今宵もまた、文学作品から酒肴のお膳立て。今回は池波正太郎氏のエッセイ集『江戸前 通の歳時記』(集英社文庫)から、「茄子」を肴に酒を味わってみましょう。

茄子の美味しさを、改めて知る

食通として知られる池波氏。幼い頃は偏食だったそうで、茄子はただの一度も美味しいと思わなかったのだとか。しかしそれが、厳しい海軍暮らしで一変。

満足に食事ができない環境で、密かに手に入れた茄子を塩もみにして食べたときのことを「この茄子が旨くて旨くてたまらないのだ」と言い、「海軍に入ったことで偏食はほとんど影を潜め、好物が増えた。茄子もそのひとつである」と、みずからの経験を振り返っています。

今のお気に入りは漬物。池波流の表現が、私の食欲を刺激します。

漬きかげんのあざやかな紺色の肌へ溶き芥子をちょいと乗せ、小ぶりのやつを丸ごと、ぷっつりと噛み切るときの旨さをなんと表現したらよいだろう。さほどに、この夏の漬物の王様の味わいは一種特別のものだ。

同書より

同感ですね。いつの頃からか私も茄子を好み、頻繁に食べています。その美味しさは、言葉で表現できないような奥深いところにあるのでしょう。そして、夏には夏の、秋には秋の美味しさがあるのも、茄子ならではの魅力だと思います。

そんな、魅力あふれる茄子。網焼きで食すとは、粋な池波氏らしい食べ方ですね。

旬の茄子で、酒を迎える

さっそく、池波氏の言う通りに再現してみました。

バーベキューで茄子を網にのせることがあっても、それはあくまでも数ある野菜のひとつに過ぎません。このように茄子だけを焼き、一対一で味わうというのは初めて。

ついでに、茄子の塩もみも用意しました。茄子が焼けるまで、これを肴に晩酌を始めましょう。

さっくりとした食感を少しだけ残した茄子の塩もみを、ゆっくりと噛みしめます。畑にいるような土の匂い、あるいはたくましく広がった葉の香り。そんな風味には、一抹の切なさも感じられます。こういうのを、"しみじみと旨い"というのでしょう。

奥深い茄子の味と出会う「津島屋」の爽快感

大人しく控えめな味わいの肴には、香りが穏やかで、ゆるやかな口当たりの純米酒を合わせるのがセオリーかもしれません。

しかし季節は夏。今回は、"ゆるやか"を"爽やか"に置き換えて楽しんでみましょう。

「津島屋 特別純米 木漏れ日」 (御代桜醸造/岐阜)

美しいラベルですね。呑み手を誘うのは、控えめながらもキリッと澄んだ果実香。口に含めば、ゆったりとした発泡感とともに、甘酸っぱい香味が広がります。

ほんのちょっと間を置いてから、ゆるやかに旨みが浸み出してくる。そんな印象から想起されるが、"木漏れ日"なのかもしれません。余韻はほどほどで、ゆっくりと付き合えそうな酒ですね。

茄子の塩もみといっしょに味わうと、酒の口当たりが強くなったように感じました。そして、塩の甘みを含んだ野菜本来の旨みが酒に寄り添うのと同時に、酒は甘さを増したよう。

そうこうしているうちに、茄子が焼けました。

初体験の焼き茄子は、ごま油が香ばしく、辛子醤油との相性も良し。熱々なせいか、強いエネルギーを感じました。その美味しさには、塩もみとはまた異なった"しみじみ感"があります。

池波氏がこれを気に入っているのは、それが理由なのかもしれません。夏野菜が、さらに夏らしくなりますね。

酒をひとくち。塩もみを食べたときに大人しくしていた発泡感が再び口中で活性。酒質がいくぶんドライに変化したように感じられました。それでも、持ち味の旨みがじんわりと心地良く、茄子の風味と溶け合います。

それにしても、この"焙った茄子で一献"というのは、池波氏ならではの粋。なんとも優雅な時間の過ごし方で、夏の宵がしみじみと味わい深いものになりました。

(文/KOTA)

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