島根県邑智郡邑南町(おおなんちょう)は島根県の中央山間部に位置し、広島県との県境にある人口11,000人の小さな町。

「誉 池月」を醸す池月酒造のある旧羽須美地区の人口は1,500人ほど。島根県のなかでも最も田舎と言える地域にあります。

三江線の旧宇津井駅(うづいえき)

池月酒造から車で10分ほどの山間に見える高架橋は、今はもう廃線になってしまった三江線の旧宇津井駅(うづいえき)。ホームと待合室は地上20mの高さにあり、地上からの高さとしては日本一で「天空の駅」とも呼ばれていました。

超軟水と出雲流の麹づくりの合わせ技

蔵の裏にある水源。奥の山から水をひいている。自然豊かなこの地域は水も豊かで、池月酒造では天然の湧き水を山中より蔵内に引き込み、仕込み水として使っています。水質は超軟水。硬度でみると、京都の伏見が硬度6~7、新潟は硬度3、静岡が硬度1と言われていますが、邑南町の湧き水は硬度0.3程度です。

軟水の特徴は、カルシウムやマグネシウムなどのミネラル分が少なく、まろやかで軽い口当たり。その超軟水で仕込むことで、発酵がゆっくりと進みます。池月酒造では、低温でじっくりと発酵させる吟醸造りの手法を全銘柄に応用することにより、やわらかくなめらかで香り高い日本酒を醸しています。

池月酒造の麹室

カルシウムが少ないと麹の酵素による米の溶解も弱まり、アルコール度数の低いきれいな酒質になると言われていますが、出雲流の麹づくりは総破精型(そうはぜがた)と言われるもの。菌糸が蒸米の表面全体にいきわたり、破精込みが深いのが特徴です。糖化力やタンパク質分解力の強い麹で仕込むことで、しっかりとした味わい豊かな日本酒ができあがります。

今ではよく聞くようになった日本酒のテロワールですが、池月酒造では10年前より仕込み水と同じ水脈で、蔵から半径15km以内の水田で育てられた酒米だけを使っています。

木槽(きぶね)を使い、2日半かけて酒を搾る

池月酒造の木槽

池月酒造では、全量を木槽(きぶね)で搾ります。

木槽搾りとは、酒袋にもろみを詰めて木製の槽の中に何段にも積み重ね、上から圧力をかけて搾る方法です。

多くの酒蔵で使われている自動醪搾機では半日で終わる作業が、木槽搾りでは2日半かけて1本分のもろみを搾ります。徐々に圧をかけてゆっくりとプレスしていくため、米のうまみと甘味が引き出された酒に仕上がります。

木槽に酒袋を積み重ねたところ

こちらは酒袋を積み重ねた木槽を上から覗いたところ。2,400リットルのもろみを8リットルずつ酒袋に入れると、300枚の酒袋が必要です。酒袋を1段7袋ずつ重ねると、約43段分、約3メートルの高さになります。

プレスを始めて1日半が経過したところで、すべての酒袋を取り出して並べ直しを行います。そして、あらためてプレスを1日間。搾りきった酒袋から酒粕を取り出し、一枚一枚袋を洗浄して次の搾りに備えます。このような手作業が多いため、一季に造れる酒の量には限りがあるそう。

池月酒造の現在の石高は500石(約90,000リットル)。そのうち特定名称酒が約6割を占めています。特に普通酒の売り上げが伸びているそうで、昨年は造りの量を増やしたのだとか。

地元で飲まれる酒だからこそ、手を抜かない

池月酒造の蔵元、末田誠一さん

池月酒造の蔵元・末田誠一さん

「高価格帯の大吟醸や純米吟醸が美味しいのは当たり前のことで、地元の方々が一番口にする機会が多く、一番安いのが普通酒です。それをいかに美味しく造るかが大事で、販売価格帯によって造り方を変えていてはいけないと思います。普通酒だからといって手は抜けません。すべての商品を大吟醸を造るような気持ちで造っています」

そう話すのは、取材に応じてくれた池月酒造の蔵元・末田誠一さん。末っ子の長男で、物心がついたころから酒蔵にいたという末田さんは、酒造りにかける思いを次のように話してくれました。

「小さい頃は酒蔵が遊び場でした。先代杜氏の三島さんの名前は『杜氏さん』だと思っていたくらいです。だから、自分が蔵に戻ってきたときも、おおよその仕事の流れはわかっていました。自分も幼いころに培った三島杜氏の教えを後世に伝えていきたいと思っています」

販売についてもこだわりを持つ末田さん。地元・島根でも「池月酒造の酒が欲しいなら、あの店に行かなきゃ」と言われるほどの限定流通で販売していますが、蔵のある町内に関しては問屋を通さずに直接卸しています。

地元販売店での商品管理も厳格で、店頭の商品は3か月が交換の目安。しかし、販売側の都合でそれができない場合には、末田さん自身がすべて買い取って回収しています。

池月酒造の仕込みタンク

また、「酒は人があまり携わるものではない。醸すものだ」という先代からの伝統を引き続いでいる末田さんは、「『誉 池月』はチームで造っています」と語ってくれました。池月酒造では綿密な製造計画を立て、明確な役割分担を設けずに蔵人全員がなんでもこなせるスタイルをとっています。

「製造期間中でも土日は完全に休み。無理なところは自分がやればいい。長い間、そのチームを保つためには、現場で働く人を大事にすることが必要です」

冬場の寒さが厳しいなかでの製造でも、蔵人がいかにストレスを溜めずに気持ちよく働くことができるか。そのためのフォローは欠かしません。

この土地で酒を醸す意義とは

池月酒造の契約栽培田

働き口が限られている山間部の山村という立地。過疎化はさらに進んでいます。そんな状況を見ながら、末田さんは「せっかくのよい土壌と気候、水があるのだから、活用することはできないか。酒造業の自分にできることはなにか」と考えたそうです。

まず、休耕田が多いことに気づきました。そこで、各地域にある農業法人と交渉し、酒米を休耕田でつくってもらうように依頼したのです。契約栽培の水田は、米農家の理解を少しずつ得ながらその範囲を拡大していきました。

あわせて、高齢化が進む米農家には、農業法人として共同で米作りができるように働きかけています。法人化することで、継続的に酒米を供給できる体制をつくり、契約農家が育てた米は池月酒造がすべて買い取っています。

池月酒造の契約栽培農家さん

米農家のみなさんも「池月酒造が買ってくれるのであれば、また来年も米を育てよう」という気持ちになる。地域で育てた米を農家から直接買い取り、酒を造ることで、地域全体にお金が流れるような仕組みをつくったのです。

また、島根県が県をあげて助成している、農業と他の仕事「X」を組み合わせた働き方「半農半X(エックス)」の支援事業を活用し、U・Iターンの若者を積極的に雇用しています。

池月酒造の場合は、夏場は農作業(米づくりと野菜づくり)を、冬場は酒造りを行う働き方です。この制度を利用して、現在2人の若者が旧羽須美地区に移り住み、米づくりと酒造りに従事しています。

池月酒造の水田で育つ酒米

耕作放棄地を復活させて新たに雇用をつくり、移住者を増やす。これが末田さんが掲げる、この土地で酒を醸す意義です。

「地元の人に愛されてこその地酒ですから」と語る末田さんの言葉からは、池月酒造が地域とともに歩んできた、地酒蔵としての確かな姿が見えました。

(文/あらたに菜穂)

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