梅が採れるころになると、スーパーマーケットでは梅酒作りに必要なもの(もぎたて梅・ホワイトリカー・氷砂糖)がセットになって販売されるほど、自家製の梅酒を楽しむ方は多いようです。
梅酒作りには、アルコール度数が35%もあるホワイトリカーが欠かせないと思っていました。ところが、そのホワイトリカーのようなアルコール度数の高いお酒が手に入らないはずの江戸時代でも、梅酒作りが盛んに行われていたようです。
その主役は古酒で、3年間以上熟成させた酒で作った梅酒は特に珍重されたようです。
古酒を使った梅酒の作り方
いくつかの古文献を辿ってみると、古酒を使った梅酒作りについての記述がありました。
・本朝食鑑(梅酒)
梅酒は痰を消し,渇きを癒し、食欲を増し、毒を消し、のどの痛みを止める。大きすぎず、小さすぎない手ごろな半熟の生の梅二升を用意し、稲わらの灰汁に一夜浸す。これを取り出して紙で拭き、再び酒で洗い、好き古酒五升、白砂糖七斤を乾いた甕に詰め、二十日余り過ぎると、梅を取り出し、酒を利用する。あるいは梅を取り出さず年を経ればなお佳い。梅、酒ともに使える。
※1升=1.8リットル、1斤=600g
・遠碧軒記(梅酒)
梅酒方 梅二升、古酒五升、白砂糖七斤、又は青梅四〇個、酒一升、砂糖百六十目で作る。ほぼ熟した梅を桶に入れ、灰を一升加えて一晩水に漬け置く。翌日梅を取り出して一個づつ布でよく拭いて、先に用意した梅、酒、砂糖を併せて壺に詰め、きっちりと蓋をして二十日ほど漬けておく。その後梅を取り出し、ふたたびきっちりと蓋をして、二十日程経ったら飲める。
※160目=1斤=600g
・松屋筆記(梅酒)
青梅二升を一晩灰にまぶし、翌日水でよく洗った後白砂糖七斤、古酒五升と共に壺に詰め密封する。二十日ほどで熟したら、何年間も置いても味は落ちない。
・手造酒法(梅酒)
一、豊後青梅 二升 但し、できるだけ大きいものを選ぶ
一、上々三年酒 五升
一、大白さとう 七斤
梅を良く洗い、灰に一夜まぶしておき、翌日灰を洗い落として、充分水を拭う。用意した梅、酒、砂糖を壺に詰め、二十日ほど過ぎたころ桃仁(一匁目)を刻み込んで一夜置く。翌日すいのうで漉した後再び壺に入れて風邪をひかないように口を密封する。
※桃仁=桃の種の核を取り出して日干ししたもの。血流を改善したり、月経の調子を整えたりする効果がある
※1匁目=3.75g
梅酒の造り方についての記述は他にも数点ありました。梅酒作りが庶民の間でもかなり一般的に行われていたことがわかるとともに、いずれも古酒を使っている点が興味深いです。
・本朝食鑑(葡萄酒)
よく熟した葡萄の皮を除き搾った後、搾り汁と皮を併せ容器に入れ一夜置く。これを漉した液を炭火で二回煮沸して冷やす。その液に三年の諸白酒一升、氷砂糖百銭を加える。十五日ほどで出来上がるが、一年以上も置くとなお佳くなる。
その他、楊梅酒(やまももざけ)、蜜柑酒(みかんさけ)、五加酒(むこぎ)など、薬草酒などにも古酒を使う記述が多く残されています。
果実酒の仕込みに古酒を使うのはなぜ?
日本酒は酒自体が非常に腐敗しやすく、管理を誤ると醸造中はもちろん、搾った後も簡単に腐ります。その腐敗を防ぐ手段として江戸時代から行われているのが、酒の温度を65℃ほどまで上げる、いわゆる「火入れ」という工程です。
しかし、温度計はなく、人の手の感覚だけに頼っていた江戸時代の火入れは必ずしも完全なものでなく、火入れを行った酒でも腐る場合が多いようでした。そんな中で、腐らずに年を越した古酒は火入れ(殺菌)がうまくいってるわけですから、果実酒にしても腐る心配をせずに安心して使えたのです。
長期熟成酒研究会のメンバーの間では、経験的に「熟成期間が3年を過ぎた酒は腐らない」という話をよくしますが、江戸っ子たちもそのことを良く知っていたのでしょう。
日本酒を腐らせるのは火落菌という乳酸菌の一種に限られ、この菌が繁殖するためには、エサとなるメバロン酸(火落酸ともいう)があることが必須条件です。したがって、このメバロン酸を含まない酒は、逆に腐らないということになります。最近はこのメバロン酸を生成しない麹菌を使い、腐敗の心配がない酒も造られるようになりましたが、味や香りなどの点で、まだ広くは普及していません。
そのため、実際の酒造りの現場では、貯蔵中の酒をタンクからタンクへ移動したり、瓶詰するなど容器を替えるために酒を動かす時は、必ず殺菌のために再度火入れを行います。
造る量が少ない特殊な酒の場合は一升瓶などで貯蔵し、それを720mlや300mlの小瓶に詰め替えて商品としますが、その商品化の時も、必ずもう一度火入れをします。ところが、腐る心配が無くなった3年間以上貯蔵熟成させた酒の場合は、再度火入れをしないケースも多いようです。
古酒を使った果実酒は、新酒で作るよりも味がよくなります。特に三年酒ともなると、色は美しく、味・香りとも、一段とおいしくなったであろうことは想像に難くありません。
(文/梁井宏)