日本酒の味わい、香りを決定づけるものは米や麹、水、造り手の技術などがあり、酵母もそのうちのひとつ。日本酒造りにおいて、酵母はアルコール生成のほかに、有機酸や香気成分を造り出すという重要な役割を担っています。

日本酒の銘醸地として知られる兵庫県・灘に本社を置き、270余年の歴史を持つ白鶴酒造は、業界内で数少ない自社研究部門をもつ酒蔵です。そこでは長年にわたって酵母の研究に取り組んできました。

「Hakutsuru Blanc」

「Hakutsuru Blanc」

その成果は、白ワインを思わせる風味の低アルコール酒「Hakutsuru Blanc」や、クラウドファンディングで530万円の支援を集めた「別鶴(べっかく)プロジェクト」など、革新的な商品に活用されているほか、まだ見ぬ新しい味わいの日本酒を模索する上でも重要な意味を持っています。

前例が少ない中で自社研究部門を設立し、日本酒の可能性を探究し続ける白鶴酒造。酵母をどのように捉えているのか、そして研究から見えてきた可能性について話を聞きました。

酵母研究の歴史は、日本酒の近代史

シャーレで培養されている酵母

培養されている酵母

同社の研究室の話をする前に、少しだけ酒造りと酵母の関係についておさらいです。

酵母とは、地球上のあらゆるところに生息している微生物の一種です。日本酒造りでは、米のでんぷんが麹菌によって糖に分解され、その糖を酵母がアルコールに変換します。

酒蔵が、酵母をどのように手に入れているかといえば、日本醸造協会や地方自治体が運営する研究機関からの頒布がほとんどです。

明治以前は、大気中や蔵に住み着いた、いわゆる"蔵つき酵母"で醸す方法がほとんどでしたが、発酵力など性質が安定せず失敗もしばしば。酒質にばらつきがあったそうです。

きょうかい酵母のアンプル

きょうかい酵母のアンプル

明治37年に設立された国立醸造試験場が、優良な清酒酵母を分離、培養して"きょうかい酵母"として提供して以来、日本酒の品質は格段に向上したと言われます。今では各都道府県で発見されたご当地の酵母や、花から分離した花酵母など、多様な酵母が日本酒造りに使われ始めています。

まさに酵母研究の歴史は、そのまま日本酒進化の近代史でもあるのです。

400種以上の酵母が眠る、白鶴酒造の研究室

白鶴酒造の現在の研究施設が竣工したのは1988年。その背景には、経営陣の「科学技術の進歩とともに、日本酒にもサイエンスの視点がより一層重要になってくるだろう」との思いがあったそうです。

副主任の圍(かこい)彰吾さん

副主任の圍彰吾さん

現在は18名が所属し、日本酒にまつわるさまざまな研究に従事しています。

「基本的には商品開発の案件が多いですが、酵母や麹、酒米などの基礎的な研究テーマも合わせると、ひとり3~4個は案件を掛け持ちしています」と語るのは副主任の圍(かこい)彰吾さん。

醸造工場を経て2年目という宍倉竜樹さんも、海外向けのリキュールのリニューアルに関わりながら、日々研究に勤しんでいます。ふたりとも、酵母が作用して生まれる日本酒の香りが目下の関心ごと。

2年目の宍倉竜樹さん

宍倉竜樹さん

「香り成分を増減させたり、また複数の香りを組み合わせるなど、技術的なところも含めて香りに対するニーズは多様化しています」と、圍さん。

宍倉さんは、「たとえば、香りが高くて低アルコールのお酒が今はトレンドですよね。そのため、アルコールを出しすぎず、かといってオフフレーバーを残さない酵母を探しています」と話します。

ふたりの話からは、酵母がアルコールの生成だけでなく、香りや味わい、または現場の作業のしやすさにまで影響を与えるものであることがわかります。

では、そんな酵母の研究はどのように行われているのでしょうか。

圍さん曰く「優良な酵母は偶然見つかる場合もあるが、多くはこちらから見つけ出す必要がある」。目指す性質を備えた酵母を見つけるために、さまざまな条件を設定し、その中で生育できる酵母をピックアップする方法が一般的だそうです。

新しい酵母を見つけ出すのにかかる時間は、およそ数ヶ月から1年。目的の性質は持っている酵母でも、同時にネガティブな性質を併せ持っている場合が多いため、選抜作業は容易ではありません。

実験している様子

「酵母の育種は、イメージで言うと『足し算』です。たとえば、香りが高くて酸も高い酵母を開発したいとします。その場合、第一段階として香りの高い酵母の選抜を行い、その候補たちの中から第二段階として酸の高い酵母を選抜する。性質をどんどん上乗せしていくんです」と、圍さん。

現在、白鶴酒造の研究室に保管されている酵母はなんと400種類以上もあるのだとか。しかし、「それらのすべての性質を完全に把握できているわけではない」と圍さんは言います。有用な性質を秘めたまま眠っている酵母を見つける"探索"も、研究室の大事な仕事のひとつになっています。

自社開発酵母を活用したオリジナルの酒造り

「別鶴プロジェクト」の商品

「別鶴」シリーズ

「新しい日本酒の世界を覗こう」をコンセプトに、白鶴酒造の若手チームが世に送り出した「別鶴」シリーズ。そして、この秋に発売になったばかりの低アルコール純米酒「Hakutsuru Blanc」。

両者ともこれまでの日本酒にはなかった味わいや香りを追求した画期的な商品として注目を浴びましたが、その誕生に大きく関わったのも酵母です。

特に「別鶴」シリーズは使っているお米や醸造方法は同じながら、酵母を変えて三者三様の味わいを実現。しかも、使用したのは酵母のライブラリに保管されたままになっていたお蔵入りの酵母でした。前述した"探索"が実際の商品開発に活かされた例です。

白鶴酒造の研究所に保管されている酵母

「酵母はサッカーでいうところのプレイヤー。監督は杜氏で、さしずめタンクの中がフィールドでしょうか。僕らができるのはプレイヤーをうまくサポートして育成してあげることだけなのです」(圍さん)

「お米由来の成分もある程度お酒の味に寄与しますが、お酒の味を決めるのは酵母や麹など微生物の力に頼るところが大きいのは事実です。ニーズが多様化する中で酵母にもバラエティが必要と考えていますから、今後も自然に増えていくでしょうね」(宍倉さん)

白鶴酒造の製品は、実はほぼすべてが自社酵母によるもの。研究チームのたゆまぬ努力が、白鶴の味をオリジナルなものにしているのは明らかです。

しかし、圍さんは「酒造りの面白さは酵母だけじゃないこと。造りの工程と協働することで新しい可能性が見えてくる」と語ります。

仕込みの様子

頻繁に醸造工場に出向き、現場とのコミュニケーションを欠かさないのもそのため。現場との距離を近く保つのは白鶴酒造の研究室の特長のひとつと言えます。また、組織内で凝り固まらず、シームレスに研究を行うことで、課題解決のためのいろいろな方法を試すことができることも強みだそう。

いずれは研究者自身が新しく採れた酵母を使って「こんなお酒を造りました」と世の中に発信できるようになれたらと抱負を語る圍さんと宍倉さん。

今後の目標をたずねると、宍倉さんは「飲んだときに衝撃が走るようなお酒を造りたい」、圍さんは「絶対酵母じゃ作れないと言われている香りに挑戦してみたい。また米や水の特徴を最大限に生かすために、原料と酵母の相性の研究にも取り組んでみたい」と、意欲も十分です。

意気込む二人

白鶴酒造の大胆な挑戦と日々進化する酒造りの背景には、自社研究部門という頼もしい存在がありました。

以前の清酒酵母の研究は、安定的な醸造を目指してのものが多く、日本酒の個性や多様性を目指す研究が増えてきたのはごく最近のことだそう。つまり、酵母の世界には、いまだ多くのフロンティアが残っているのです。

そんな大海原に漕ぎ出す研究室のふたりが、何度も口にしたのは「白鶴にはやりたいことをやれる環境がある」という言葉。風通しよく研究に専念できる土台があってこそ、良い結果にもつながっていると言えるでしょう。

味わいや香りの幅はもちろん、飲用シーンや飲み手のバリエーションを広げるための白鶴酒造の酵母の研究が、新たな日本酒の未来を切り拓くことを期待してやみません。

(取材・文/渡部あきこ)

sponsored by 白鶴酒造株式会社

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