2016年12月に起きた大規模な火災によって、酒蔵のほとんどが焼失してしまった、新潟県糸魚川市の加賀の井酒造。復興を不安視する声もありましたが、蔵元の息子さん2人と蔵人たちの情熱で苦難を乗り越え、新しい建物と醸造設備を設えて、1年半ぶりに酒造りを始めたといううれしい知らせが届きました。
再始動した酒造りは、6月末まで続く
蔵に訪問した日は、記念すべき仕込み1本目の醪をいよいよ搾り機にかける前日でした。加賀の井酒造の取締役で、第18代蔵元の小林大祐さんが仕込みタンクのふたを開けると、芳しくも優しい香りがふわりと漂ってきました。
「ほぼすべてが新しい設備の酒造りで、どんなお酒に育つのかとても心配でしたが、蔵で使っている仕込み水が発酵に向いた硬水だったおかげで、狙い通りの仕上がりになりそうです」と、大祐さんは安心している様子です。
一方、弟の久洋さんは搬入が終わった瓶詰め機の前で、メーカーから来たエンジニアと綿密な打ち合わせをしていました。
「搾ったら、すみやかに澱下げをしてすぐに瓶詰めします。ゴールデンウィーク中に最初のお酒を出荷できるので、わくわくしながら準備をしていますよ」と、話していました。
取材に伺ったのは5月上旬。多くの酒蔵では、平成29BY(醸造年度)の酒造りがすでに終わっているか終盤を迎えているところですが、加賀の井酒造では、6月末まで日本酒の醸造に取り組むのだそう。
「酒造りを辞める選択肢はまったくなかった」
いまから約1年半前、2016年12月22日の朝。年の暮れということもあって、加賀の井酒造はあわただしい朝を迎えていました。その日は、いつもの酒造りに加えて、午前10時半から酒蔵見学のお客さんを受け入れる予定だったのだそう。
来客を出迎えるために外へ出た大祐さんは、当初、きな臭いにおいが漂ってくるのを感じ「何かが焦げているのかな」と思ったそうです。まもなくして、火事が発生したことを防災無線で知ります。出火場所が蔵から遠かったので、見学者の案内をやや急いで済ませ、その後は「火が近づいてきたら知らせるように」と蔵人に指示して、麹造りの作業を進めていました。
その後「強い南風で飛んできた火の粉で、道路を隔てた向かいの店が燃えています」という知らせを受けて、慌てて近くの公園に避難。大祐さんの誘いで以前の会社を辞めて、2週間前に蔵へ戻ってきたばかりの久洋さんもいっしょにいました。「まさかこれが、蔵との別れになってしまうとは思いもしませんでした」と大祐さん。消防の規制が解除され、蔵の焼け跡に足を運ぶことができたのは、その2日後。12月24日でした。
屋根は焼け落ち、仕込みタンクの醪も貯蔵タンクのお酒もすべて廃棄。瓶に詰めてあったお酒も、冷蔵庫といっしょに完全に焼け落ちていました。残ったのは、蔵の隅に立っていた土蔵のみ。
「呆然と立ち尽くすだけでした。それでも、これで終わりだとは思いませんでした。数日後には、蔵を建て直して酒造りを再開するつもりで動き出していました」と、大祐さんは当時を振り返ります。
これを機会に酒造りを辞めるという選択肢は、大祐さんの頭のなかにはまったくありませんでした。
多くの支援を受けて
加賀の井酒造は、2006年に多額の負債を抱えて、事業停止に追い込まれた経験があります。しかし「350年以上の長い歴史を誇る加賀の井酒造は、加賀藩のお殿様が参勤交代の途中に本陣として使い、加賀の井のお酒で夕食を楽しまれたという、地域にとっても大切な歴史的資産。絶対に、僕の代で終わらせるわけにはいかない」と考えた大祐さんは、他社の支援を受けながらの存続を選びました。
以後、10年の歳月をかけて地道に酒質をアップさせて、販路を広げながら、経営の立て直しを着実に進めてきました。
そこで、大祐さんは「酒造りを手伝ってほしい。いっしょに、加賀の井の歴史をつくっていこう」と、弟の久洋さんを熱心に誘います。そうして、もともと酒造りに興味があったことから、久洋さんも蔵に戻ってきました。
「弟は会社を辞めて帰ってきたばかり。焼けてしまったから『はい。蔵はおしまい』というわけにはいきません。歴史を紐解いてみると、加賀の井酒造は過去に12回もの火事に遭っています。くじけてなるものかという気持ちでした」と、大祐さんはその時の思いを語ります。
幸い、親会社の盛田(愛知県名古屋市)も、再建を支持してくれました。親会社のグループ会社である銀盤酒造(富山県黒部市)の設備を借りて、昨年の2〜3月と10~11月に必要最低限のお酒を造ることができ、顧客のつなぎとめを図ることができました。
3月末に出来上がった新しい蔵は、蔵人たちの作業動線が最大限に配慮され、無駄のない作業ができるようになっています。
最新鋭の洗米機が導入され、秒単位での吸水が可能になりました。麹室は高温・高湿を保つ「前室」と、湿度を調節して麹を枯らす「後室」に分け、さらに、出麹専用の部屋を設置。小仕込み用の仕込みタンク8本は、温度管理ができるサーマル式で、かつ仕込み部屋全体に空調が効いています。搾り機のある部屋にも冷蔵設備を導入し、低温のまま搾りを行うことができるようになりました。
「お酒の出来を、設備のせいにすることができなくなりました。我々の取り組みが結果のすべて。背水の陣です」と、大祐さんは覚悟を見せてくれました。
ふたたび、地元に愛される酒を
新しく生まれ変わった蔵で、加賀の井酒造はどんなお酒を造っていくのでしょうか?
「仕込み水以外のすべてが以前とは異なるので、まずは美酒を造るための基本として、教科書的な造りから始めました。使う種麹(もやし)を1種類に絞って、酒母造りもオーソドックスな速醸で様子を見ます。うちの仕込み水はミネラルがとても多い硬水で発酵が旺盛になるので、低温で醪を管理して、雑味のない風味豊かな旨味のあるお酒を目指します。
糸魚川の港から捕れる魚は赤身のものがほとんどなく、地元の寿司屋さんには、白身魚・イカ・貝類のみを提供するところもあります。そんな風土に合うのが、うちのお酒だと思っています。甘味を抑えた複層的な旨味で、食事といっしょに呑むと心身ともにリフレッシュできるお酒として、地元の人にも県外の人にも愛され続けてほしいですね」(大祐さん)
新しい蔵から産声を上げる美酒が、多くの人に届くように、加賀の井酒造のこれからに期待したいと思います。
(取材・文/空太郎)