ヨーロッパ初の酒蔵がどこにあるか……みなさんご存知ですか?
ヨーロッパ随一の経済大国・イギリスでもなければ、ワイン産業の中心地・フランスでもありません。その場所は、遠く北欧の国・ノルウェー。ここに、ヨーロッパ初の酒蔵であるヌグネ・エウ(Nøgne-Ø)社があります。北海道よりもさらに北に位置するこの土地で、いったいどのようにお酒が造られているのでしょうか。実際に酒蔵を訪問してきました。
ノルウェー最大のクラフトビール醸造所が日本酒の味わいに惚れこむ
首都オスロから南へ車で4時間。グリムスタという人口2万人ほどの小さな町に、ノルウェー最大のクラフトビール醸造所ヌグネ・エウ社があります。2003年よりビール醸造を開始した創立者シェティル・ジキウンさんの本業は、なんとパイロット。仕事で日本を訪れた際、友人に勧められて飲んだ日本酒に惚れこみ、2010年より同社にてお酒の醸造を始めたそうです。
案内してくれたのは、創立者の奥様でもあり、1人目の蔵人でもあるキャシー・ジキウンさん。現在はエクスポーターマネージャー兼マーケティングを担当しているそうです。「お酒造りにたずさわるようになってから、酒粕のおかげで手がサラサラよ」と語るキャシーさん。ほがらかな笑みで情熱たっぷりに話しをしてくれました。
「社名の『ヌグネ・エウ』は、日本語で『裸島』という意味。グリムスタの街から見える島の名前を由来とし、これをそのままお酒のブランド名にしました。
クラフトビールの販売は特に好調で、今ではノルウェー最大規模にまで成長しました。何種類もの麦を使い、ウイスキー樽やワイン樽を使った熟成ビール造りにも取り組んでいます。2016年1月には新しくビール専用醸造施設が完成し、酵母や菌に繊細なビールとお酒の醸造に、より集中して行えるようになりました」とキャシーさんは語ります。
苦渋の決断。こだわってきた「生酒」「山廃仕込み」の中断
常に新しい味を追い求め、徹底的に「味」にこだわってきたヌグネ・エウ社。ビールやワインではあまり感じられない、日本酒独特のアミノ酸による「旨み」を最大限に引き出し、豊かで芳醇な味わいとするために、「山廃」という日本酒造りの伝統的な手法にこだわってきたそうです。カナダ人杜氏のブルック・ベネットさんが全量手作業で仕込んでいます。
ブルックさんはカナダの酒蔵Artisan SakeMakerで日本酒造りにたずさわっていたところ、シェティル・ジキウンさんに口説かれ、2010年醸造開始当初から杜氏として働きはじめました。「文化も異なり、ノルウェー語もまったく分からない中での大きな転換でしたが、伝統的な『山廃仕込み』で造ることに面白さを感じました」とブルックさん。
しかし、ノルウェーをはじめとするヨーロッパでの日本酒展開の難しさから、生酒や山廃仕込みの生産を中断することを決めたそうです。
ノルウェーで酒造りを行う難しさ
「ノルウェーでは日本酒に関する理解がまだ低く、ウイスキーやスピリッツなどの蒸留酒と同じようなものだと思われています。ずっとこだわって生産してきた山廃仕込みの生酒は、常温の棚に保存されてしまうと、劣化し、おいしい状態で飲んでいただけない可能性が高くなります。よって、残念ではありますが、いったん、山廃仕込みをやめ、火入れもすることにしました」
お客様の理解だけではなく、原料やノルウェーの法律上にも難しさがあるようです。
「『裸島』の原料米には、主に、同じ寒い地域である北海道産の『吟風』を使用しています。しかし、輸入コスト削減のため、また、よりヨーロッパの方に親しみのある味に仕上げるために、ヨーロッパ産のお米を使うことも検討しています。
1つの候補として、イタリア産のカルナローリ米があります。これは、日本で造られるお米と同じジャポニカ米で、米粒は大きいですが心白も大きく、90%の精米歩合でおいしいお酒を造れます。精米後の吟風(写真左)とカルナローリ(写真右)で比べると、後者は、ほぼ心白のみであることが分かります」とブルックさんは語ります。
「また、ノルウェーではお酒に対する取り締まりも厳しく、アルコール度数5%以上のお酒は国営の専売公社でしか販売きません。酒税も高く、販売時間も限られています。また、酒類の宣伝も違法となるため、消費者へのアプローチが困難です」
このような難しい状況にありながらも、ブルックさんの熱意が衰えることはありません。
「他のヨーロッパ各国では、少しずつ日本酒への関心が高まってきています。スペインにも酒蔵がありますし、イギリスにも酒蔵開設の動きがありますよね。イタリアでも昨年の万博で開催された日本酒イベントは盛況でしたし、隣のスウェーデンでは、酒サムライのオーケ・ノードグレンさんの活動もあり、日本酒人気が高まってきています。ヨーロッパ全体で、和食人気の後押しとともに、日本酒の認知度が向上してきているのです。もう少し認知が広まれば、また、山廃仕込みの生酒の生産を再開したいですね」と、その想いを語ってくれました。
「裸島」ってどんなお酒?
ヌグネ・エウ社が醸す「裸島」。いったいどのようなお酒なのでしょうか。スパークリング、にごり、純米生原酒、貴醸酒、の4種類をご紹介します。
スパークリングは、軽やかでフルーティーな、さっぱりとした口当たり。山廃仕込みで造られており、しっかりとしたお米の旨みが感じられます。フィンランド人の友人に勧めたところ、「スパークリングワインよりも飲みやすい。食事を楽しみながらゆっくりと飲めて、少しぬるくなってしまっても、ずっとおいしく飲んでいられる」と、パーティー用に購入を検討していました。
にごりは、一番人気のお酒とのこと。自然発酵の発泡がしっかりと効いており、フルーティーで甘めのお酒でした。
純米生原酒は、しっかりしたお米の香りが印象的。酸味を感じた後に、低精米(カルナローリの90%精米)のお酒特有の複雑性の高いコクがあり、後味はさっぱりとキレていきます。
貴醸酒は、水の代わりに"お酒"を仕込みに使う、とろみのある甘いのお酒です。デザートワインなどと近い感覚かもしれません。酸味が強く、ローストしたナッツや、プラムなどのドライフルーツ、果物のソースを使ったフランス料理に合いそうです。
ノルウェー産のお酒「裸島」は、地元でとれたサーモンのお刺身や、ノルウェー名産のニシンの燻製(ノルウェー語でボクリン/Bøkling)とよく合います。ニシンの燻製はとても柔らかく、ちょうどよい塩気で、山廃仕込みで造られたコクのあるお酒にとてもマッチしました。
IWC推奨酒に選ばれたお酒も多く、「山廃酛搾り」をはじめ、多くのお酒がロンドン サケ チャレンジ で賞を受賞しています。
「早く、また山廃仕込みで生酒を造りたい」とわくわくした表情で語るキャシーさんとブルックさん。まさにこれからのヨーロッパの日本酒人気をけん引していく、力強い人たちでした。
(取材・文/古川理恵)