※当記事の取材は2019年5月に行いました。

1892年(明治25年)に創業し、山形県天童市に蔵を構える出羽桜酒造。1980年に発売した「出羽桜 桜花吟醸酒」は吟醸酒ブームの火付け役となり、「吟醸酒と言えば『出羽桜』」と言われるほど、そのイメージを確固たるものにしました。

幅広い世代に愛されている出羽桜酒造ですが、その人気は、現状に満足せず常に未来を見据える姿勢があったからこそ。変化が激しい時代を、出羽桜酒造はどのように歩んできたのでしょうか。

級別制度が地酒蔵に与えた影響

日本酒の課税数量は1973年(昭和48年)の177万klをピークに下降を続け、現在では3分の1以下にまで減少しています。酒蔵の数も減少を続け、2000年から2016年の間に1,977社から1,405社にまで減少。これは、1ヶ月に約3社が廃業しているペースです。

営業部 輸出担当長の鴨田直希さん、営業部の白田春樹さん

営業部 輸出担当長の鴨田直希さん(左)、営業部の白田春樹さん(右)

その当時について、営業部 輸出担当長の鴨田直希さんは次のように話します。

「1970年から1980年ごろは、石高で言うと全国で約900万石もの日本酒が造られていました。一升瓶換算にすると約9億本です。当時の人口や男女の飲酒状況を考えると、成人男性が一人あたり一升瓶を年間20本も消費していたと思われます」

現在よりも3倍以上の日本酒が醸されていた時代。しかし、当時は1943年(昭和18年)に制定された級別制度(昭和24年に特級・一級・二級の三段階制に改定され、平成4年に廃止)が適用されていました。特級酒や一級酒として売りたい酒は、その品質を保証するための級別審査を受ける必要がありました。

また、特級酒へと級が上がるにつれ、どんどん酒税が高くなります。特級酒・一級酒は大手のナショナルブランドの酒、二級酒は地方の地酒蔵というイメージが付き、地酒蔵は苦しめられてきました。地酒蔵は造る酒の多くを二級酒として売り出し、出羽桜酒造もそのひとつだったといいます。

「あえて審査を受けない」という選択

そんな中、大手メーカーに対抗するため、そして蔵をさらに成長させるためには、吟醸酒で勝負するしかないという考えのもと、出羽桜酒造は新たな動きを見せます。

それは、あえて級別審査を受けず、二級酒として出荷する「無監査二級酒」で吟醸酒を販売することでした。当時は鑑評会用としてのみ造られていた香り高い吟醸酒を、一般消費者向けに「中吟」として仕込み、酒税が安い「無鑑査二級酒」としてリーズナブルな価格で市販するという新たな挑戦を始めたのです。

「出羽桜 桜花吟醸酒」

「出羽桜 桜花吟醸酒」

こうして1980年(昭和55年)に販売した日本酒が、出羽桜酒造の主力商品となっている「出羽桜 桜花吟醸酒」。当時の日本酒とは異なる、香り高く品格ある味わいは、瞬く間に人気となりました。

当初は反発もあり、頭を悩ませた時期もあったといいます。しかし、「だからこそ成功させなければならない」という強い思いにつながったそう。

貯蔵用のタンク

貯蔵用のタンク

そして、このように「無監査二級酒」として日本酒を販売する地酒蔵が増えた結果、実際の品質と対応していないことなどから級別制度は1992年(平成4年)に廃止。現在の特定名称による分類へと変わっていきました。

現在まで続く出羽桜酒造の人気の理由を、「当時の打開策として、いち早く主軸を吟醸酒に移したことが今の出羽桜の根幹です」と鴨田さんは振り返ります。

妥協せず、基本に忠実な酒造り

そんな出羽桜酒造のこだわりのひとつは「米」だと鴨田さんは話します。

「吸水率などのデータを細かく意識して造っています。例えば、白米を100㎏と仮定すると128㎏になるように吸水させ、蒸し上がった際には蒸気の水分を加味して138㎏を目指す。奇をてらった方法ではありませんが、基本に忠実な造りをしています。

また、米を蒸す甑(こしき)は最新のものを使っています。ベタつくことなく、綺麗に蒸し上がるんですよ」

出羽桜酒造の甑

さらに印象的だったのは、それぞれの部屋から酒母がある部屋までの距離が長いこと。麹室から米麹を運ぶことを考えると、近いほうがいいように思えますが、その理由は衛生面への配慮でした。

「水場は雑菌の繁殖元になる。そのため、酒母がある部屋と水場を離したかったんです。確かに運搬面での労力は増えますが、人の努力でどうにかなるのなら努力します」

妥協することなく、よりよい酒を造るための工夫だったのですね。出羽桜酒造のこだわりは、ここにも表れていました。

吟醸酒の魅力を伝えるために

最後に、これからの出羽桜酒造について、鴨田さんにうかがいました。

「うちは『吟醸酒を世に伝えていきたい』という思いのもと、今日まで酒を醸してきました。吟醸酒と言えば『出羽桜』、とまで言っていただくようになり、大きく成長できた蔵なので、これからもその思いは変わりません。

しかし、日本酒業界は多様化してきています。かつてはひとつの商品を長く飲んでいただいていましたが、現在のお客様は、さまざまな商品からおもしろさや楽しさを求めて選んでいると感じます。そんな中で、どのようにして吟醸酒の魅力を伝えていくか、それがこれからの課題です。

うちの主力商品となっている『出羽桜 桜花吟醸酒』は今年で40周年を迎えますが、発売当初から飲んでくださっていた方も年齢を重ね、今ではお酒を飲む量が少なくなっています。今の若い世代の方たちは飲みにいく機会も減り、酒離れが進んでいるのが現状です。3月より、『桜花吟醸酒 40周年記念酒』が発売されていますので、ぜひ試していただきたいですね。

昔は全国各地の職場で、先輩から後輩に日本酒のよさを教えてくださるという伝統がありましたが、時代も変わりました。これからは我々が日本酒の伝え役になりたいと考えています。

そのためにも、どのように日本酒が造られているのかを見ていただくことから始める必要がある。今はまだ準備中ですが、蔵を見学できるようにする予定です。

日本酒の輸出も増え、これからさらに盛り上がりを見せていくでしょう。しかし、やはり日本酒は日本の文化ですから、日本の方に魅力を伝えていくことが一番大切だと思いますね」

建物

単に日本酒を造り続けるだけではなく、変化する時代に未来を考えてきたからこそ、今の出羽桜酒造があります。これからの挑戦も楽しみになる取材でした。

(取材・文/磯崎 浩暢)

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