「麹造り」という言葉から、どんな光景が想像されるでしょうか。
甑(こしき)から出てきたばかり、湯気の立つ蒸米が摂氏40度を越える室内へ運ばれます。男たちがその蒸米の塊を手でこなす...室内は暑く体力も使う作業のため、ふんどし一丁の姿。額には汗が滲み、数名で黙々と作業をしている…そんな光景でしょうか。
「深夜にも関わらず、灼熱の部屋で麹の管理をします」というナレーションが聞こえてきそうです。
実は、これはかなりトラディショナルな描写です。今もこのような光景が見られる蔵もあるでしょうが、多くの酒蔵においては麹造りも進化しているんですよ。
酒蔵の衛生管理は当たり前
麹造りは酒造りの要。雑菌汚染に最も気を遣う工程で、古くから「納豆を食べるな」と言われるのも麹の品質を保つためです。
加えて、お酒も食品であり消費者の口に入るものなので、酒造りの作業もまずは衛生面に焦点が当てられます。たとえば、蔵人が手洗いをおろそかにしていると、酒はたちまち質が落ちてしまうでしょう。
最近では全国新酒鑑評会のほかにも IWC など、さまざまな品評会に出品する機会があり、品質の基準も厳しくなってきました。クセがある香りはすぐに指摘されるので、気が抜けません。酒のレベルが上がり、精米歩合が40%未満の酒が珍しくない時代になっていますから、かつては気にもとめなかったような香りが「クセ」と判定されてしまうのです。もちろん市販酒でも、クセがあれば次に手に取ってもらえる機会が減ってしまうので、蔵は衛生管理にかなり気を使います。
衛生管理の不備が要因で生じてしまうのクセのひとつに「4-ビニルグアイアコール臭」があります。燻製のような臭いで「4VG」と略されます。バニラ香の由来であるバニリンの前駆体として知られ、沖縄の泡盛・クースーでは重要な成分となっています。
しかしこれが日本酒に付いていると、プロであればすぐにわかり、評点もガクッと下がります。
近年、その4-ビニルグアイアコール臭の生成について研究が進んできました。米の細胞壁にあるフェルラ酸という成分を麹菌が脱炭酸し、4VG に変えてしまうのです。ですから、4VGはもともと酒に付いていたもの。
麹菌だけではなく野生酵母や乳酸菌にもその作用を持つものがいて、これらが多く入ると清酒に 4VG が多く含まれ、臭いに気づくことになるのです。
つまり、4VG の臭いの強い酒はそれだけ雑菌に汚染されていて、その雑菌は人間が持ち込むものと判明しました。考えてみれば、いくら手をきれいに洗ったところで、落としきれない汚れや菌が爪の間、指紋・掌紋の中に潜んでいます。
手袋で製麹すればいいじゃない?現場は大反対!
そこで対策として手袋が用いる方法が提唱されました。手洗いをしてから手袋をすれば菌は防げるはずという理論です。実際、医療の現場では手袋が使われていますし、惣菜屋や弁当の詰め工場でもその様子を目にすることができます。
しかし、麹造りを実際におこなう蔵人からは大反対でした。なぜなら、米の水分や温度は機械で計測することもありますが、なにより手ざわりが最も重要なセンサーだからです。蒸しが上手くいっているか、麹が上手くできているかを見た目やひとつまみ食べた舌ざわり、匂い、感触でわからなければ、麹屋として仕事にはなりません。
我が蔵でも導入当時の親方は反対していましたが、今年から私が親方になったのでちょっと試してみることにしました。
石鹸で手を洗うこと20秒。30秒間洗い流し、乾かしたあとにアルコールで殺菌します。「ハッピーバースデー」の歌がちょうど20秒くらいだそうです。ハッピーバースデートゥーユー。
それからニトリルゴム手袋をつけます。いろいろな種類がありますが、麹屋としてはモデルローブの使い捨て粉なしタイプを推奨します。
食品に使えるかどうかはパッケージに書いてあり、天然ゴムだと特有の匂いがあります。ブルーの手袋は、万が一破れて切れ端が落ちてしまっても、わかりやすいので安心。薄手の方が触り心地は良いですが、力のいる作業中に破れやすいものもあります。
また、もうひとつのポイントが、白衣の袖をまくらないことです。せっかくゴム手袋をしていても腕に付着した菌が付いては無意味ですからね。蔵によってはエアシャワーを浴びたり、白衣を毎回取り替えたり、徹底的な衛生管理を行っているところもあります。
当初は手袋の匂いが麹に移ることが心配されていましたが、当蔵で使っているものは気になるほどの匂いはつきません。
手触りは、やはり素手とは異なるものの、温度や米のやわらかさも伝わってきます。それでもわからない部分はひとつまみ、蒸米を食べて口で判断するようにしています。
今では蔵全体に普及し、粕はぎ作業や袋吊りなどにも手袋を使っています。
一方で、上半身裸の蔵人が造っているお酒が悪かといえばそうではありません。「酒屋万流」という言葉もあるとおり、蔵によってやり方はさまざま。問題がないのなら「そん時ゃそん時で良がったネシ!」と言ってしまって良いでしょう。
風邪が流行る季節、手は良く洗いましょうね。
(文/リンゴの魔術師)