千葉県北部中央に位置する町、酒々井(しすい)町。町名に「酒」がつくこともあり、日本酒と深い関わりのある町です。飯沼本家は酒々井町において唯一の酒蔵であり、300年以上前から酒造りに取り組んでいます。

地域に根付く酒蔵は、町の発展とともに歩んできた存在でもあります。酒々井町に住む人たちにとって、飯沼本家はどのような役割を担っているのでしょうか。今回は、町の歴史や飯沼本家との関わりについて、酒々井町の町長・小坂泰久さん、酒々井町酒米組合の組合長・齊藤一郎さんに話を伺いました。

町名の由来は「酒の井伝説」

都心から電車で約1時間半、酒々井は人口約2万人の町です。JR線と京成線の2線が通っているため交通の便が良く、千葉や成田方面で働く人のベッドタウンにもなっています。

明治22年に施行された町村制によって、16町村が合併し、もっとも人口の多かった酒々井町の名前が残って現在に至るため、日本で最古の町ともいわれています。そして、町名に「酒」がつく自治体は全国でも珍しいと小坂町長は話します。

酒々井町の町長・小坂泰久さん

酒々井町の町長・小坂泰久さん

「日本において、酒々井町と酒田市(山形県)の2つだけが『酒』の字を冠しています。その縁もあって、酒田市とは懇意にさせていただいています」

また、6つの酒蔵がある酒田市と同様に、酒々井町にもまた、酒との深い関わりがあります。そのひとつが「酒々井」の起源になったと伝えられている「酒の井伝説」です。

一生懸命に毎日働き、酒好きの父親に酒を買っていた親孝行の息子。ある日、どうしてもお金が用意できずに肩を落として歩いてると、道端の井戸から本物の酒が湧いたという言い伝えです。その井戸が「酒の井」と呼ばれるようになり、酒々井町の由来になったのだとか。

「印旛沼(いんばぬま)にも面しているため、昔から湧き水の井戸も多かったのでしょう。水量も豊富なので酒造業や農業には最適な環境でした。佐倉藩に納めていたのも、ほとんどが酒々井の米だったといわれています。肥沃な土壌のおかげで美味しい米が採れたことから、美味しい酒ができたのでしょう」(小坂さん)

飯沼本家の外観

古くから酒との深い関わりをもつ酒々井町。そんな町で酒造りを行う唯一の酒蔵として、飯沼本家は大きな役割を担っていると小坂町長は話します。

「酒との関係が切っても切り離せない酒々井町にとって、飯沼本家の存在は大きいですね。酒蔵と観光を掛け合わせた『酒蔵ツーリズム』などの取り組みによって、町のイメージアップや知名度の向上にも貢献していただいています。酒々井町を象徴する存在です」

目指すのは「酒々井に還元できる蔵」

酒々井町では、30年以上も前から町おこしの一貫として酒米を育てています。米農家の有志によって酒米組合が立ち上がり、試行錯誤をしながら土地に合う酒米を探っていったそうです。酒々井町酒米組合の組合長・齊藤一郎さんに、設立当初の話を伺いました。

酒々井町酒米組合の組合長・齊藤一郎さん

酒々井町酒米組合の組合長・齊藤一郎さん

「酒米を作るようになったのは、全国で米が余るようになり、生産調整を行う減反政策がはじまったことがきっかけです。酒々井町でも地元の酒米で地酒を作ろうという動きがあり、当時の町役場の声がけで、酒米組合が結成されました」

その後、千葉県産の酒米「総の舞」をはじめ、さまざまな品種を試したそう。そのなかで、「五百万石」が土地に合っていたため、現在は「五百万石」のみを生産しているといいます。

「酒米は飯米よりも高い値段で売れる反面、農家にとって収量が低いというリスクもあります。農家として50年近く米を作っていますが、これがもっとも良いという方法はないですね。自然が相手なので、毎年の天候に左右されることが大きい。それでも、地元の米でできた日本酒は思い入れが深いですし、消費者にも喜んでもらえると思っています。

それに、毎年『良い米ができたね』と飯沼本家さんに言われると、お世辞でも嬉しいです。私も酒をよく飲みますが、『甲子』は周りに自慢できるほど味が良いですよ。私たちが質の良い酒米を作って、飯沼本家さんに良い酒を造ってもらう。この流れを大事にしたいですね。消費者に喜んでもらうには、両方が良くないといけませんから」

酒々井町酒米組合の組合長・齊藤一郎さんと飯沼本家の飯沼一喜さん

(左)飯沼本家の16代目蔵元・飯沼一喜さん

現在、飯沼本家では酒々井産の酒米で醸した酒について、消費者にもそのことが分かるような表示を検討中しているのだとか。「酒々井に還元できる蔵であり続けることで、地域の誇りになりたい」という飯沼本家の16代目蔵元・飯沼一喜さんの言葉からも、酒々井町への強い愛情がうかがえます。

農家が質の良い酒米を作り、それを酒蔵に託す。酒米の生産者と良いパートナーシップを築けるのも、飯沼本家が地元に根付いた酒造りを続けているからこそなのでしょう。

酒々井町の、ひとつの風景として

2013年、酒々井町に酒々井プレミアム・アウトレットが誕生。成田空港にも近く、オープンして1年で約600万人が来場するなど、大きなにぎわいを見せています。近代的な人気スポットがある一方で、戦国時代に千葉氏が本拠地とした本佐倉城跡地があったり、奈良時代の遺跡「二彩椀」が出土したりと、歴史的な観光資産が多いのも酒々井町の特徴です。

「江戸時代は成田山詣などの宿場町として、利根川からの水路や陸路、どちらからもアクセスしやすく、交通や物流の面でも北総の中心地として栄えました。飯沼本家も登録文化財になっていますが、他にも、武家屋敷など文化的価値の高い建築物も多いんです」(小坂町長)

また、飯沼本家のある馬橋は手付かずの森が残る自然豊かな地域。町では、飯沼本家のある自然の景観も大切な風景のひとつと考えているそうです。

飯沼本家の総合施設「まがり家」

飯沼本家の総合施設「まがり家」

「飯沼本家のすぐ脇には県内一の大欅がある香取神社もあり、平安時代から変わらない趣があります。また、レストランやギャラリーを備える飯沼本家の総合施設『まがり家』では、アウトドアを楽しむことができ、都心からバーベキューを楽しみに来る方もいらっしゃいます。

酒々井の長い歴史や文化を感じながら、自然を楽しんでもらう場としても機能しているんです。居心地よく持続可能な町として発展していくなかで、酒文化を継承し、酒々井町のひとつの風景としてあり続けてもらえることを期待しています」(小坂町長)

蔵では毎年、試飲会や田植え体験、野外バーベキューなど、蔵人とともに日本酒を楽しめる「まがり家フェスタ」を開催し、多くの日本酒ファンと交流をはかっています。毎年訪れる常連客も多く、年々大きな盛り上がりを見せています。

「まがり家フェスタ」での田植え体験の様子

飯沼本家が観光資源として機能することにより、人々が酒々井町を訪れる。そして町外から資金の流入が生まれることで、経済的な恩恵を町にもたらす。そこには、飯沼本家が酒々井町と二人三脚で歩んできた、"パートナー"とも呼ぶべき関係性がみえてきました。

受け継がれてきた伝統産業である酒造りを伝える役割に加え、地元農業の推進や県内外から人を呼びこみ、お酒や料理を囲んで楽しめる場づくり......地元に根付く酒蔵として、町の文化を担う役割も果たしています。酒々井の町とともに歩み、その魅力を発信していく飯沼本家の活躍に、今後も期待が高まります。

(文/橋村望)

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