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徳川将軍が愛したお酒とは? ― 古文献に見る熟成古酒の歴史 <6>

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「旧事諮問録(きゅうじしもんろく)」は、明治20年代半ばに歴史学者によってまとめられた江戸時代末期から明治時代にかけて行われた大変革についての記録です。

小姓からは将軍の日常について、勘定奉行からは幕府の財政について、というように、その時期を生きたさまざまな人から直接得た情報がまとめられました。大奥に仕えた奥女中から聞き出した大奥の裏事情なども掲載されており、歴史的に貴重な書物といえます。

徳川家慶は「真っ赤な御酒」を飲んでいた?

「旧事諮問録」の中で、12代将軍・徳川家慶から最後の将軍・徳川慶喜まで4代にわたって将軍・正室に仕え、特に13代将軍・徳川家定の正室・天璋院のお世話をしていた、佐々鎮子(さっさしずこ)が、将軍の飲んでいたお酒について語っています。

「(中略)それでございますから、慎徳院(家慶)様はお酒盛りの時私どもへ、甘いものがよいか辛いものがよいかと仰いますので、甘いものと申し上げるとご機嫌が悪うございますから、辛いものと申し上げますと、お燗鍋で、お手ずからお注ぎ下さるのでございますが、それが大きなお吸い物椀の蓋などでお受けするものでございますから、ザアッと強くお注ぎ遊ばすと、モウあなた、袂の中までも流れ込むのでございます。それがまた大層お慰みになるのでございました。慎徳院様はそういうお方でございました」

「御膳酒と申して、真っ赤な御酒でございます。嫌な匂いがいたしましてネ。あれは幾年も経った御酒でございましょう」

「真っ赤な御酒」「嫌な匂い」「幾年も経った御酒」という表現から、そのお酒は熟成古酒であったと推測されます。そのお酒がどこで造られ、何年ほど熟成させた酒であったかはわかりません。

江戸時代と現代の仕込み配合を比較!

江戸時代のお酒がどんな味わいであったかを考えるために、当時と現代の酒造りの仕込み配合を比べてみましょう。

  • 酒母歩合:全仕込みに要する米の量に対する、酒母造りに要する米の量の割合
  • 麹歩合:全仕込みに要する米の量に対する、麹づくりに要する米の割合
  • 汲み水歩合:全仕込みに要する米の量に対する、仕込みに要する水の割合

江戸時代(伊丹諸白)の仕込み配合

出典:『日本山海名産図会』1799年(寛政11年)

生酛10キログラム
酘(そえ)17キログラム
34キログラム
大領(おおわけ)67キログラム
【合計】128キログラム
酒母歩合7.9%
麹歩合30%
汲み水歩合80%

現代の仕込み配合

出典:上原浩『いざ、純米酒 一人一芸の技と心』 ダイヤモンド社刊・2002年

酒母60キログラム
初添170キログラム
仲添300キログラム
留添470キログラム
【合計】1,000キログラム
酒母歩合6%
麹歩合20%
汲み水歩合140%

現代と江戸時代の仕込み配合における、もっとも大きな違いは「汲水歩合が現代の140%に対して、江戸時代は80%と少ないこと」「麹歩合が現代の20%に対して、江戸時代は30%と多いこと」です。当時は分析技術がなかったため明確ではありませんが、この仕込み配合から、当時のお酒はアルコール度数が低く、かなり甘口で酸の強い酒であったと思われます。

さらに当時は、酒造りが先進的な兵庫や灘でさえ水車による精米だったため、その精米歩合は磨いたとしてもせいぜい80%程度と思われます。よって、お酒に含まれるアミノ酸などの有機質成分はかなり多かったと考えられます。

以上から、12代将軍・徳川家慶が飲んでいたお酒は濃熟タイプの熟成古酒で、熟成年数もかなり長いものだったのではないでしょうか。

(文/梁井宏)

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梁井 宏

金沢の創業1625年の老舗酒蔵で、40年余りにわたり、酒造管理、商品開発、市場開拓などに携わってきました。同社を退職後は、酒関連の情報収集と併せ、現役時代からこだわってきた、「熟成古酒」の啓蒙活動に力を入れています。