近年の日本酒ブームの影響もあってか、各酒蔵の杜氏に会うことのできるイベントが増えてきました。

魅力的な日本酒を醸し、その伝統を引き継いできた杜氏の方々。実はいくつかの流派に分かれているのです。

今回はいくつかあるその流派の中から代表的な3つをご紹介いたします。

そもそも杜氏とは

杜氏とは、「酒蔵で働く酒造りの職人(=蔵人)の監督・統率を行う製造責任者」のことを言います。

「杜氏」と「蔵元」を混同している例を見かけることがありますが、杜氏は蔵の製造責任者、蔵元はその所有者・経営者を指す言葉です。野球に例えると、杜氏はチームの監督、蔵元はそのオーナーとなります。

酒造りは元々女性の仕事

現代の杜氏制度は江戸時代に成立したと考えられています。

それまでの酒造りは、造酒司(みきのつかさ)と呼ばれる、朝廷用の酒を醸造する役所に務めていた女性の役目でした。

しかし、江戸時代に入り、酒が広く一般的なものとして親しまれるようになると、一度に大量の酒を醸造する必要が出てきました。こうした酒の産業化が進んだことで、酒造りは力仕事の側面が強くなり、男手に代わられていきました。

酒蔵内の風紀を保つという観点から、酒造りの現場は女人禁制とされている時代もありましたが、現代では女性の杜氏・蔵人も珍しくなくなってきました。

日本酒の歴史を支えてきた三大杜氏集団

江戸時代に生まれた杜氏制度ですが、やがて杜氏集団が形成されるようになります。

この目的は、杜氏集団内で品評会や講習会を行い、情報交換をしながら切磋琢磨し、造りの技術をさらに高めていくことにありました。

杜氏集団は北は青森から南は長崎まで全国にあり、各集団によって造りの方針が異なります。「酒屋万流」と言われる、それぞれの日本酒の多種多様な個性はここから生まれてくるといっても過言ではありません。

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各地に存在する杜氏集団の中でも、とりわけ影響力の強い3つが「三大杜氏集団」と呼ばれています。

南部杜氏

南部杜氏は岩手県石鳥谷町を発祥とする杜氏集団です。

全国最多の加盟人数を誇り、最盛期であった昭和40年には、3200人が加盟していたと言われています。

越後杜氏

越後国刈羽郡で誕生した杜氏集団を祖とする越後杜氏は、南部杜氏に次いで加盟人数の多い杜氏集団として知られています。昭和33年の発足時には900名を越える加盟者がいました。

後継者の育成にも力を入れており、昭和59年には新潟清酒学校という、清酒の醸造を学ぶための学校を設立しました。

丹波杜氏

丹波杜氏は、現在でも日本有数の日本酒生産地として知られる、神戸市灘区の周辺に端を発する杜氏集団です。具体的には、丹波篠山と呼ばれる、旧多紀郡が発祥と言われています。

伊丹・池田で酒造りを始め、摂津国灘五郷でその技術を開花させ、灘の地を一大生産地におしあげました。

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その他、三大杜氏には数えられていませんが、昨年上映された『一献の系譜』で話題になった能登杜氏など、注目すべき杜氏集団はいくつもあります。

今後、日本酒を楽しむ際には、「どんな酒米で、どれくらいの精米歩合で造られたのか」「どんな造り方で、どんな味わいなのか」という観点だけでなく、「どんな杜氏が造ったのか」という点に着目してもおもしろいかもしれませんね。

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