2021年、アメリカ・ケンタッキー州のレキシントンに、同州初となるSAKE醸造所「The Void Sake(ザ・ヴォイド・サケ)」がオープンしました。

ダークファンタジーのような雰囲気のロゴデザインに、にごり酒を中心とした商品ラインアップなど、日本酒/SAKEの既成概念を壊すようなブランディングが注目を集める醸造所。

クラフトビール業界をバックグラウンドとする3人の創業メンバーに、その戦略について話を聞きました。

クラフトビールから酒造りに転向

ジャスティン・ルヴァン、ブランドン・スローン、ジョー・ライスの3人によってスタートしたThe Void Sake。

科学研究者としてのバックグラウンドを持つジャスティンが杜氏として醸造の指揮を執り、ブランドンがブランドのコンセプトやビジネスの設計を担当、ジョーが経理や免許関係の業務を引き受けています。

「The Void Sake」の創業メンバー。左から順に、ブランドン・スローン、ジャスティン・ルヴァン、ジョー・ライス。

レキシントンの同じクラフトビール醸造所で働いていたジャスティンとブランドンが酒造りに目覚めたのは、少量生産でさまざまなフレーバーのビールを造るなかで、麹を使ったビールを造ったときのことでした。

「レキシントンにはトヨタの工場があり、大学などの留学生もいる関係で多くの日本人が住んでいて、日本のエッセンスと融合した食文化が根付いています。和の素材を使ったビールを開発するなかで、麹ビールを造ってみたところ、この生き物とその育て方に夢中になりました」(ジャスティン)

麹の不思議さに魅了され、酒造りへの強い興味を持ったふたりは、新しいクラフトビールの醸造所を立ち上げようと計画していたジョーと合流し、SAKEの醸造所を設立するというアイデアにたどり着きました。ジョーは「クラフトビールの市場は、すでに飽和状態にあったからね」と、理由を付け加えます。

「The Void Sake」のロゴマーク

醸造所の名前に掲げている「The Void」とは、「空虚」という意味。ロゴには、米粒に巨大な海洋生物の足が絡みつく様子が描かれています。

こうしたダーク・ファンタジーのようなブランディングは、「クトゥルフ神話」の生みの親であるアメリカの怪奇小説家、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの世界観に影響を受けているのだそう。

「僕たちはかなりのオタクで、クラフトビールを造っていたころ、醸造所に集まってボードゲームをしていたんです。ゲームの最中、ケンタッキー州ではまだ流通しているSAKEが少ないという話題になったとき、ブランドンが『We'll just fill the void(じゃあ、僕らがその空虚を埋めればいいんだ)』と言って、それは良い言葉だとなりました」(ジャスティン)

ラヴクラフトの作品のなかに概念として登場する「The Void」というキーワードと、ケンタッキー州でのSAKEの認知度の低さが重なったとき、このブランディングのアイデアにたどり着いたと説明します。

「ケンタッキーでは、SAKEはまだまだ未知のものですが、未知を恐れるのではなく、新しいものとして興味を持ち、学んでもらうような雰囲気にしたかったんです。ミステリー感をブランディングに取り入れることで、消費者への教育に焦点を当てられるようになりました」(ジャスティン)

ビギナーの興味を引きつける「にごり酒」

「The Void Sake」の商品ランナップ

The Void Sakeの現在の商品ラインアップは、精米歩合70%のカルローズ米を使用した純米酒「The Messenger(使者)」、スタンダードのにごり酒「Opalescent(オパールの煌めき)」、コーヒーのにごり酒「Reanimator(蘇生させる者)」、バニラとシナモンのにごり酒「Echoes(残響)」の4種類です。

多様なフレーバーのにごり酒をプロデュースしているのは、創造的なアレンジの多いクラフトビール業界出身ならでは。にごり酒にフォーカスしたのは、2020年8月にケンタッキー州で施行されたアルコール法改正が影響しているといいます。

「それまでケンタッキー州で手に入るSAKEは限られていたんですが、法律の改正によって、他州で流通しているお酒をオンラインで購入できるようになりました。そこで買ったにごり酒に惚れ込んでしまったんです」(ジャスティン)

「もともとSAKEに興味はありましたが、そのにごり酒は、僕たちが知っていたものとはまったく違いましたね。にごり酒は、人々にSAKEを知ってもらうための楽しい入口になるんじゃないかと思いました。そのためにも、アメリカ人の味覚になじみのあるさまざまなフレーバーを用意することで、より多くの人へアプローチすることを目指しています」(ブランドン)

にごり酒の変わった見た目は、「それ自体がお客さんが手に取ってくれるきっかけになる」といいます。

「The Void Sake」のにごり酒

「『これは何?』と不思議そうに聞かれるので、『SAKEだよ』と説明をすると、みんなテイスティングしたがるんです。見た目から、アーモンドミルクのような味わいを想像していたら、メロンのようなフルーティな味がする。口あたりもなめらかで、SAKEへの先入観を見事に覆してくれます」(ジャスティン)

醸造家のネットワークが立ち上げを後押し

「The Void Sake」の醸造所外観

資金繰りが課題となるアメリカでの酒造り。ケンタッキー州で初めてのSAKEの醸造所とあって、免許の手続きに関するハードルはあったものの、クラフトビール醸造所を営んできた経験を活かすことで、比較的安価にスタートすることができたといいます。

「ビール造りの経験がありましたから、醸造所を開業・運営するための知識やお得な情報はよく知っていました。また、僕はビール醸造所も経営しているので、そちらから一時的に機材を借りることもできます。いずれ新しく購入しなければならなくなるかもしれませんが、現在の出荷量を考えると、今はこれで充分です」(ブランドン)

ワインやビール用の資材を応用するほか、上槽のための槽(ふね)と麹室は業者と協力して手作りしました。麹室は、日本の杉材が手に入らないためマホガニー材を使用しています。

「The Void Sake」の醸造所内部

酒造りの基礎や必要な道具については、日本醸造協会が発行している英語のテキストを参考にするほか、アメリカ国内の他のSAKE醸造所からも多くのサポートを受けました。

「現在はSake Brewers Association of North America(北米酒造同業組合)に所属していますが、組合の活動が正式にスタートする前は、FacebookにSAKE醸造家たちのコミュニティがありました。ここで質問をすると、先輩の醸造家がいろいろと教えてくれるんです。そこで、車で行ける距離に醸造所があることを知って、個人的にお願いして訪問するようになりました。

彼らはみんな、アメリカには正式に酒造りを勉強できる場所がないから、手に入る知識や資材のギャップを経験しています。彼らのコネクションを共有してもらうことで、蜘蛛の巣のようにネットワークが広がっていきました」(ジャスティン)

「The Void Sake」での製麹作業

「Brooklyn Kura(ニューヨーク州)やNorth American Sake Brewery(ヴァージニア州)からはたくさんの影響を受けました。彼らに相談すると、『この人たちに話してごらん』と別の人を紹介してくれるんです。みんなとても親切で、本当に感謝しています。アメリカにはまだほんのひと握りしか醸造所がありませんが、このように造り手同士でコミュニケーションをとれるのは素晴らしいことだと思っています」(ブランドン)

アルコール・ツーリズムの盛んな街で

バーボン・ウイスキーの蒸留所が軒を連ねるケンタッキー州レキシントン。The Void Sakeでは、このエリアに流れる中硬水をほとんど加工せずに酒造りに使用しています。

「この地域は石灰岩が多いため、水にカルシウムやリンが多く含まれていて、ドライなお酒ができあがる傾向があります。軟水器を使うことも考えましたが、ケンタッキーらしいSAKEにしたかったので、カーボンフィルターと鉄・マンガンフィルターに通すだけで、ほとんどそのまま使っています」(ジャスティン)

「The Void Sake」のタップルーム

ウイスキーだけでなく、ビール醸造所やワイナリーもあるケンタッキー州中央部は、アルコール・ツーリズムが盛んな地域。2021年にタップルームをオープンしてからは、絶え間なくお客さんが訪れるそうです。

「ウイスキーやワインを飲めると想像してやってきた人が、僕たちの造るSAKEを見て驚くんです。いまだにSAKEを蒸留酒だと誤解している人もいます。ここにはウイスキー蒸留用のポットスチル(単式蒸溜器)はありませんが、麹室があるので、そういう設備を見てもらいながら、SAKEについて深く知ってもらえるように説明を行っています」(ジャスティン)

計画段階では、より多くの人をSAKEに惹きつけるため、日本食として人気の高いラーメンを提供するブルーパブのような形態にするアイデアもあったといいます。しかし、新型コロナウイルス感染症が拡大し、ロックダウンが起こったことで計画はたち消え、予定よりも小規模なスタートとなりました。

SAKEを炭酸で割った「SAKEセルツァー」

SAKEを炭酸で割った「SAKEセルツァー」

そんな中でも、SAKEに親しみのない人を取り込むためのさまざまな活動を行うThe Void Sake。そのひとつが、SAKEを炭酸で割った「SAKEセルツァー」です。これは、昨今、低カロリーやグルテンフリーというキーワードからアメリカで流行している炭酸アルコール飲料「ハード・セルツァー」のSAKEバージョンです。

「SAKEセルツァーは、SAKEをアルコール度数5%になるように炭酸で割った商品です。通常のSAKEの醸造にはワイン醸造免許が適用されるのですが、SAKEセルツァーを造るためには新たに州のビール醸造免許が必要なので現在申請中です。これが通れば、レストランにSAKEセルツァーを卸すことができるようになります。この飲み物をきっかけに僕たちの造る商品を手に取ってくれた人が、他のSAKEも飲んでくれるようになればと思っています」(ブランドン)

「タップルームでは、瓶内二次発酵させたアルコール度数12%のスパークリング純米酒を出しているのですが、年配の人や女性に人気があります。タップルームでは、これを使ってミモザのようなカクテルも作っているんですよ」(ジャスティン)

そのほか、地の利を活かして、バーボン樽で熟成させた酒造りにも取り組んでいるのだとか。

3人の酒造りはまだ始まったばかり

「The Void Sake」での仕込み

ユニークでアメリカらしい取り組みを行う一方、パンデミック下でのオープンということもあって、継続することを目標の第一に掲げる3人。ビール醸造家や科学者としての経験を活かし、安定した生産のために、クオリティ・コントロールには特に注意を払っています。

「麹の育成プロセスと、醪(もろみ)における酵母の成長には特に注目しています。麹の成長パターンを正しく理解し、酵母の健康状態を見極めるために、顕微鏡で酵母の数を数えるんです。そうすれば、理想的なお酒の状態を数値で把握することができます」(ジャスティン)

吟醸造りや山廃、菩提酛などの伝統的なスタイルにも意欲的。当初、日本酒について学ぶために日本を訪れることを計画していましたが、コロナ禍によって中止を余儀なくされました。

「日本へ行き、伝統的な酒造りを実際に見る必要があると思っています。そうすれば、こうしたユニークなタイプのSAKEについても、もう少し自信を持って取り組めるはずですから」(ブランドン)

「The Void Sake」の創業メンバー

アルコール・ツーリズムの盛んな地域で、ウイスキーやビール、ワインの層をSAKEの世界に取り込もうと邁進するThe Void Sake。3人のクリエイティブなチャレンジは、まだまだ続きます。

(取材・文:Saki Kimura/編集:SAKETIMES編集部)

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