近年、日本酒の海外輸出が増加しているだけでなく、現地で酒造りをする人が増えてきています。ニュージーランド唯一の酒蔵「全黒」もそのひとつ。2015年に醸造を開始してわずか2年で、国際的な日本酒コンテスト「ロンドン酒チャレンジ」の金賞を受賞しました。
蔵元のデイビッドさんは17歳の時に交換留学で来日し、日本生活を過ごすなかで日本酒が大好きになったのだそう。帰国後、地元・クイーンズタウンで酒造りを始めた当初から、日本とニュージーランドの架け橋になることを目標にしていました。
そんなデイビッドさんの造る「全黒」は、ニュージーランドのラグビー代表チーム「All Blacks」をそのまま漢字にしたもの。スタッフ全員がラグビー好きという「全黒」は「ラグビーワールドカップ2019 日本大会」の開催を記念し、熊澤酒造(神奈川県)と寒北斗酒造(福岡県)の2蔵とタッグを組みました。
今回、デイビッドさんと熊澤酒造の杜氏・五十嵐哲朗さんに、コラボレーションの経緯をうかがいました。
日本酒の未来に危機感を抱く
「全黒」は、杜氏のデイビッドさんをはじめとする4人によって、2015年に創業しました。そのメンバーである河村祥宏さんが、ニュージーランドのクライストチャーチに住んでいた時に、日本酒や焼酎の認知向上と輸出促進に取り組む国家プロジェクトに関わっていた友人に、日本酒が置かれている現状を教えられたことがきっかけでした。
「蔵人の高齢化や消費量の低下、酒蔵の廃業が続いていることを知って、日本酒を造る人がいなくなってしまうんじゃないかという危機感を抱きました」と、河村さん。
そこで思いついたのが、ニュージーランドでの酒造り。美しい氷河と万年雪に覆われた山々のおかげで、きれいな水が安定的に手に入り、かつ日本の水と品質が近いことをうけて、この地で酒を造ろうと考えたのだとか。
当初はクライストチャーチに酒蔵を設立する予定でしたが、震災の影響で計画が頓挫してしまいます。そこで、クイーンズタウンに住んでいるデイビッドさんに相談し、共同創業という形で「全黒」が立ち上がりました。
「最初は、私が酒造りをするのではなく専門の造り手を蔵に招いて、私たちは営業としてニュージーランド人に日本の素晴らしい酒文化を紹介する想定でした。そのため、吉久保酒造(茨城県)とカナダの酒蔵(YK3 サケ・プロデューサー)で1年半の間、修行したのです。プロジェクトが動き出す時に『充分に勉強してきたのだから、酒造りをやってみたら?』と、河村さんに言われました」(デイビッドさん)
唐突な提案にもかかわらず、デイビッドさんはすぐに酒造りのモチベーションが湧いたとのこと。自宅でどぶろくを造っていたこともあってか、「なんとかなるんじゃないか」という思いが強かったそうです。
日本の伝統 × ニュージーランドの風土
しかし、酒造りを始めようとしても、水以外の原料を仕入れるのがとても難しかったのだとか。当時、日本の酒米を輸入するのは困難で、最終的にカリフォルニア産の酒米を手配することにしました。その他、パンの発酵に使う酵母や日本のスーパーで売られているような麹を使用するなど、試行錯誤を繰り返しました。
ちなみに、この数年で日本酒の海外輸出が急増したこともあってか、酒造りの道具や機械、酒米を扱う商社が増加し、現在は日本の酒米を使っているそうです。
「麹造りは日本人の専門家にお願いしているので、フルタイムで働いているのは私ひとり。繁忙期にはお手伝いをお願いしていますが、生活スタイルが異なるので、夜中から朝まで働く人はいません。土日に働くのも難しいので、新しいスタイルの働き方が必要だと感じています」と、デイビッドさん。
ニュージーランドの国土は日本と比べて4分の3ほど。しかし、人口は約450万人と、面積に比べて人口密度は低め。市場が小さいため、現状、日本酒が広く周知されているわけではありません。そのため、日本の酒蔵にコラボを提案してもなかなか上手くいかなかったのだそう。
そんな状況で快諾してくれた酒蔵が、熊澤酒造でした。
きっかけは「ラグビー」
コラボのきっかけは、2019年に日本で開催される「ラグビーワールドカップ」。ラグビーのワールドカップは開催期間が長く、サッカーのワールドカップよりもお酒の消費量が多いと言われています。また、開催期間中に来日する海外観光客も相当数が見込まれています。
「ニュージーランドが優勝すれば3連覇。さらに、開催地が東京なので、なんとしてでも関わりたいと思っていたんです。『全黒』は生産量が少なく、日本へ送るのが難しいので、共同醸造に応じてくれる酒蔵を探しました」と河村さん。
デイビッドさんと五十嵐さんは初対面ですぐに意気投合したのだそう。
「第一におもしろいと感じました。ラグビーワールドカップは日本酒を海外に知ってもらう良いきっかけですよね」と、五十嵐さんは話します。
当時、五十嵐さんのように「おもしろい!」と反応してくれる酒蔵は本当に少なかったそうです。
「実際には『どうやって造るの?』『どうやって売るの?』という問題が山積みなので、躊躇するのが普通だと思います。ニュージーランドでは『まずやってみよう』という文化が当たり前で、五十嵐さんには近い気質を感じました。逆に、デイビッドは日本生活が長かったこともあって日本人らしい思考を持っている。だからこそ話が合ったのかもしれません」と、河村さんは当時を振り返ります。
「デイビッドはとても熱心で日本酒についても詳しいので、すんなりと受け入れられました。売ることばかり考えている人だったら断っていたかもしれません」(五十嵐さん)
両国の架け橋となるように
醸造したのはタンク2本分の純米酒。まだ仕込み中で販売先は未確定ですが、ワールドカップに向けたイベントも企画中とのこと。
「熊澤酒造のことは少しだけ知ってもらえればいい。それよりも、日本酒という美味しいお酒の存在を世界に知ってほしいですね。今回コラボしたお酒はニュージーランドのテイストが入っているので、日本文化に触れるという意味で、ワールドカップの盛り上がりのなか試してほしいと思っています」(五十嵐さん)
「慎重にやりつつも、情熱を大事にしたい。今回のコラボで、ニュージーランド人の日本酒を飲むハードルが下がってほしいと思っています。両国の架け橋になれたらうれしいですね」(デイビッドさん)
「ラグビーワールドカップ2019 日本大会」は9月20日からの開催。本プロジェクトを機に、両国が少しでも歩み寄ることができたのなら、それは日本酒にとっても大きな一歩となるでしょう。本大会がどのような効果をもたらすのか、楽しみですね。
(文/乃木 章)