2019年現在、日本酒を醸す酒蔵は全国に約1,500あると言われています。しかしその一方で、平成に入ってからの30年間で廃業した蔵は、800にも上ります。それぞれの酒蔵に、それぞれの"おらがまちの酒"があったことでしょう。

「時代の変化が激しい今だからこそ、現存するすべての酒蔵に足を運び、そこにある酒と思いを、みなさんに、そして未来に届けたい」という思いから、「日本酒を醸す全ての蔵をめぐる旅」が始まりました。

今回は、福島県の酒蔵をめぐる旅の第3弾。三春町と郡山市にある5つの蔵の、酒造りに懸ける気持ちや、先代から受け継いできた思いを追いました。

「三春で酒を造る」─ 佐藤酒造(三春町)

福島県中通り、阿武隈山地の西側に位置する小さな町、三春。江戸時代には三春城を中心に栄えた城下町です。日本三大桜のひとつで推定樹齢が1000年を超える「滝桜」や、日本三駒に数えられる馬の形をした木製の郷土玩具「三春駒」で知られています。

そんな三春町で、郷土玩具から名前をとった銘柄「三春駒」を醸す蔵が佐藤酒造です。

福島県三春町の佐藤酒造の外観

造りを仕切る杜氏の齊藤さんと、営業を統括する柳沼さんにお話を伺いました。

杜氏の齊藤さんはもともと営業や事務をしており、ベテラン南部杜氏のもとで2011年から見習いとして造りに携わりはじめたとのこと。「製造するようになってから思い出したんですけど、私、手が不器用なんですね」と笑って振り返ります。

それでも知識でカバーしようと、様々な資料を読み、セミナーへも積極的に出席してきた齊藤さん。「いまも勉強、勉強。勉強の毎日です」と話します。

福島県三春町にある佐藤酒造の当時の齊藤さんと、柳沼工場長

(左から)杜氏の齊藤さん、工場長の柳沼さん

謙虚に語る齊藤さんですが、杜氏を務めることになった2016年以降の全国新酒鑑評会では毎年金賞を受賞しており、その実力は折り紙付き。

前任の杜氏が辞める最後の年に金賞を受賞し、蔵としては4年連続で受賞しています。齊藤さんご自身の受賞より、前任杜氏の有終の美を感慨深そうに話す姿が印象的でした。

そして、齊藤さんが杜氏を務めてからリリースした新銘柄が「三春 五万石」です。

「いま市場で一番人気のタイプを三春で造ってみようと。欲を出してみまして」と、齊藤さんは笑いながら商品開発のきっかけを話してくれました。

佐藤酒造の日本酒「三春五万石」と、「三春駒」の写真

佐藤酒造が持つ、確かな実力とチャレンジ精神。今後、三春の町から発信される美味しいお酒が楽しみです。

「夫婦、二人三脚の挑戦」― 笹の川酒造(郡山市)

福島県の中央部に位置する郡山市。東北でも屈指の人口と経済規模を誇る中核都市でありながら、郊外には田園風景が広がり、自然も多く残る地域です。市内には、5つの蔵が点在しています。

そのなかのひとつである笹の川酒造は、郡山駅より少し南にある旧安積町の笹川にある蔵です。

福島県郡山市にある、笹の川酒造の山口哲蔵社長

社長の山口哲蔵さん

10代目蔵元の山口哲蔵さんは地域貢献への思いが強く、地元産米を積極的に使っているとのこと。なにより、郡山の歴史や風土、特産品に造詣が深く、地域を思って酒造りをしています。周辺の食品企業などからの信頼も厚く、郡山の産業を引っ張ってきました。

笹の川酒造は250年以上の歴史を誇りますが、ウイスキー造りの歴史も70年以上を誇る珍しい酒蔵。2015年には、新しい蒸留機を導入して安積蒸留所をオープンさせています。焼酎やリキュール造りの歴史も古く、長年にわたって、あらゆる酒類の製造を行ってきました。笹の川酒造の外観

2016年、笹の川酒造は哲蔵さんの奥様である敏子さんを杜氏として抜擢するという改革を行いました。前年までは季節雇用の職人杜氏が造りを仕切っていたなかで、大きな決断です。

敏子さんは福島県の清酒アカデミーを卒業しており、10年ほど前からオリジナルの日本酒「桃華」を毎年造っていたとのこと。敏子さんとしては杜氏になるつもりはなかったようですが、以前からその技術を見込んでいた哲蔵さんは、「杜氏になってくれるよう、拝み倒した」と笑いながら話します。

笹の川酒造の日本酒「桃華」「天のつぶ昔仕立て純米酒」

酒の味わいも良い方向に向かっているようで、全体的に女性らしい、やさしい味わいになったとのこと。結婚20年を超えたご夫婦は、これからも二人三脚で造り酒屋を営んでいかれるようです。

「暗闇を抜けた先にあるもの」─ 佐藤酒造店(郡山市)

郡山の町中に、ひっそりと構えている一軒の酒蔵があります。300年以上の歴史をもつ老舗で、「藤乃井」を醸す佐藤酒造店です。

現在、造りの中心にいるのは、南部杜氏の高橋正芳さんと蔵人の長尾正章さん。長尾さんは、もともと学生時代にアルバイトで佐藤酒造店に勤めていたことがきっかけで、そのまま入社しました。数年前までは、ビン詰めと営業をしていたとのこと。

蔵人の長尾正章さん

長尾さんが造りに携わるようになったのは、数年前、高橋杜氏を蔵に迎え入れたとき。杜氏を他の蔵で引退する予定だった高橋さんを、蔵元の佐藤彦十郎さんが「あと5年やってくれ」と頼み込み、その上で「5年で蔵人を一人前にしてくれ」とお願いしたといいます。

そこで白羽の矢が立ったのが、勤続年数が20年以上と長く、30代の長尾さんでした。「まさかアルバイトから杜氏候補になるとは」と、長尾さんは微笑みながら話します。

髙橋杜氏を招き入れたタイミングで、大規模な設備投資も行われました。甑や麹室、圧搾機に冷蔵庫など、酒造りに欠かせない数々の設備を入れ替えたのです。

郡山・佐藤酒造店の設備投資後の新しいタンク

その甲斐あってか、味も良い方向に大きく変わり、鑑評会でも受賞するように。また、ラベルも中身も一新した銘柄「ふじや彦十郎」が好評とのこと。

郡山市・佐藤酒造店の日本酒銘柄「藤乃井」

蔵元の佐藤さんは「今まで暗闇で一生懸命やってきて、ようやく蔵を続けていくための投資ができた。借金は相当なものだけどね」と笑いながら話します。

長尾さんは「できた酒が美味しいね!と言ってもらえると嬉しいし、賞をもらえると励みになる。来年はもっと良い酒を造りたい」と意気込みます。杜氏候補であることや、大規模な投資に対してのプレッシャーもあるようですが、これからの佐藤酒造店に期待が高まる、そんな力強い眼差しを感じました。

「米と酒の道を切り拓く」 -渡辺酒造本店(郡山市)

郡山市の北部、農地の広がる西田町に「雪小町」を醸す渡辺酒造本店はあります。

福島や郡山の歴史にも造詣の深い蔵元杜氏の渡辺康広さんは、2011年の震災でたくさんの苦い経験をしたといいます。

特に印象に残っているのが、震災後に県外で行われた復興支援イベントにて、お客さんから「もってくんなばかやろう!」と言われたこと。本当に歯痒く、悔しかったといいます。それでも渡辺さんは前を向き、「数字を添えてやっていくしかない」と決意したのだそう。

学生時代は土壌学専攻で、放射性物質についても専門的に学んでいた渡辺さんは「自分たちがおっかなびっくりやっていてはダメだから」と、専門知識を持っているからこそできる行動を起こしていきます。

具体的には、放射性物質が検出される閾値の基準(当時の基準より厳しい設定)を県や国へ提言したことに加え、自社の田んぼを実験田として活用し、放射性物質を米から出さないための対策を実証。さらに、そのデータを使用して、県内の農家へ向けたセミナーなども開催しました。

蔵元杜氏の渡辺康広さん

「不検出の米からは、必ず不検出の酒ができる」という信念のもとで努力を続け、福島の米と酒を支えてきた渡辺さん。厳しい視線を向けられるなかで行動を起こすことは、強い信念を必要としたことでしょう。

震災後、取引がなくなってしまった酒販店もあるとのこと。それでも、とある取引先の方に「渡辺さん、検査表なんていいから。信じてるから」と言われたときは、涙が溢れてきたといいます。

渡辺酒造本店の銘柄「福小町」

そんな渡辺酒造本店の酒は、甘さは控えめながら、味わいに独特な奥行きと幅があります。

目指すのは、「酔わせない酒」。搾る前の醪を低温で長期間保って完全発酵させると、酔い覚めする酒になりやすいとのこと。渡辺さん自身があまりお酒に強くないことも、目指す理由のひとつだそうですが、飲む人を増やしたいとの思いもあるようです。

「福島の日本酒に今があるのは、過去の先人たちの努力のおかげ」と、繰り返し語る渡辺さん。これからも先人たちに尊敬の念を抱きながら、強い信念を持って米と酒の道を切り拓いていくのでしょう。

「夢のバトンをつないでいく」─ 仁井田本家(郡山市)

福島県郡山市の自然豊かな山間の田村町。ここに蔵を構えるのが、日本で数軒しかない自然米(無農薬・無化学肥料米)のみで酒を醸す仁井田本家です。

「にいだ しぜんしゅ」や「穏(おだやか)」をメインブランドに、醸造アルコールや醸造用乳酸などを使用しない酒造りを行っています。

仁井田本家の外観

50年以上前から自然米で日本酒を造る仁井田本家。創業300年の2011年を節目として、全量を自然米にすることを目標に掲げ、見事に達成しました。

自然米の栽培は、一般的な農法より労力がかかるうえに、収量は少なくなりがちです。これは自社での栽培に加え、契約農家の方々の努力があってこそ成り立っているようです。

そうまでして自然米を使用する理由を、18代目蔵元の仁井田穏彦(にいだやすひこ)さんは、「日本の田んぼを守る酒蔵になることが使命」であるからだと語ります。

農薬を使用しないことで、土や環境に活力が戻り、子どもたちの世代に地力ある田んぼを残せる。それこそが仁井田本家が掲げる「田んぼを守る」という意味なのです。

仁井田本家の自社田写真

しかし、目標であった全量自然米を達成したその矢先、東日本大震災が起こります。福島県で安心・安全を掲げていた生産者に対して、震災の影響は重くのしかかりました。仁井田本家も例外ではなく、売上は激減。

創業300年の節目に震災が発生し、仁井田さんにはやり場のない憤りがあったといいます。それでも、「きっと、乗り越えるために選ばれた。創業400年のときに、『18代目の時代は大変だったけど、よく頑張った』と言ってもらえればいいか」という気持ちに徐々に変わっていったそう。先代を超えるといった競争心を持つのではなく、酒造りのバトンをつないでいこうと強く意識するきっかけになったといいます。

蔵元の仁井田穏彦さん

蔵元の仁井田穏彦さん

それからというもの、醸造用乳酸の使用撤廃、ラベルや包装の簡素化とデザインの一新、酵母無添加など、さまざまな挑戦を続けています。

なかでも、毎月蔵で開催しているイベント「スイーツデー」は特徴的です。震災後に飲み手が離れてしまったとき、田村町や酒蔵を実際に見てもらおうと始まった試みとのこと。自然米の麹を使用した甘酒やお菓子にも力を入れている仁井田本家では、イベント限定のお菓子などもスイーツデーにて提供しています。

ほかにも、有機野菜や雑貨などを作る出店者が集まり、大きな賑わいをみせています。お酒が飲めなくても楽しめるスイーツデーは、子どもたちに酒蔵が楽しい場所だと感じて欲しいという、蔵の思いを体現している空間です。

今後の展望を伺うと、田村町の米を全量無農薬にすることや、天然水を引き続けるために山を整備し、間伐材で酒造りの道具を作ること、エネルギーも町でまかなえるようにすること......壮大な夢を語ってくれました。

「自分の代だけでは成し得ないような、長い時間のかかる夢が見られるのは素晴らしいことです。先代が抱いた夢は、バトンを渡すことで未来につないでいける」と、仁井田さんは笑顔で話します。

福島県・仁井田本家の日本酒「穏」「自然酒」

日本酒の酒蔵は、世界でも類を見ないほど長く積み重ねてきた歴史があります。歴史を紡いでいくことの素晴らしさを実感し、これからもその思いや技術が脈々と受け継がれていくのだろうと感じる、三春と郡山の旅となりました。

(旅・文/立川哲之)

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