「九年酒の つまり肴の 座禅豆 外に本来 一物もなし」

この歌は、達磨大師が九年間壁に向かって座禅を組み悟りを開いた故事に掛けた「四方のあか」作の狂歌。 「四方のあか」は、江戸時代天明期に活躍した太田南畝、蜀山人などの名前を持ち、狂歌、戯作、書画などに奇才を発揮した当時のマルチ人間です。

9年間座禅を組んだ「達磨さん」と9年間寝かせた「九年酒」

達磨大師の伝説を掛詞で連想させるなど、広い教養と俗事に通じ、遊び心も持ち合わせていた作者の、狂歌師としての本領がいかんなく発揮された『達磨讃』ですが、現代人の我々にはなかなか理解が難しい文章です。

先ほどの歌を現代の言葉に訳すとしたら、こんな感じでしょうか。
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九年酒を飲みながらの宴もたけなわになったが、用意された料理は全てなくなってしまった。達磨大師が九年間、壁に向かって座禅を組んで悟りを開いたという故事に習って、追加の肴は黒豆を甘く煮た座禅豆だけで他にはなにもない。
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「つまり肴」とは、もはや打つ手がなくなり、仕方なくやってみるつまらない手段の例えです。酒宴が長引き、用意した料理も無くなってしまったので、止む得ずつまらない肴を出さなければなかったようです。それが「座禅豆」。禅宗の僧侶が長い時間座禅を組むとき、尿意を和らげるために食べる習慣があった甘く煮た黒豆です。

「九年酒」は、この連載シリーズの「古文献に見る熟成古酒の歴史- 」でもお話ししたとおり、江戸時代には上等の新酒の3倍くらいの値で売られるほど貴重なお酒でした。平安時代には、重要な行事には欠かせない酒として皇居のなかでも造られていたようです。

この『達磨讃』に書かれた九年酒も、当然9年間熟成させた酒だと思いますが、もしかしたら、達磨大師の「面壁九年」の九年の掛けて、実際に9年は経っていないけども、長く熟成させた酒ということから「九年酒」と表現したのかもしれません。

面壁九年と蔵内十年

熟成古酒の研究開発・啓蒙を目的とした「熟成古酒研究会」は、1985年(昭和60年)に創設されました。その創設に深く関わられた岐阜県の白木酒造は、熟成古酒を主力商品にしている希少な酒蔵です。熟成古酒は、親しい禅宗の和尚さんの助言を受けて20年ほど前から造り始めたそうです。

主力銘柄の名前は「達磨正宗」。達磨さんの面壁九年の故事にかけて、「蔵内十年」と掲げた10年間熟成した熟成古酒を発売し好評を博しています。

熟成古酒と達磨さんの関係、なかなか縁深いものがあるようですね。

(文/梁井宏)