お酒を覚えはじめたころ、日本酒をなんだか難しいもののように感じていたことはありませんか? 晩酌にもなにか"形式"のようなものがある気がして、ツウっぽい人の前では「日本酒好きなんです」とは言いづらかったりしますよね。

でも、実際はそんなことはありません。大切なのは、気負わずに自分らしく、美味しいものを美味しくいただくこと。

そんな風に「自由でいいんだよ」「お酒って楽しいものなんだよ」と、肩の力をふっと抜いてくれるような、すてきな酒器があったらいいですよね。大好きなお酒の時間が、もっと豊かになるかもしれません。

京都の酒器専門店「今宵堂」へ

京都駅から地下鉄に揺られて約15分。目的地の最寄り駅である北大路駅をあえて乗り過ごし、ひとつ先の北山駅で降りました。鴨川の景色を楽しみながら歩くこと10分。

観光地とは違った、そこに暮らす人々の生活感が漂う町家の一角に、目的のお店があります。

ここは、酒器専門店「今宵堂」。職住一体の陶芸工房です。

週末になると、家の一部がギャラリーとして開放されるのだそう。さまざまな酒器が並んでいました。

提供:今宵堂

ぴったりと手に収まるサイズのぐい飲みから遊び心満載のお猪口まで、いつもの晩酌をちょっと特別にしてくれる酒器の数々。お酒好きにはもちろん、初心者の方々にも大人気です。

毎日いっしょに晩酌をしよう

今宵堂を営むのは、上原連さんと梨恵さん。京都・清水にある、陶芸の技術を学ぶ訓練校で出会ったというご夫婦です。

そんなふたりには、結婚したときに交わした約束があります。

提供:今宵堂

それは、"毎日いっしょに晩酌をしよう"というもの。

「食事の前にお酒と肴をひとつずつ用意して『今日もおつかれさま』と言う時間を、なんとなく決めたんです」

提供:今宵堂

今宵堂は職住一体であるがゆえに、暮らしの場と仕事の場が同じ。毎日の晩酌には、そんな生活にどこかで区切りをつけるという意味もあったのだそう。

「軽く1杯。夜も仕事をするので、1合をふたりで分けるくらいでしょうか。本当にささやかな、短いひとときなんですよ」

提供:今宵堂

晩酌の様子は、今宵堂のSNSを通して見ることができます。

Instagramのほか、TwitterFacebookでも発信中。今宵堂のホームページからもチェックできます。

日が暮れて、一日が終わろうとする頃に少しのお酒と肴を用意する。ふたりの晩酌は、なぜこんなにも魅力的に映るのでしょうか。

楽しく晩酌を続けるコツについて、聞いてみました。

気負わずに、ささやかな楽しみを大切にする

「気負わずにっていうのは大切だと思います。買ってきたもので済ませようっていうときはそんな感じかも」と、梨恵さん。

「むしろ、買ってくるアテの方が楽しみなときもありますよね」と、連さんが言葉を継ぎます。

「アテを探している時間が、楽しいですよね。『今日のアテ、どこで買う?』って。そんな風に、日常のささやかなことを楽しみながら生きていく方が良いじゃないですか」

「僕は、今自分がいる町を楽しみたいと思っています。スーパーのお惣菜とか、お肉屋さんのコロッケとか、"この町に住んでる"っていう感じがしませんか?住んでいる町や旅した場所を楽しむために晩酌しているのかもしれませんね」

連さんは「晩酌のことを考えている時間から、すでに晩酌は始まっている」と言います。短い時間でも晩酌を楽しむということは、生活全体を楽しむことにもつながるのかもしれません。

毎年行なわれる展示会も「何を飲みたいか」「何を食べたいか」を起点に場所を決めることが多いのだとか。

岡山県牛窓での展示会 (提供:今宵堂)

北海道ニセコでの展示会 (提供:今宵堂)

「日本の良いところは、大都会よりもちょっと外れたところにあると思っていて、そういうところを旅するのが好きです」

「若い頃は日本酒や肴に全然興味がありませんでした。マクドナルドが一番美味しいと思ってたくらい(笑)。今は、旅に出たら真っ先に干物を探してしまいます」

「干物と缶詰はストックしておくと良いですよね。持ち帰りやすくて、いつでも簡単に食べられるので」

提供:今宵堂

提供:今宵堂

呑兵衛のお客さんに磨かれた、酒器のデザイン

どんなコンセプトで器をつくっているのか聞いてみると、「こだわりはありません」と意外な答えが返ってきました。

「僕たちのつくる酒器は、呑兵衛のお客さんに教えてもらいながらできたものがほとんどなんですよ」

「味の好みも人によって全然違うように、お客さんが大切にしてるものも、それぞれ違うと思うんですよね。だから『こうしないといけない』っていうのは、お酒に合わないんじゃないかなって」

「熟成酒も燗酒も昔は飲めなかったんですが、お客さんに教えてもらって好きになりました。いろいろ飲んでみるもんだなって思いますね。お客さんに言われて、器を2ミリ大きくしたら、他のお客さんに『これ何で大きくしたの?』って言われたこともありました(笑)」

「精密につくるものもありますが、盃ひとつに対してきっちりきっちりやるのはそんなに考えてないですね。手の大きさだって、人によって違いますから」

「そんなにこだわりを持たないっていうのが、逆にこだわりなのかもしれませんね」と、朗らかに笑いながら話すふたりを見ていると、"こうでなければならない"という気難しさや、"自分のやり方で合っているのかな"という不安も和らいでいきました。

はじめての酒器は、お猪口をひとつ

今宵堂にはいろいろなお客さんが訪れます。

20歳の誕生日を迎える前日に今宵堂を訪れた女の子。お酒好きの両親から送られてきた日本酒を飲むために、シンプルな白磁のおちょこを買って帰りました。

彼女のようにはじめての酒器を買おうと訪れる人は、とても悩むことが多いのだそう。

「若い人たちはどんな酒器を買ったらいいのかよくわからないんですよね。酒器を買うにあたって、お猪口ひとつだけってのはアリなのか、片口もいっしょに買わないと日本酒が楽しめないんじゃないか、とか」

「でも、酒器に気持ちをかけすぎないことが大切ですよ」と、梨恵さんは言います。

「ひとつだけ買ってみて気に入ったら、またどこかで見つけたらいい。無理のない範囲でいいから、まずはひとつだけ買ってみる。そうすれば、自分の酒器の好みとか、いろんなことがわかると思います」

「酒器はお手頃なものを買ってみて、残りのお金でいろんなお酒を試してみる方がきっと楽しいですよ」と、口をそろえるふたり。

今宵堂の酒器は、"4合瓶の日本酒を1本買えるくらい"を目安に値段を決めているのだとか。日本酒や酒器を気軽に楽しんでほしいという思いが込められています。

「竹鶴」との出会い、「七本槍」との物語

「思い入れのある日本酒はなんですか?」と聞いてみました。

まず最初に名前が出てきたのは「清酒竹鶴 純米」(竹鶴酒造/広島)

「竹鶴は熟成感のあるお酒で、燗酒にすることが多いですね。でも、当時の僕たちはそういうタイプが苦手で、フルーティーなお酒を冷やして飲むのがすごく好きでした」

「京都の烏丸御池に『魚匠 あさきぬ』という、魚と燗酒を出しているお店があって、そこではじめて竹鶴の燗酒を頼んでみたんです。出てきたお酒には色がついていたので、もしかして苦手なタイプかなと思いました。でも飲んでみたら、ふわっとしていて美味しかったんです。いっしょに食べた魚もすごく合っていました」

「それ以来、食中酒として飲む燗酒の美味しさを気付かせてくれたお酒として、ものすごく好きになりましたね」

もうひとつご紹介いただいたのは「七本鎗 山廃純米 琥刻(ここく) 2011」(冨田酒造/滋賀)。今年から販売が始まった、熟成酒のシリーズです。こちらも、燗酒にして楽しんでいるそう。

七本鎗の隣に佇む酒器は、今宵堂が制作した七本鎗用のオリジナル盃。こちらは、七本鎗に使われている酒米が育つ田んぼの土を使ってつくられたものだそう。

「同じ田んぼから生まれたお酒と盃を、再会させてあげようという話なんです。ロマンですよね。蔵元が提案してくれました」

「七本鎗」という銘柄名は、戦国時代に戦で活躍した武将たちを指す表現。独特の形をしたこの盃は馬上盃(ばじょうはい)と呼ばれ、戦の景気付けとしてお酒を飲むために使われたものでした。馬に乗ったままでも飲みやすいように、ワイングラスのような持ち手がついています。

また、冨田酒造があるのは琵琶湖の北側。かつて秀吉が天下統一への第一歩を勝ち取った、"賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い"の舞台にほど近い場所です。

この土地で造られるお酒が「七本鎗」であることも、オリジナル酒器が馬上盃であることも、すべて必然の物語なのかもしれません。

背景にある物語を知ると、なんだかいつもよりお酒が美味しく感じますね。

「味はもちろん、誰と、どこで、どんな話をしながら飲むかで楽しめるのがお酒ですよね」というのは、連さんの言葉。

お酒との付き合い方がよくわからないと思っている人は、肩の力を抜いてみましょう。知識を身につけるのも楽しいですが、「美味しいな」「楽しいな」というそれだけでもじゅうぶんなのかもしれません。

楽しい晩酌のコツは「お酒が好き」という気持ち。もっともシンプルで大切なことを、今宵堂のふたりが教えてくれました。

さて、今宵の晩酌はどうしましょうか。

(文/小鳥あんず)

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