日本酒にまつわる仕事の中でも、「研究」は注目される機会の少ない分野。日本酒の未来をつくるために重要な役割を担っていいますが、研究成果の普及や若手人材の育成など、いくつもの課題があります。
そんな課題を解決するために、日本醸造学会の若手有志によって設立されたのが「日本醸造学会 若手の会」です。
この記事では、日本醸造学会 若手の会(以下、若手の会)の設立経緯と活動内容について、運営委員の方々に話を伺いました。
「日本醸造学会 若手の会」とは?
日本醸造学会は、醸造に関する学術研究の発展に貢献することを目的に、1987年に設立された団体です。
醸造に関する分野の研究者や技術者の育成・指導、醸造に関する研究や技術を広めるための情報発信など、さまざまな取り組みを進めています。また、日本酒の醸造に不可欠な「麹菌」を、日本の国菌として認定した団体でもあります。
日本醸造学会 若手の会は、2009年に発足した、日本醸造学会の分科会。公的な研究機関や大学、全国の酒類メーカーなどに所属する若手メンバーで構成され、若手の研究者や技術者の交流を通して、醸造学の研究をさらに発展させるとともに、醸造に関する研究を志す学生への普及活動に取り組んでいます。
若手の会の運営委員で、独立行政法人酒類総合研究所に所属している小林拓嗣(こばやし・たくじ)さんは、設立の経緯を以下のように話します。
「過去の資料や前任者から引き継いだ話をもとに説明しますが、当会が発足する以前から、メジャーな学会には『若手の会』という、若手研究者が若手ならではの自由で活発な議論を行う場がありました。
そこで、日本醸造学会においても、醸造学に積極的に関わり、新しい研究に挑戦し、新しい成果を生み出すことができる若手を育成するために、若手の研究者や技術者が議論する場をつくろうという熱い思いで、日本醸造学会の若手有志が『若手の会』を立ち上げました。発足当時から、『相伝と革新』をキーワードに、先輩方が蓄積してきた英知を吸収し伝え合い、その上で醸造研究のこれからを議論しています」
「研究」の成果が、美味しさをつくる
そもそも、日本酒をはじめとする醸造業界における「研究」とは、どのような仕事なのでしょうか。現在の運営委員長で、白鶴酒造の研究室に所属する平井猛博(ひらい・たけひろ)さんは、普段の仕事について、次のように教えてくれました。
「当社の場合、研究室の業務は多岐にわたりますが、例えば清酒酵母に関する研究や新たな醸造技術の開発などが中心です。これまでにない香りや味わいを生成する酵母を育種し、その特性を安定的に引き出す醸造技術を開発することで、新しい商品につなげています。他にも、原料である酒米の研究や、清酒成分と味わいの関連性の解明などにも取り組んでいます」
さらに、同じく運営委員で、焼酎メーカーの三和酒類の研究室で働く井元勇介(いもと・ゆうすけ)さんは「当社の場合、焼酎を蒸留した後に出てくる粕を再利用する方法について研究する場合もあります」と話します。
ひとことで「研究」と言っても、酵母や麹菌などの微生物に関する研究だけでなく、原料に関する研究や副産物の有効活用に関する研究など、さまざまな仕事があるようです。
実際に日本酒を口にする消費者が、これまでにない新しい香りや味わいを感じたり、いつも変わらない安定した美味しさを感じたりすることができるのは、このような基礎的な研究があってこそといえるでしょう。
醸造産業の間口を広げる、3つの活動
醸造に関する研究をさらに発展させようとする若手の会の活動は、大きく分けて「シンポジウムの開催」「スチューデントサイエンティストプログラム(SSP)の実施」「醸造文化賞の授与」の3つです。
若手研究者に交流の機会を提供する「シンポジウム」
ひとつ目は、若手の研究者に自身の研究について発表する機会を提供し、研究者同士の交流を通して新しい発見を得てもらうことを目的とした「シンポジウムの開催」。
シンポジウムは、毎年10月に2日間にわたって実施され、1日目は若手の研究者によるポスター発表と交流会、2日目は業界の最先端で活躍する専門家を招いた講演会が行われます。毎回、全国から約80〜90名が参加し、その約4分の1が学生だといいます。
「同じ醸造業界で同じ研究の仕事をしていても、例えば清酒と焼酎のようにジャンルが異なると、研究者同士が交流する機会はそれほど多くありません。シンポジウムに参加することで、全国の若手研究者がどのような研究をしているのかを知り、情報交換をすることができます。また、学生にとっては、公的機関や企業で実際に研究に関わる先輩と話すことができる、貴重な機会になっていると思います」(平井さん)
「通常の学会の場合は、そもそも会員でなければ、発表や参加ができない場合もありますが、若手研究者や学生にとってはハードルが高いと感じる方もいます。若手の会のシンポジウムは、学会の会員でなくても、気軽に参加していただけます。まずは若手の会に参加していただいて、それから日本醸造学会にも興味を持ってもらえたらうれしいですね」(小林さん)
また、小林さんは、発表する側にとっても参加しやすい雰囲気があると続けます。
「通常の学会発表では、ある程度完成された研究について議論しますが、若手の会のシンポジウムのポスター発表では、研究途中の発表でも問題ありません。さらに、醸造に関連していれば、マーケティングや歴史などのテーマも受け付けています。発表する側もそれを聞く側も、気軽に参加できる会を目指しています」
スチューデントサイエンティストプログラム(SSP)
ふたつ目の活動は、主に大学生に醸造研究を普及することを目的とした「スチューデントサイエンティストプログラムの実施」です。
若手の会のメンバーが全国の大学を訪問し、醸造に関する研究や仕事の内容について講義を行います。年数回のペースで開催され、次回は5月に玉川大学で実施する予定とのこと。
この活動の背景にあるのは、大学生が醸造学に触れる機会が減少しているという課題です。
平井さんによると、大学の授業で醸造学を学ぶ機会は限られているそうで、酵母や麹菌などの微生物を扱った研究をしている学生の中でも、それらの微生物を用いる酒類・醤油・味噌などがどのように造られているかを知らない人もいるのだとか。
実は、平井さんは学生時代に「スチューデントサイエンティストプログラム」に参加したことがあるそうです。
「日本酒やビールのメーカーで働く先輩方から、基礎的な研究だけでなく、商品開発の話も聞くことができました。もともと日本酒業界に興味があったのですが、実際の仕事の様子を知ることができたので、白鶴酒造に就職するきっかけになったのではないかと感じています」
醸造文化賞
最後に紹介する活動は「醸造文化賞の授与」。若手の会が独自に創設した賞で、醸造学の発展と関連する分野の裾野の拡大や醸造文化・産業・研究の普及に大きな貢献があった人に授与されます。2024年は、日本酒メディア「SAKETIMES」や日本酒ブランド「SAKE HUNDRED」の実績が評価され、株式会社Clearの生駒龍史が受賞しました。
過去には、第1回は漫画「もやしもん」の作者で知られる石川雅之さんに授与されています。さらに、東京農業大学名誉教授の小泉武夫さんや、世界的に評価される国産ウィスキー「イチローズモルト」を造った肥土伊知郎さん、ワイン業界においてもっとも権威のある「マスター・オブ・ワイン」の資格を持つ大橋健一さんなども受賞しています。
もっと気軽に醸造学に触れられる機会を
さまざまな取り組みで、醸造業界の研究をより発展させようとしている「日本醸造学会 若手の会」。これからの展望について、お伺いしました。
「醸造の研究に直接関わっていなくても、醸造に興味がある方々が、もっと気軽に醸造の研究に触れることができるようにしたいと考えています。醸造学のおもしろさを、もっと広く伝えていきたいですね」(平井さん)
「研究者だけで集まっていると見落としてしまう部分があるので、私ももっといろいろな人にシンポジウムに参加してほしいと思っています。醸造学が広まっていくためには、その成果がどのように社会とつながっているのか、わかりやすく伝えていくことが必要。他分野のさまざまな視点を取り入れていきたいと考えています」(井元さん)
「若手の会でいろいろな方々とお話しすると、新しい視点が得られていつも勉強になります。若手の会の活動を通して、そういう体験をたくさんしてほしいですね」(小林さん)
今回の取材を通して、「日本醸造学会 若手の会」の活動が、若手研究者の学びや交流の機会を生み出すことで醸造学を発展させ、日本酒の未来をつくっていくものであることがわかりました。こうした取り組みから、私たちの社会に大きな影響を与える研究の成果が生まれるのかもしれません。
(文:SAKETIMES編集部)