いまだ全世界で猛威をふるう新型コロナウイルス。世界各国では「Lockdown(都市封鎖)」の措置をとり、「Essential Items(生活必需品)」の買い物以外は出かけてはいけないという厳しい外出禁止令が施行されました。

アメリカ国内でいち早く外出禁止令が講じられたカリフォルニア州サンフランシスコ。この街でアメリカ初の日本酒・SAKE専門の酒屋として17年の歴史を築いてきた「True Sake」代表のボー・ティムケン氏は、「Sake is Essential.(SAKEは生活に欠かせないもの)」と語ります。

ボー氏はなぜ、「Sake is Essential.」という答えにたどり着いたのでしょうか。コロナ禍における同店の取り組みと、その理由に迫ります。

アメリカ初の日本酒・SAKE専門店「True Sake」

True Sakeの外観

米カリフォルニア州サンフランシスコ市内のヘイズ・バレーに店を構える「True Sake」は、第1回「酒サムライ」叙任者として知られるボー・ティムケン氏が2003年にオープンしたアメリカ初の日本酒・SAKE専門の酒屋です。

約400平方フィート(約38平方メートル)の店内には、300種以上ものボトルがずらり。そのほとんどは日本から輸入された日本酒で、アメリカ国内で造られたSAKE(※)も数種類取り扱っています。開店以来、17年間という歴史の中で、多彩な流通業者とのコネクションを培ってきたTrue Sakeには、ここでしか手に入らない商品も多数あるといいます。

店舗は1店舗のみですが、全米42州に配送可能なオンライン販売も展開。アメリカ中のSAKEファンが利用していて、月に一度発行されるニュースレターの購読者数は約2万人にものぼります。

※国税庁の定める「地理的表示」では、「日本酒」という名称は「国内産のお米だけを使い、日本国内で製造された清酒」だけに規定されています。

ロックダウン下の「True Sake」で起きたこと

True Sakeに貼られたポスター

2020年3月17日、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、サンフランシスコは外出禁止令(Stay-At-Home Order)を施行。同月19日にはカリフォルニア州全土へと拡大し、他州も後へ続きました。

この要請に伴い、True Sakeは3月17日に一時閉店。店舗営業が許されるのは「Essential Items(生活必需品)」を販売するスーパーマーケットなどの店だけであり、食品を取り扱わない酒販店は原則として営業が許されませんでした。

しかし、お客さんたちからの熱い要望を受け、13日間の閉店の後、3月30日からオンラインストア限定で営業を再開。お客さんはWEBサイト経由で注文し、店頭ピックアップか自宅への配達によってお酒を買うことができるようになりました。

ロックダウン中にネット注文が軌道に乗ったため、5月31日に外出禁止令が解除された後も対面販売は再開せず、7月現在もオンラインストア限定で営業を続けています。

コロナ禍中に見えた希望の光

True Sakeで働くボー氏とメイ氏

「誰かが苦しんでいるときにおこぼれにあずかっても喜べはしませんが」と前置きし、「オンラインストアを再開した当初は、1週間でひと月ほどの注文が入ってきたんです」と目を丸くするボー氏。マネージャーのメイ・ホさんとのふたり体制で営業を再開しましたが、次々と舞い込む注文を、とても少人数では処理しきれなかったといいます。

コロナ禍の日本では、飲食店の営業自粛により、レストランにお酒を卸している酒販店も大きな影響を受けました。一方、アメリカの飲食店は酒販店を通さず、ディストリビューターという卸売業者から直接お酒を仕入れるルールになっています。

つまり、感染拡大防止のために飲食店が営業をストップしても、一般消費者への小売のみを行なっていた酒販店の売上には影響がありませんでした。

「驚いたのは、注文者のおよそ半数がTrue Sakeでのオーダーが初めてだったことです」

ボー氏が話すように、初めの1カ月の注文内訳を見ると、その45%を初回利用者が占めています。

「私は17年間、寿司レストランでしかSAKEを飲まないという人々に、『SAKEを家に持って帰って飲んでほしい』と言い続けてきました。コロナウイルスは、私が人生を捧げてきたことをわずか1週間で達成してしまったんです」

True Sakeの発送風景

来る日も来る日も大量のオーダーに対応していたボー氏は、注文表を見ながらあることに気づいたと言います。

「そこにあったのは、ありとあらゆる国籍の名前です。インドの名前、中国の名前、ロシアの名前、フランスの名前......。いろいろな国にルーツを持つ人々が、SAKEを愛し、飲んでくれている。SAKEはインターナショナルな飲み物なんだと実感し、感動しました」

「SAKE is Essential.」にたどり着いた理由

「再開したときにピックアップしに行くから、予約注文させてくれないか」「助けが必要なら、小切手を送らせてほしい」「どうか潰れないで」

ロックダウン施行から約2週間にわたる営業停止のあいだ、お客さんたちからたくさんのメッセージが寄せられました。「彼らは、別のお店でSAKEを買うこともできるんですよ」とボー氏。

「それなのに、多くの人がTrue Sakeのことを心配してくれました。『自分たちがお酒を飲むために営業してくれ』というわけではなく、私たちがここに居続けることを望んでくれたんです」

True Sake店頭での商品の受け渡しの様子

ボー氏曰く、「お客さんは、家族。大変な時には、家族の身を案じるものでしょう」。17年間もの長い歴史のなかで、True Sakeはアメリカ中のSAKEファンとかけがえのない関係を築いてきました。

「SAKEは酸素や水のように生命活動に必要不可欠なものではありませんし、嗜好品だと言われますよね。でも、快適な靴下を履いたり、ソファーでリラックスしているとき、人は自分自身になれる。SAKEは人々にとってコンフォートゾーンの一部なのだと考えるようになりました」

True Sakeのお客さんには、医師や看護師など、最前線でウイルスと闘っている人も少なくありません。

「彼らは恐怖でいっぱいの仕事を終え、家ではリラックスしてSAKEを飲みたいと思っています。店頭にピックアップに来た人のなかで、スクラブを着ている人や、病院で働いていると教えてくれた人には、カップ酒をプレゼントしました」

アメリカではまだ家で日本酒を飲むという習慣が定着しておらず、日本から輸出された日本酒のほとんどはレストランで消費されてきました。ところが、ロックダウンによりレストランは閉店。売り先を失い不安にあえぐ酒造メーカーや流通業者にとって、True Sakeの営業状況は希望にあふれるものでした。

「日本の酒蔵の人たちから営業状況をたずねるメールが届き、『順調だ』と答えると喜んでもらえました」

ボー氏はさらに、流通業者がこれまで「レストラン限定」と売り先を制限してきた商品をTrue Sakeに卸してくれるようになったことを喜びます。

「これまでは悔しい思いをしてきましたが、今は私たちが彼らのビジネスの隙間を埋めているので、排他主義を脱却する絶好のチャンス。いつまで続くかはわかりませんが、非常にクールなことだと思います」

True Sakeのパッキングされた日本酒

ロックダウンが施行されてからも、毎日のように店に足を運び、注文されたお酒を集め、電話応対や店頭での接客に奔走しているボー氏。みずから身を粉にして働きながら、「とてもよい気分だし、刺激的だ」と笑顔を見せます。

「家に帰ってシャワーを浴び、『ふなぐち菊水一番しぼり』の缶を手にして、『いやぁ、今日はよく働いたな』とため息をつく。大きな達成感がありますし、最高の気分になれます」

お客さん、造り手、流通業者、そしてボー氏自身。暗闇の中を手探りで進むような日々のなか、SAKEはそのすべてに希望の光を与え続けていました。

「そうか、SAKEは生活に欠かせないものだったんだ」

そうひらめいたボー氏は、ソーシャルメディアやニュースレターなどを通じて、「Sake is Essential.(SAKEは生活に欠かせないもの)」という言葉を発信するようになりました。

これからSAKEはどうなっていくのか

True Sakeで働くボー・ティムケン氏

5月31日に外出禁止令が解除され、店舗や施設の営業が段階的に再開されつつあるサンフランシスコ。これまでは家に籠もらざるを得なかった人々が外へ出るようになったことにともない、ネット注文は減少傾向にあります。

「特に大量オーダーや高級酒のオーダーが減ってきていますが、だんだん経済的な影響が出てくるでしょうし、この傾向は今後も続くと思います」

アメリカのSAKE業界については「まだ最悪の事態には至っていない」と、ボー氏は慎重な態度をとります。

「業界の仲間たちから浮かない話も聞きますし、重要な転換点にいる企業も多い。これからもっと暗い日々が始まってしまう可能性だってあるでしょう」

テイスティングイベント「SAKE DAY」

「SAKE DAY」の様子

毎年「日本酒の日(10月1日)」には、True Sake主宰の一般向けテイスティングイベント「SAKE DAY」でお祝いをしています。900人を動員した昨年の勢いを継ぎ、今年は記念すべき15回目を迎える予定でしたが、国内外から大勢の人が集まるイベントとあって、開催を断念せざるを得ませんでした。

「『SAKE DAY』はアフター・コロナの未来への出発点としたかったんです。不安を抱える業界の人々に、希望を提供したかった。『SAKE DAY』は人々が出会い、新しい動きが生まれ、成長していくチャンスにあふれている。開催できなかったことを悔しく思っています」

とはいえ、「代わりのイベントを考え中です」と前向きなボー氏。SAKEの市場が変化してきていることは、コロナ禍を生き延びる手掛かりになると評価します。

「コロナの流行が17年前であれば、もっと大変だったかもしれません。当時は日本から大量の日本酒をまとめて輸入し、2~3年にわたって売るというのが主流でしたから。いまは必要に応じた量を輸入する管理方法になっています」

True Sakeは、店頭販売だけではなくオンライン販売も行っていたことが功を奏しました。

「恐ろしいパンデミックを受けて、『SAKE業界が壊滅してしまうのではないか』と心配する声も聞きます。でも、ちょっと待ってほしい。SAKEには回復力があるんですよ。1000年の歴史のなかでも、飢饉や世界大戦、大災害などが起こり、生産が停止したこともありました。でも、SAKEは必ず戻ってきたじゃないですか」

「True Sake」のTシャツ

インタビューの中で何度も出てきたのが、「silver lining(シルバー・ライニング)」という言葉です。直訳すると「銀の裏地」。「Every cloud has a silver lining(どんな雲でも銀の裏地を持っている)」ということわざから生まれた慣用句で、「希望の光」という意味があります。

どんなに暗い曇り空の中にも、必ず希望の光は差し込む。17年前、まだSAKEという飲み物が認知されていなかったアメリカで、初の日本酒・SAKE専門店を開いたボー氏。暗然たる日々の中でこれからの苦境を覚悟しながらも、その瞳は未来を見つめて輝いています。

「必要なのは、闘う戦士たちとリーダー。そして、このSAKEという素晴らしい飲み物がこれからも生き続けていくのだと信じる心です。この現象は一時的なもので、これまでのSAKEの歴史の中の一部でしかありません。これからよい時代へと変えられるかどうかは、いまこうしてSAKEを造り、SAKEを売っている私たち次第なのです」

(取材・文/Saki Kimura)

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