日本には数多くの銘醸地がありますが、「神々が集う地」として知られる島根県出雲市もそのひとつ。日本海の海の幸や奥出雲の山の幸、宍道湖や神西湖の湖の幸など、雄大な自然に恵まれた出雲の素晴らしい食文化は日本酒との相性も抜群です。
そんな島根県・出雲にある酒蔵、旭日酒造を訪ね、十代目当主・佐藤誠一氏の長女である、副杜氏の寺田栄里子さん(以下、栄里子さん)にお話をうかがいました。
しっかりとコクのある味わいの「十旭日」
JR出雲駅から徒歩10分、「サンロードなかまち」という商店街の途中にある旭日酒造は、1872年(明治2年)創業の150年を超える歴史を持つ酒蔵です。
出雲市内を歩くと至るところで旭日酒造の看板を見かけることができ、旭日酒造の造る日本酒が出雲の人々の生活の中に溶け込んでいることが容易に想像できます。
栄里子さんと、夫で杜氏の寺田幸一さんが中心となって造る旭日酒造のお酒は、しっかりとコクのある味わいが特徴。長期熟成酒に力を入れていることでも知られ、冷酒でいただくよりも燗酒として温めてゆっくりと楽しみたいお酒です。
旭日酒造の代表的な銘柄は、「十旭日(じゅうじあさひ)」です。
後の大正天皇の侍従長、木戸孝正侯に献上した日本酒が「天下一の美酒なり」と賞賛され、「旭日」の揮毫(きごう)を受けたことと、7代目の当主のとき、能勢妙見山の切竹矢筈十字の紋章をお守りとして大切にしていたことから、「十旭日」という名前になりました。
「『十旭日』は、酵母が醪の中の糖分をしっかりと食べて、元気に発酵したお酒です。温めるとお酒の表情が変化して持ち味が発揮されたり、料理と合わせることで魅力が増したりするので、ぜひお試しいただきたいですね」と語る、副杜氏の栄里子さん。
また、出雲大社御神酒の銘柄である「八千矛(やちほこ)」も、旭日酒造を代表するお酒です。もともとは同じく出雲の古川酒造が造っていた銘柄ですが、2013年から銘柄と造りを引き継ぎました。
旭日酒造の長女として生まれ、大学卒業後は京都の老舗茶舗で働いていた栄里子さん。もともと家業を継ぐ意思はなかったそうですが、実家の事情で戻らざるを得なくなりました。もちろん、それまで酒造りの経験はなく、知識や技術もゼロ。後ろ向きな気分で2001年に旭日酒造に入社しましたが、後に転機が訪れます。
社長である父親と日本各地を出張する際に、酒屋さんに連れられて飲食店で食事をすることがよくありました。そこで、料理とドンピシャにハマったときの旭日酒造のお酒の爆発力に感動したのです。
飲食店の方が、旭日酒造のお酒の魅力を最大限発揮できるよう、提供する温度や料理の合わせ方を工夫していること。そんな飲食店との間に立ち、旭日酒造を応援してくださる酒屋さんがあること。
こうした出来事を出張のたびに何度も経験することで、地元・出雲での自社のお酒の立ち位置も再確認し、「酒造りを一生の仕事にする」と決心します。
生酛造りで、微生物の声を聴く
栄里子さんが2008年ごろから取り組みを始め、今では旭日酒造の主力ラインナップとなっているのが生酛造りです。
生酛造りとは、人工の乳酸を使わない技法のこと。酛摺りという米や米麹をすりつぶす作業の後に、酒蔵に存在する乳酸菌が乳酸をつくります。そこに酒蔵の壁や天井についている酵母が入り育つことによって、酒母が完成。一般的に人工の乳酸を使う速醸酛の酒母が約2週間でできあがるのに対し、生酛造りは最低でも1ヶ月ほどかかります。
「生酛造りは、蔵の長い営みを見守ってきた子たちが酒母や醪にイタズラをして、酒の味わいに個性をもたらしているように思えます」と、栄里子さん。
複雑な味わいが生まれる一方で、現代の酒造りに慣れた職人からすると、手間や時間がかかること、また安全性への不安もありました。
そのため、生酛造りの導入に、当初は社内からの反対もありましたが、初年度だけ酵母を添加するなどやり方を工夫してスタート。2年目からはすべて蔵付きの酵母で醸し、また新たな農家との出会いもあり、新しい酒米での銘柄も追加。そうして、10年以上もの間コツコツと続けてきたのが旭日酒造の生酛造りです。
できあがったお酒は、蔵の貯蔵庫に保管され、飲みごろに合わせて出荷されます。「もろみに向き合って元気に醗酵を見守ると、搾った直後に完成というわけではないんです。味が乗ってくるのに時間がかかるので、飲みごろを待って出荷をしています」と、栄里子さんは教えてくれました。
コロナ禍で始めた新たな試み
2020年から世界中に猛威をふるったコロナ禍の影響は、旭日酒造にも及びました。飲食店での日本酒需要が減るなか、「こんな時に酒蔵にできることはないか」と栄里子さんが始めたのが、YouTube「出雲の地酒 十旭日チャンネル」(酒造りの期間は更新休止中)です。
代表銘柄でありながら、種類が多く、商品ごとの違いがわかりにくいと言われる「十旭日」について、このYouTubeチャンネルでは、各商品の特徴を10分間で解説しています。
それぞれのお酒の特徴、込められた想い、背景などはもちろんのこと、温めたときの味の変化などを、押し付けることなく、あくまで栄里子さんの感想として伝えてくれます。
「原酒のようなお酒には、好みに合わせて水を加えてもよいですよ」と、酒造りには徹底的にこだわりながらも、飲み手に寄り添う栄里子さんの姿勢が印象的。「たとえ、今は好みじゃなくても、こういうお酒があることを知ってもらえれば」と、日本酒の楽しみ方に対する考え方も柔軟です。
YouTubeに続いて始めたのが、Instagram(@asahishuzo)のライブ配信です。
毎日22時から10分間、日々状態が変わる醪の様子をリアルタイムで映しながら状態を説明し、視聴者からの質問に答えるという人気の配信です。仕込みの段階によっては、「パチパチ」と弾ける醪の音を聴くことができるのだとか。タンクの中の醪の様子は、まるで生き物のようです。
「人よりも醪が相手の方が話しやすいんですよ」と、栄里子さん。「お酒は生き物として向き合う」という栄里子さんの言葉は、彼女の酒造りに対する考え方をよく表しています。
旭日酒造では、他にも新しい取り組みを始めています。
そのひとつが、購入すると1本当たり150円を出雲市の動物愛護団体に寄付ができるというカップ酒「にゃんにゃんカップ」と「わんわんカップ」です。この企画は、動物好きの栄里子さんの想いから、商品化に至りました。
もともと動物愛護活動に興味があった栄里子さんですが、日本酒との接点が見い出せずにいました。そんな中、日置桜で知られる鳥取の山根酒造で「日置桜 福ねこ≪FUKUNEKO≫ラベル」という、売上から保護猫団体へ寄付されるお酒と出会います。
出雲で同じことが出来ないかと山根酒造に相談した結果、快く背中を押していただいたことが「わんにゃんカップ」のスタートです。
「にゃんにゃんカップ」は、島根県産改良雄町の酒米を使用し、猫をイメージした遊びと幅のある味わい。「わんわんカップ」は、島根県産五百万石の酒米を使用し、犬をイメージした素直な味わいです。
カップ酒と言っても酒質はしっかりとこだわり、どちらも辛口で、カップのまま温めて飲むのもおすすめなのだそう。
もうひとつが、干支ラベルのリニューアルです。
十干(じゅっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせで60年が巡っていく干支(えと)。旭日酒造では、新酒の時期に、干支にちなんだ筆文字ラベルの純米吟醸酒を25年以上販売してきました。
2022年2月になり、この干支ラベルをイラストのものに変更。「純米吟醸生酒 壬寅」は、今年の干支である壬寅(みずのえ・とら)にちなんで、春の海をバックに、今にも飛び出しそうな寅のイラストが描かれています。イラストを手掛けるのは松江市在住の紙芝居作家、よしとさんです。
「干支に込められた意味を知り、少しでも前向きに毎日を過ごせたら」という想いがこもった特別な干支ラベル。その年の干支にちなんだラベルに毎年変わるので、干支が一周するには60年後のこと。毎年異なるラベルで日本酒を楽しんで味わえるという仕掛けです。
「このプロジェクトのために長生きしないとね」という話題で、社内のプロジェクトチームも盛り上がっている様子です。
酒蔵が地域とともにあるために
栄里子さんにお話をうかがって感じたのは、自分がお酒について何もわからなかったときの感覚や目線を大事にしているということでした。それは地元・出雲との関わり方にも活きています。
旭日酒造ではお酒のほかに、酒粕、麹、甘酒等を店頭で販売し、地域の市場である「サンデーマーケット」にも出品しています。これは「お酒を飲まない人も、発酵のおもしろさや魅力の部分から興味を持っていただけたら」との思いから。
さらに、酒粕を原料とする「粕取り焼酎」も製造する旭日酒造では、焼酎を造ったあとの粕を、近所の農家で野菜栽培用の肥料として試験利用しています。
昔から酒粕は良質な肥料として活用されていましたが、最近は存在自体が知られていない場合もあります。「酒蔵は循環の仕事」と考える栄里子さんは、サンデーマーケットなどを通じて若い農家にも働きかけ、一緒に勉強しながら進めています。
人間がコントロールしきれない微生物の力を信じつつ、できあがったお酒の魅力をさまざまな方法で伝える努力を惜しまない栄里子さん。さらに酒造りだけに留まらず、当たり前にあった酒蔵と地域のつながりを現代に復活させたいと考えるなど、幅広い視野、柔軟な思考で挑戦を続けています。
微生物にも地域にも飲み手にも、相手に寄り添いながら行われる数々の取り組みにこれからも注目です。
(文:星知紀/編集:SAKETIMES)
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