奈良県の正暦寺(しょうりゃくじ)で「菩提酛(ぼだいもと)清酒祭」が1月9日に執り行われました。

正暦寺は奈良市の南東部、JR奈良駅から車で約30分の山あいにある真言宗の寺院です。

992年に一条天皇の勅命で創建され、当初は80以上の塔頭が立ち並んでいましたが、1180年の平家による南都焼き討ちで廃墟となりました。1218年に興福寺を中心とする法相宗の学問所として復興しますが、江戸時代中期以降、急激に衰退。現在は本堂・鐘楼や福寿院客殿などわずかな建物を残すのみとなっています。本尊薬師如来倚像は白鳳時代作、福寿院客殿は1691年建築で、それぞれ国の重要文化財に指定されています。

正暦寺と日本酒の関係

平安時代初期は朝廷が酒造司(みきのつかさ)などの部署で酒造りを行っていましたが、その後、鎮守や仏へ献上する御酒として寺院が自家醸造を始めます。やがて大寺院では利潤を目的として酒造りを行い、その酒は僧坊酒(そうぼうしゅ)と呼ばれました。

正暦寺は大量の僧坊酒を造る筆頭格で、現代の生酛造りの元になったといわれる「菩提酛造り」や麹米・掛米とも精白米を使う「諸白(もろはく)」、3回に分けて酒母を仕込む「段仕込み」、火入れによる殺菌などの醸造技術を確立します。

室町時代に書かれた酒造技術書とされる「御酒之日記(ごしゅのにっき)」には、正暦寺で造られた酒「菩提泉(ぼだいせん)」の製法が記されています。このことから、境内に「日本清酒発祥之地」の石碑が建てられています。

菩提酛清酒祭とは

菩提酛は明治時代に開発された速醸酛の普及により、大正時代に消滅したといわれています。1996年に奈良県内の酒造会社有志・奈良県工業技術センター(現・奈良県産業振興総合センター)・正暦寺がメンバーとなり「奈良県菩提酛による清酒製造研究会」が立ち上げられ、菩提酛を用いた酒の再現・復活に動き出します。

菩提酛乳酸菌の発見や天然酵母菌の改良などに取り組み、1998年12月、正暦寺は酒母製造免許を交付され、直後の1999年1月に最初の酒母造りが始まっています。その後、毎年1月に酒母造りが行われ、菩提酛清酒祭として定着しています。

間近で見る菩提酛造り

実際の菩提酛造りを見ていきましょう。

1. 初度の仕込み(そやし水を造る工程)。

通常、酒母造りでは蒸米・麹・水を用いて酵母を純粋培養させるのが現代の酒造り。

速醸系酒母の場合は醸造用の乳酸を加え、不必要な雑菌を寄せ付けないようにします。生酛系酒母の場合は空気中の乳酸菌を取り込みながら、乳酸を繁殖させていくのが一般的ですね。

菩提酛の場合は、酒母タンクに水と生米、そして生米の約1割にあたる量の蒸米を入れて放置することで乳酸性の"そやし水"を造り、これを仕込み水として醸造します。現代では蒸米を使用せず、正暦寺の山中で発見された天然の「正暦寺乳酸菌」を加えて"そやし水"を造っています。

清酒祭の3~4日前(今年は1月5日)から"そやし水"造りは行われています。画像内のタンクに"そやし水"と生米が入っています。米は正暦寺のある菩提山町産キヌヒカリを精米歩合70%で使っています。

2. 二度の仕込み。

清酒祭で見ることができるのはここから。まず、生米を酒母タンクから取り出します。

3. 取り出した生米を甑(こしき)に移します。

今年は奈良県内の酒蔵8社や奈良県産業振興総合センターなどが参加して作業を行っています。写真は「金嶽(きんがく)」を醸す奈良市・倉本酒造の代表である倉本嘉文さん。

4. 米を蒸します。

今年は、およそ350キログラムの米を2回に分けて蒸しました。生米が乳酸発酵しているので、チーズのような独特のにおいが漂います。

5. 蒸しあがった米を取り出します。

写真は「風の森」「鷹長(たかちょう)」を醸す奈良県御所市・油長酒造社長の山本嘉彦さん。

6. 蒸しあがった米を麻布に広げて冷まします。

この日は気温が高く、なかなか冷めず苦労していました。

7. 蒸米と麹を"そやし水"の入った酒母タンクに入れます。

何度も出てくる"そやし水"が菩提酛のポイント。あらかじめ乳酸の繁殖した水を使って酒母を造ります。櫂入れを行い、この日の作業は終了。

8. 全員で祈祷

多くの人が見守る中、酒母が無事に完成することを願って祈祷が行われました。状態を確認しながら温度管理を行い、正暦寺酵母を添加、約2週間で菩提酛ができあがるそうです。完成した菩提酛は各蔵元が持ち帰り、それぞれの酒を醸造します。

菩提酛造りの飲み比べも!

境内では粕汁や餅の振る舞いも行われていました。

昨年の清酒祭で造られた菩提酛を使って醸造した酒の試飲販売も行われました。

この日は一律1,600円(税込)で販売されていました。酒母は同じでも、蔵によって味や香りが違うから不思議ですね。しかし全体的に、甘みがありしっかりとした味わいの濃醇旨口の酒が多いような気がします。

なお、正暦寺で造られた菩提酛を使って発売されている酒は以下の通り。

  • 「純米酒 菩提酛 升平(しょうへい)」 (奈良市・八木酒造)
  • 「菩提酛 純米酒 つげのひむろ」 (奈良市・倉本酒造)
  • 「両白(もろはく) 菩提酛 純米」 (奈良市・西田酒造)
  • 「嬉長(きちょう) 菩提酛 純米」 (生駒市・上田酒造)
  • 「菊司(きくつかさ) 菩提酛 純米」 (生駒市・菊司醸造)
  • 「鷹長 菩提酛 純米酒」 (御所市・油長酒造)
  • 「三諸杉(みむろすぎ) 菩提酛 純米」 (桜井市・今西酒造)
  • 「やたがらす 菩提酛 浩然の気」 (吉野町・北岡本店)
  • 「百楽門(ひゃくらくもん) 菩提酛仕込純米」 (御所市・葛城酒造) ※今年度は休蔵

室町時代から現代にも通じる酒造りが行われていたことにも驚かされますが、そのルーツを研究し、復活させた酒蔵や研究者・研究機関にも頭が下がります。正暦寺乳酸菌が発見されたことも奇跡といわれていますが、熱心な研究があってこその賜物でしょう。

この日造られた菩提酛から醸造された酒は、3~4月に販売が開始される予定です。室町時代の技術である菩提酛で醸された酒を飲み比べてみてはいかがでしょうか。

(文/天田知之)

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