1830年に創業した東鶴酒造。佐賀県多久市に9軒あった酒蔵のうち、いま現在、唯一残っている酒蔵です。

一時期は出荷量がかつての1割以下にまで落ち込んでいたところを、現在の蔵元杜氏である野中保斉(やすなり)さんが見事復活させました。家族と社員1名で造る代表銘柄「東鶴」は、今や全国で広く愛されている日本酒です。

東鶴酒造 代表・野中保斉さん

東鶴酒造 代表・野中保斉さん(写真提供:SAGA BAR)

「これから、もっといい酒を造ろう」と、より強い気持ちで酒造りに取り組もうとした東鶴酒造。そんなとき、2019年8月27日から28日にかけて九州北部で降り続いた集中豪雨に見舞われました。記録的な豪雨は東鶴酒造に大きな爪痕を残し、その被害は蔵の移転すら考えるほど。

しかし、「この地での酒造りを諦めたくない」との強い気持ちから、蔵の修復と並行して、現在では約1ヶ月遅れで造りを開始しています。いったい、どのような道のりがあったのでしょうか。野中さんにお話を伺い、復興に向けて歩みを進める東鶴酒造の姿をご紹介します。

100年に一度の豪雨に見舞われて

被害を受けた東鶴酒造の様子

「100年に一度」とも言われている記録的な豪雨。当日の状況を、野中さんは次のように話します。

「8月28日の朝方5時頃のことです。警察の方が自宅まで見回りに来て、『蔵の隣を流れる別府川があふれているので、逃げたほうがいい』と避難指示がありました」

避難時は、車のタイヤが半分ほど浸かってしまうまで水が押し寄せていたそう。

佐賀豪雨被害にあった東鶴酒造の様子

「まずは命が大事」と、急いで家族と避難した野中さん。しかし、昼頃に避難所から戻ると、蔵全体が浸水していました。

一面が泥だらけで物が散乱している、目も当てられない状況。槽の中にまで泥水が入り、ポンプや冷却装置、麹室なども被害を受けていました。

佐賀豪雨被害にあった東鶴酒造の様子

泥水は柱の下から30~40センチほどの高さまで到達。その証拠が、置かれていた洗濯機にくっきりと残りました。この洗い場付近の床は張り替えすることになったのだそう。

佐賀豪雨被害にあった東鶴酒造の様子

出荷場所では、ダンボールなどの梱包資材が浸水しました。出荷待ちをしていた一升瓶約1,000本も出荷不可能に。復旧作業は困難を極めました。

佐賀豪雨被害にあった東鶴酒造の様子

あまりの被害の大きさに途方に暮れていたという野中さん。しかし、その様子を見た多くの方が復旧作業を手伝ってくれたのだそう。

「県内外の酒販店さんや飲食店さん、そのほか、たくさんの方が駆けつけてくれました。感謝してもしきれないですね。こんなにも応援していただいているのだから、『またおいしい酒を造って届けたい』という気持ちがさらに強くなりました。それが、恩返しとしてできることだと思ったんです」

この思いが、復興に対する強い原動力になりました。

佐賀豪雨被害にあった東鶴酒造の様子

被害総額は1,000万円を超え、すべての機械を一度に修理するには高額でしたが、野中さんが自ら設備を作るなどして対応。少しづつ作業を進め、最終的には約1ヶ月遅れで造りを開始することができました。

恩返しの気持ちを酒に込めて

東鶴酒造「災害復興酒」(写真提供:旭屋)

東鶴酒造の災害復興酒「つるのおんがえし」(写真提供:旭屋)

今回の豪雨で被災したお酒を、なんとか出荷できないか。そう考えた末に、純米酒から純米大吟醸を幅広くブレンドし、ろ過、火入れをやり直して再出荷することにしました。

そのお酒の名前は、「つるのおんがえし」。感謝の気持ちを込めた「感謝価格」で販売しました。

すると、「お米の甘味と旨味の絶妙なブレンド感がすばらしい」と話題に。きっと、心温まる支援に対する、蔵のみなさんの感謝の気持ちもいっしょにブレンドされているからでしょう。

待ちに待った、初搾り

東鶴酒造の新酒(写真提供:旭屋)

東鶴酒造の新酒 (写真提供:旭屋)

そんな東鶴酒造では、先日、新酒の初搾りが行われました。まだ仮修復を進めている最中ですが、待望の初搾りとあって、喜びもひとしお。「ご協力いただいたみなさんのおかげで、おいしいお酒を搾ることができました。本当にうれしく思っています」と、野中さんは微笑みながら話します。

現在、クラウドファンディングサービス「Makuake」にて1月28日まで支援を受付中。復興に向けて、力強く前進している東鶴酒造を応援しましょう。

◎クラウドファンディング概要

◎店舗情報(写真協力)

  • 店舗名:旭屋
  • 住所:佐賀県佐賀市鍋島町大字蛎久1185
  • TEL:0952-20-2234

(文/常軒巳瑛)

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