2018年現在、日本酒を醸す酒蔵は全国に約1,500あると言われています。しかしその一方で、平成に入ってからの30年間で廃業した蔵は、800にも上ります。それぞれの酒蔵に、それぞれの"おらがまちの酒"があったことでしょう。
「時代の変化が激しい今だからこそ、現存するすべての酒蔵に足を運び、そこにある酒と思いを、みなさんに、そして未来に届けたい」という思いから、「日本酒を醸す全ての蔵をめぐる旅」が始まりました。
今回は、日本有数の漁港が点在し、米をはじめとした農作物も豊かな食材王国・宮城県で、特に地元愛の強かった酒蔵を紹介します。
「造りのテーマは、地元の食材」阿部勘酒造(塩竃市)
仙台市から少し北に位置する塩竃市には、荘厳な佇まいの鹽竈(しおがま)神社があります。その麓で、300年以上にわたって酒造りをしてきた歴史ある酒蔵が、阿部勘酒造です。
専務の阿部昌弘さんに話を伺うと、造りのテーマは「地元の食材」とのこと。塩竈市には日本有数の漁港があり、毎日、新鮮な魚が水揚げされています。そんな地元の味を引き立てるために、鮮魚と同じくフレッシュで、スッキリとした酒質を目指しているそうです。
県内はもちろん、他県の酒蔵にも蔵人とともに見学へ行くなど、積極的に行動している阿部さん。モットーは「できることは全部やる」だと言います。
蔵人にかかる負担を抑えるなどのケアを含め、酒造り全体の底上げを図るべく、工夫を重ねている姿が印象的でした。
「塩竈を好きになってほしい」佐浦(塩竃市)
同じ塩竈市には、銘酒「浦霞」で有名な佐浦があります。蔵元・佐浦弘一さんも、塩竈を愛し、塩竈を思いながら酒造りに励んでいます。
今回は塩竈にある酒蔵をご案内いただきました。宮城県外でもよく目にする銘柄を造っているため、蔵の中には立派な機械や設備があるのではないかと想像していましたが、想像に反し、手造りにこだわって酒を醸していました。
佐浦さん曰く、その土地にしかない空気や香りを、酒を通して感じてもらうことによって、「地元・塩竈を好きになってもらいたい」とのことでした。
もっとも印象的だったのは、佐浦さんが蔵の外へ一歩出ると、道行く人々がひっきりなしに声を掛けてくるのです。「この前はありがとうね」「あれ、美味かったよ」......そして、ていねいに、かつ柔和に受け答えをする姿を見て、蔵元が地域を愛しているからこそ、地元の方にも愛されているのだと感じました。
「仙台に根付いた酒造りを」森民酒造本家(仙台市)
仙台市には、発酵食品で栄えていた荒町商店街があります。その商店街の一角にあるのが、「森乃菊川」を醸す森民酒造本家です。
蔵元・森徳英さんは祖父から蔵を引き継ぎ、数年前からは、杜氏として酒造りを仕切っています。蔵は江戸時代に建てられたものだそうで、仙台市の街中に、ここまで古い建物が平然と建っていることに驚かされます。
しかし、以前はもうひとつ蔵があったようで、震災の影響で傾いてしまい、そのしばらく後にやって来た台風で潰れてしまったのだとか。森さんは「震災を通して、価値観が変わった」と言います。
「ひとりでは何もできない」ということを痛感した森さんは、当時、まわりが断水しているなか、蔵に懇々と湧く井戸水を使って、炊き出しなどを行なっていたのだそう。「古い蔵と仲良くして、仙台に根付いた酒造りをしていきたい」と、笑顔で話してくれました。
「気仙沼のまちづくりのために」角星(気仙沼市)
教科書にも出てくるような日本有数の漁場・気仙沼。2011年に起きた東日本大震災は、その気仙沼に大きな爪痕を残しました。
「金紋両国」や「水鳥記」を醸す角星も、製造蔵への影響は少なかったものの、文化財に指定されていた本社が、町もろとも流されてしまったといいます。
社長の齋藤正行さんは「(創業地の)気仙沼市魚町には、思い入れがあります。流されたはずの看板を見つけたとき、『ここでまた仕事をしろ』と言われたような気がしたんです」と、当時を振り返ります。
そして、震災から5年半経った2016年11月。やっとの思いで、魚町に本社を復旧しました。「正直、震災後の3年くらいは、本当に復旧させていいのか悩んでいました。それでも、今はやって良かったと思っています」と話します。
震災前はにぎわいを見せていた気仙沼市魚町ですが、現在は、復旧した店がぽつぽつと点在するだけで、昔の光景とはほど遠いのだそう。しかし、「だからこそいち早く復旧して、にぎわいを取り戻したい」という強い思いがあっての再建でした。
角星の酒は、主張しすぎずバランスの良いものが多く、齋藤さんは「魚介類をはじめとした、気仙沼の食と合わせてほしい」と話しました。
「地元に愛される酒蔵」男山本店(気仙沼市)
角星と同じ気仙沼市にある男山本店。2年ほど前に、蔵元の息子で現在27歳の菅原大樹さんが戻ってきました。
しかし、「もともと、酒蔵に戻ってくるつもりはなかった」という大樹さん。心境の変化は、震災がきっかけだったのだそう。
震災当日、たまたま気仙沼に帰省していたそうで、いろいろな人に助けてもらうなかで、地元の強い繋がりを感じたといいます。さらに、気仙沼の産業としての家業、気仙沼を伝えるものとしての家業に気付き、「必要とされる仕事はかっこいい。自分もそんな仕事をしたい」と思ったのが原点だったようです。
酒蔵としては、震災後2年目から杜氏が変わるなど、かなりの激動でした。震災を乗り越えてきた蔵の方々に対して、菅原さんは「杜氏をはじめ、みんなが仕事に対してプライドをもっています。尊敬しています」と、はにかみながら語っていました。
そんな若き蔵元は、海外展開を見据えながらも、ひとつのこだわりをもっています。それは、地元に愛されるということ。
「本当に良い蔵は、地元に愛される蔵だと思う。地元に愛されてこそ、外の世界が見えてくる。だからこそ地元の米を使い、地元の食に合う酒でありたい」と、熱く話していました。
「閖上に戻る」佐々木酒造店(名取市)
仙台市の南隣に位置する名取市。佐々木酒造店は「宝船 浪の音」という地元に愛される酒を、日本で唯一の「仮設蔵」で醸しています。もともと、市内の閖上(ゆりあげ)という港町に、140年以上にわたって蔵を構えていました。しかし、2011年3月の津波で、蔵が全壊してしまいます。
町ごと流されてしまった閖上。蔵も全壊。当然、造りを続けられる状況ではありません。
絶望の淵に追い込まれた状況のなかでも、蔵元・洋さんと杜氏・淳平さんの佐々木兄弟は酒造りを続けることを決意。「絶対に閖上に戻る。もう一度、閖上で酒を醸す」と、一念発起します。
しかしながら、国の復興計画により、すぐに閖上へ戻ることは叶いません。そこで、戻れるようになるタイミングですぐに動けるように、内陸部に整備された復興工業団地内に、日本で唯一の「仮設蔵」を設けました。
温度や湿度管理が重要な酒造りにとって、仮設の蔵はセパレートが少なく、決して良い環境とは言えません。そんな逆境のなかでも、妥協せず、ていねいに酒を醸しています。
そして、震災から7年経った今でも、日本酒を通して閖上の魅力を伝え続けているのです。
そんななか、最近になって、本蔵の再建に目処が立ち始めてきたとのこと。多くの人が待ち望んだ、閖上で再び酒の醸される日が、ついに2019年に訪れるそうです。
洋さんは「100年続く酒蔵を再建する」と話しています。100年後も地元を愛し続け、地元に愛され続けている。そんな美しい酒蔵が、宮城県、そして日本中にあるのだと思います。
(旅・文/立川哲之)