変わり続けていきます」
時代を超えて挑戦を重ねてきた吉乃川。その清らかな流れは止まることなく、これまで紡いできた歴史を胸に抱きながら、新しい時代を潤す一歩を踏み出します。毎日に寄り添い紡がれる、その新たな流れに期待しましょう。
(取材・文:渡部あきこ/編集:SAKETIMES)
sponsored by 吉乃川株式会社


