三重県にある休眠中の酒蔵がもっていた酒造免許を、北海道にできた新設蔵へ移転する。そんな前例のない離れ業で話題を集めた「上川大雪酒造株式会社」。酒造りを行う「緑丘蔵(りょっきゅうぐら)」が4月に完成し、5月下旬から試験醸造が始まりました。
今回は、前人未到とも言える新しい酒蔵の現場に密着取材。杜氏や蔵人たちの挑戦をレポートします。
大雪山国立公園の玄関口にある小さな町
蔵のある北海道上川郡上川町は、札幌から北東へ約180km、JRの特急で2時間20分の場所にある、人口3800人弱の小さな町。最近では、スキージャンプの女子W杯チャンピオン・高梨沙羅選手の出身地として取り上げられることが増えてきました。
主要産業は農業と観光。同町で生産される野菜は「大雪高原野菜」として知られています。さらに、人口比のラーメン店数が日本一。「ラーメン日本一のまち」としても売り出しています。
また、町があるのは日本一の広さを誇る「大雪山国立公園」の麓。同公園の玄関口である峡谷で温泉郷の「層雲峡」は年間約200万人もの観光客でにぎわうのだとか。北海道屈指の観光地である美瑛や富良野も近く、夏場は活気にあふれます。
5月に産声を上げたばかりの新設蔵
蔵は昨年11月から着工し、4月初旬に竣工。醸造用の機材や道具を整え、旭川東税務署から「清酒及びリキュール製造場移転許可通知書」が正式に出されたのは5月18日。北海道12番目の蔵が正式に認められた瞬間でした。
さっそく蔵では5月23日から試験醸造を開始。今回訪れたのは6月3,4日でした。両日ともあまり天候に恵まれず、最高気温はなんと8℃。層雲峡では氷点下になりました。さすが北海道ですね。
蔵はJR上川駅から徒歩20分、車で5分ほど。緑に囲まれたエリアで、蔵の裏側には北海道一の大河・石狩川が流れています。
外見はコテージやペンションと見まがうようなおしゃれでシックなつくり。醸造の様子は2階のバルコニーから眺められるようになっていました。
蔵の面積は83坪とかなり小規模。しかし広い土地をもっているので、いずれは道の駅のような観光拠点として整備していく計画だそう。
1階に醸造タンク、圧搾機、瓶詰めや瓶燗火入れの機材が設置され、2階には事務所や仕込み部屋がありました。蔵の中は清潔感にあふれていますね。
醸造から濾過、上槽、瓶詰め、出荷までの流れを2階から1階へエレベーター式に降ろしていく形で、蔵人の負担を軽減する合理的な構造でした。
こちらは仕込みタンク。全部で6本あり、この日は2本目の仕込み中でした。
麹米と掛米に使う米を蒸し、それをほぐして麹室に運んだり、醪に投入したり。筆者も、蔵仕事の一部を手伝わせていただきました。
造りの要になるのが、杜氏の川端慎治さん。
石川、福岡、群馬、山形などの酒蔵で修業を重ねた後、北海道に戻り、金滴酒造(北海道樺戸郡)で約5年間杜氏を務めました。約1年半ぶりの現場復帰です。3月1日には上川町に住民票を移し、上川町民になりました。
町を挙げて酒造りに協力!地域に根差した"地方創生蔵"
川端杜氏もほとんどの作業に参加し、スタッフにアドバイスをしています。この日の仕込みには、川端杜氏のほかに社員が1人、次の日には2人しかいませんでした。公募で採用した社員は3人だけで、町民や酒造り経験のある助っ人がボランティアで手伝ってくれているのだとか。
日本酒を通じた"地方創生"というコンセプトだけでなく、そこに共鳴した地域の期待がうかがえますね。上川町は、役場の方と町民有志で「酒蔵支えTaI(さかぐらささえたい)」を結成。10人のメンバーが土日を中心に酒蔵の作業を手伝っています。今回は、旭川市にある酒販店の方も手伝いにきていました。
蒸米を醪に投入しているのは、上川町役場企画総務課企画グループの谷脇良満さん。
実はまったくの下戸で、酒蔵での作業ももちろん初めてだったそう。
「塚原社長が、上川町をはじめ北海道を応援したいという思いで、上川町に酒蔵を造りたいという話は約2年前から出ていました。ちょうど1年ほど前から、急速に話が進んでいきましたね。行政としてもできるところはしっかりバックアップしていきます」と話していました。
"原料以上のものは造れない"
上川大雪酒造の仕込み水は、万年雪が残る大雪山系の湧水を源流とする、酒造りには理想的な約7℃の地下水。上川町の人々も「水が美味しい」と口をそろえます。水源から上川町までの間に民家が1軒もなく、生活排水が一切混ざりません。実際飲んでみても、水道水ですら透明感があふれるやわらかい味わいでした。
川端杜氏が強調するのは"原料以上のものは造れない"ということ。清酒造りの原料は水と米。「上川の水は良いですよ。軟水ですが、適度にミネラルもあるので、締まりのある酒を造れそう」と話します。
「愛別彗星70%」の醪に櫂入れをしているのは、助っ人として手伝っている高橋栄一さん。サラリーマンとして定年を迎え、故郷の北海道滝川市に戻った後に川端杜氏の酒を飲み、「こんなに旨い日本酒があるのか」と感動。酒造りに目覚めました。川端杜氏と働いた経験もあります。地元でコミュニティーFMのDJなどを務めていましたが、今回の復帰を聞き、蔵に駆け付けました。川端杜氏の家に居候しながら仕込みを手伝っています。
醪の温度を確かめる川端杜氏の表情は真剣そのもの。
醪に氷を入れ、温度が上がりすぎないように調節していました。5月下旬からの外気温は日を追うごとに上がっていくので、温度管理には細心の注意を払います。
こちらは翌日の醪タンク。ブツブツと元気に泡立ち、心地良い発酵の匂いを漂わせていました。
使用する酒造好適米はすべて北海道産。上川町の隣にある愛別町の彗星・吟風、川端杜氏が高く評価する砂川町の吟風・彗星・北雫(きたしずく)を使い、6種類の酒を仕込んでいます。上川大雪酒造は北海道初の全量純米蔵で、ラインアップはすべて純米酒か純米吟醸酒。本格的な醸造は9月からで、愛別町や砂川町、そして南幌町から厳選した酒米を使用する予定です。
大吟醸酒と同じような小仕込みで、繊細に、ていねいに
製麹の作業にも参加しました。麹室は換気にこだわったそう。
午前中に麹室へ入れた「砂川彗星60%」の蒸米。麹の繁殖しやすい適温までもっていくために、ほぐして広げながら布であおいでいきます。
こちらは吟醸用の種麹。
川端杜氏の職人技を見せてもらいました。
種麹の振り方はスペックによって変えているそう。蒸米にどう麹が付着するかで、麹の育ち方が変わり、その結果味わいに影響が出るからです。
純米酒規格の酒ですが「今回は吟醸用の振り方です」と話していました。
大吟醸はかなり上から振るのに対して、純米酒は蒸米に近づけて振るのだとか。しばしの間、川端杜氏が振りかける種麹の飛散に見惚れてしまいました。
写真はすでに完成した麹。
みずからが放つ熱で温かく、蒸栗のような良い匂いがしました。口に含むとほのかな甘味を感じます。
仕込み部屋では、次の仕込みに使う酒米の洗米・浸漬の作業が行なわれていました。
洗米、浸漬は秒単位、吸水の割合をコンマ数%単位で計算しながらの作業。すべての工程が大吟醸並みの小仕込みであるのに驚きました。その日の気温や湿度に合わせて微妙な調整をする、繊細な造りです。
浸漬作業を行なっているのは、旭川市在住の新山仁さん。6月16日付で正式に社員となりました。この日は仕事に慣れるため、手伝いに訪れていたのだそう。販売や営業の仕事をいくつか経験し、旭川市の清酒蔵「大雪の蔵」のレストランで働いていたこともあります。本格的な酒造りはもちろん初めてですが、27歳できき酒師の資格も取得したほどの日本酒好き。「今までは生活のための仕事でしたが、今回は自分が望んでいた仕事です」と意気込んでいます。
今後は濾過や瓶詰め、火入れなどを担当する予定だとか。上川町から採用された2人のうち、豊川陽子さんもスーパーの店長から転職したという異色の経歴。ゼロからの酒造りなんだと、改めて感じますね。
写真左:豊川陽子さん 写真右:福井県吉田酒造から研修に来ている吉田真子さん
町民に恩返し!まずは上川町民に飲んでもらいたい
試験醸造は6月19日に甑倒しとなり、仕込み1号「愛別彗星65%」を搾ったばかり。9月から平成29酒造年度の醸造を開始し、10月末には蔵開きを予定しています。
「町民の盛り上がりを強く感じています。『愛別彗星70%』は一升瓶で詰め、町民への還元酒にできればいいですね」と川端杜氏。まずは上川町民に呑んでもらいたい、恩返ししたい、という強い思いが伝わってきます。
上川町の方々も緑丘蔵の話はみなさん知っているようで「上川の人は酒飲みだからね」と笑顔で話していました。川端杜氏も食事と合わせてグイグイ杯が進むような、北海道弁でいう"飲まさる酒"を目指しています。
一昔前まで、清酒造りは季節労働の杜氏を筆頭に行なわれていました。最近では酒造りの環境も会社化されつつありますが、まったくの新設蔵で、酒造り未経験の地元民が総出で協力しながら、"おらが町の酒"を造る姿は全国を見回しても異例でしょう。
北海道らしいフロンティアスピリッツにあふれた、新しい清酒造りに期待したいですね。
(取材・文/木村健太郎)