能登半島のちょうど真ん中に位置する、石川県羽咋(はくい)市の御祖酒造(みおやしゅぞう)。その代表取締役である藤田美穂さんは、生まれ育った東京での社会人生活に終止符を打ち、蔵を継ぐために2003年に代表取締役に就任したという、ちょっと珍しい経歴の持ち主です。
そんな藤田さんが、2005年に能登杜氏・横道俊昭さんとともに立ち上げた新銘柄が「遊穂(ゆうほ)」です。翌2006年には、能登杜氏が自ら醸した新酒の味覚や品質を競う「能登杜氏自醸清酒品評会」で、金沢国税局長賞・能登杜氏名工賞を受賞。「遊穂」を一気に全国区へと押し上げました。
藤田社長と横道杜氏が出会ったことで生まれた「遊穂」の酒造りに迫ります。
名前を決めるより先に酒ができてしまった「遊穂」
誕生から今年で15年目を迎えた「遊穂」は、料理とともに楽しんでもらえるようにと考えられた、濃醇な味わいながらキレと軽快な口当たりが特徴のお酒です。
御祖酒造から杜氏就任の打診を受けていた当時、横道さんが造りたかったのは、酸がしっかりして旨味のある酒でした。
「藤田社長から女性が飲みやすい甘い酒を造って欲しいと言われたらどうしようか」と思っていたところ、藤田社長から「香りはいらないので酸のあるしっかりした酒を造って欲しい」と聞かされ、「これはまさに自分が造りたい酒だ!」と驚いたようです。
目指す酒質が同じことに喜んだ横道さんは、続いて、御祖酒造の蔵の設備を確認します。麹は全量手造りとすること、麹室が広く床が2台あること、麹室と寝床の位置が隣り合っていること。それらの条件が整っていることを確認したうえで、御祖酒造の杜氏に正式に就任します。
「あと、朝・昼・夜の三食とも食事付きで!とお願いしましたよ」と、笑いながら話す横道さん。杜氏就任をきっかけに始まったのが、旨味もありながらもキレのある飲み口の地元銘柄「ほまれ」とは異なる新銘柄の考案です。
吟醸酒であっても料理の邪魔をしないように、ほのかで上品な吟醸香がある酒という完成イメージは固まりましたが、難航したのが銘柄名です。
なかなか銘柄名が決まらないまま、杜氏が蔵入りする10月を迎え、12月には名前が決まるより前に酒が完成しました。名前もラベルもない、どうしようかと頭を抱えていたところ、横道杜氏がこう言いました。
「もう何でもええやろ、羽咋市はUFOの町で有名なんやから『ゆうほ』でいい。ゆうほ、ゆうほ!」
そこで、遊ぶの「遊」に稲穂の「穂」を当てて、「遊穂」という銘柄名が決まりました。ラベル作成の時間がなく、藤田社長自身が銘柄名を書くことにしましたが、「遊穂」という文字を筆で書くのには難しく、初期のラベルは平仮名の「ゆうほ」だったそうです。
そんな生まれたばかりの「遊穂」に、関西の有名酒販店「山中酒の店」から、「とりあえず5ケース欲しい」とうれしい注文が入ります。
「まだちゃんとしたラベルもないし、価格も決まっていないんですが……」と、山中酒の店の店主・山中さんに伝えると、山中さんからは「ラベルなんて手で書いて送ってくれればいい、価格も適当でいいから」との返事。言われるがまま急いで準備に取り掛かり、全て手書きで発送しました。
なぜ有名店でもある山中さんから「遊穂」の注文がきたのか。あとで聞いてみた話ですが、「遊穂」を紹介してくれたのは、日本で唯一、大きな木桶を作ることができる会社・ウッドワークの社長でした。山中さんが「最近面白い酒はないか?」と話したところ、ウッドワークの社長が「石川県に面白い酒を造る蔵があるよ」と教えてくれたのだそうです。
「人と人が繋がる輪をきっかけで、今でも山中さんとはいいお付き合いをさせていただいています」と、藤田社長は満面の笑みで話してくれました。これを機に「遊穂」は、全国でも人気な銘柄となっていきます。
「誰が育てた米なのか」を大切にしたい
「遊穂」で使われる原料米は、「山田錦」や「五百万石」など酒造好適米や、「能登ひかり」や「ゆめみづほ」など、石川県産の飯米です。御祖酒造では、石川県産以外の米もよく使っています。そこには、「誰が育てた米なのか」という大切な考え方がありました。
藤田社長が蔵を継いだ当初、地元の農家に自分が希望する米の伝え方がわからず、兵庫県黒田庄の農家を取りまとめている方に相談したことがありました。藤田社長から相談を受けたその農家は、その翌日に石川県の御祖酒造を訪ねてくれたそうです。
藤田社長は、そのときのことをこう振り返ります。
「その農家さんは『躍感塾(やっかんじゅく)』という志ある農家の組織を作り、健康で力のある山田錦の生育に熱心に取り組んでいらっしゃいます。何より相談した翌日に酒蔵まで来てくださる方です。そんな素敵な方が育てた山田錦を使いたいと思ったんです。兵庫県が山田錦で有名な産地だからとかではなく、私たちはどんな人が育てた米なのかを基準にして選んでいます」
他にも、「玉栄」という酒造好適米で造った「遊穂」もあります。この「玉栄」を使った「遊穂」は、藤田社長が酒造責任者として全ての管理を担当する商品で、蒸米に麹菌を振る作業も藤田社長自身が行っています。
「この玉栄は滋賀県高島市安曇川町の清水光男さんが育てているものです。横道杜氏が滋賀県の池本酒造に在籍していた時からお付き合いがあったことがきっかけで、うちでも使わせてもらうことになりました。玉栄を使いたかったというよりも、清水さんが人間と自然に優しいお米を育てている農家さんなので、その人柄に惚れて玉栄を選びました。ちなみに、清水さんの育てる飯米もおいしいんですよ」
横道杜氏は、自社が使う米の特徴について、こう話します。
「純米酒と生酛は、酒造好適米の五百万石と石川県産の飯米である能登ひかりを使っています。五百万石は、使い方によっては求めている酒質とは合わない感じもします。それでも、五百万石は面白いお米で、掛米ではなく米麹を造るのにとても適しているようで、麹米として使うと味のりがいいんです。
能登ひかりは、食べてもおいしい米なのですが、年々作付けが減ってきている品種です。その原因は、新しい品種が出てきていること、栽培が難しいこと、見た目が白くなりやすいことなどが挙げられます。
しかし、食べるだけでなく酒米として向いていて、うまくお米を溶かせれば甘味が出ていい味になります。今は『遊穂』の純米酒、生酛純米、生酛純米酵母無添加に使っています。玉栄も、清水さんの玉栄だからこそ活かしたい気持ちが強いです」
今年からは、蔵の地元でつくりやすい飯米の「ゆめみづほ」も使い始め、日々、農家さんとの二人三脚での酒造りを目指しています。
好きなように楽しんでもらえる酒でありたい
最後に、藤田社長と横道杜氏に御祖酒造のこれからの酒造りについてお聞きしました。
「『テロワール』を強調するわけではないですが、やっぱり地元のお米を使うことはすごく大事だと思っています。地元の水田を絶やしてはいけないという思いは強く感じています。『遊穂』の味わいを大きく変えることは、今のところ全く考えていません。
ただ、時代の変化は読み取り、今の『遊穂』の基本の考え方は変えずに時代が求めるものとうまく折り合いを付けていきたいと思います。名前に『遊』と字がつくくらいですから、お客様には、気楽に好きなように楽しんでいただけたらいいなと思っています」と話す、藤田社長。
横道杜氏は、「ただただ、無心でお米と向き合い、飲んでいただいたお客様がにっこりと『おいしい』と言っていただける『遊穂』を醸し続けるだけです」と、言葉は少なめですが、酒造りへの熱い思いがとても伝わってきます。
杜氏との出会い、酒販店との出会い、農家との出会い。さまざまな人たちとの縁によって生まれ、大きくなった御祖酒造の「遊穂」。そんなストーリーを知ると、さらにおいしくいただけそうです。
(取材・文/磯崎 浩暢)