今宵もまた、文学作品から酒肴のお膳立て。戦前、池波正太郎氏が若い頃(株の仲買店でのサラリーマン時代)、よくかわいがってもらったという年長の同業者との思い出を綴ったエッセーから、ある逸品とそれに合わせた酒を紹介します。
まさに食の真理を突くような言葉です。
三井老人は、食や金の使い方について随分と粋な方だったようで、酸いも甘いも噛み分けた大人の生き様に、当時の池波青年は相当な刺激を受けたことでしょう。
大根が煮あがる寸前に、三井老人はなべの中へ少量の塩と酒を振り込む。そして、大根を皿へ移し、しょうゆを二、三滴落としただけで口へ運ぶ。
大根を噛んだ瞬間に、
「む・・・・・」
いかにもうまそうな唸り声を上げたものだが、若い私たちには、まだ、大根の味がわからなかった。同書より
そんな出会いのエピソードに、後に作家となって男の生き方を説く池波氏の、魂の源を感じます。
また、池波氏の時代小説にはしばしば大根が登場しますが、その食べ方はいつもシンプルなもの。登場人物が大根の美味しさを堪能するという描写も、三井老人が起因しているのかもしれません。
大根の本当の美味しさを味わう
私にも覚えがあります。若い頃には分からなかった味。特に、根菜類は料理によってどんな風にも美味しくなりますが、素材自体の風味は淡く、そこに特段の感慨はなかったように思います。
それが、どうしたことでしょう。それを「優しい」と感じたり「温かい」と思ったり......「滋味」という言葉の意味が少しわかってきたような気がしているこの頃。昆布の出汁が染みた大根と豆腐は温かく、心身に語りかける美味しさです。
大根の滋味に寄り添う、優しくまろやかな旨味
料理の味わいを一言で表すなら「滋味」。例えるなら、淡いようで確かな、薄いようで深みのある、繊細でありながらふくよかな美味しさです。それを余すことなく堪能するために合わせる酒は、どんなタイプが良いでしょうか。
まず思い浮かぶのは「爽酒」。軽いタッチの淡麗な酒を考えましたが、何かが足りない。料理に沿うのでなく、みずから溶け込んでいけるような酒を合わせたいのです。旨味がすっきりと整った透明感のある美味しさ。そんな気持ちを、日頃からお世話になっている酒屋に投げかけてみました。
洞窟貯蔵酒。横穴洞窟は気温や湿度が年中一定なので、酒を貯蔵するのに適しているのだとか。
新潟県の諸橋酒造は、1985年に全国名水百選に指定された、長岡市の「杜々の森湧水」を使って酒を醸しています。その酒を約半年間貯蔵し、ゆっくりと熟成させたのがこの1本です。
常温で試してみましょう。
さらりとした口当たり。「おや、ずいぶんと淡白だなぁ」と思いきや、穏やかな旨味が伝わってきました。それは決して、淡く薄い印象ではありません。ちょうどいいまろみがあります。洞窟の中で静かに、刻々と時を重ねた酒。そんなイメージが結びつきました。
第一印象は「さらり」でしたが、これは酒質がさらりとしているのでなく、旨味の広がり方が特徴的だったということでしょうか。口当たりは優しくてやわらかい。透明感のある美味しさです。抽象的な注文でしたが、酒屋さんはしっかりと応えてくれました。
料理とともに味わうと、期待通りの相性。酒の風味は出汁に同化するかのように溶け合っていきます。名水仕込みの実力発揮というところでしょうか。おもしろいもので、酒は具材それぞれとの相性も繊細。大根と合わせるとシャープに、豆腐といっしょに飲むとより旨味が感じられます。
良い酒です。切れ味も心地良く飲み飽きしないので、おっとりとした晩酌が長く続いたのでした。
(文/KOTA)