米、水、米麹、酵母。群馬県川場村にある土田酒造は、日本酒を造るのに必要不可欠な4つの要素だけで、山廃仕込みの純米酒を造っています。

醸造アルコールの添加をやめ、人工の乳酸を使う酒母「速醸酛」とも決別。さらに、酒造りに使用が認められている発酵促進剤や酵素剤、除酸剤なども一切使わない造りへと、2期前から一気に舵を切りました。

土田酒造 6代目社長の土田祐士さん(写真左)と杜氏の星野元希さん(写真右)

土田酒造 6代目社長の土田祐士さん(写真左)と杜氏の星野元希さん(写真右)

その大きな決断をリードした土田酒造6代目社長の土田祐士さんと杜氏の星野元希さんに酒造りへの熱い思いをうかがいます。

大人になってから美味しさに気づいた実家の酒

土田酒造「誉国光」のボトル

土田酒造は明治40年(1907年)創業。代表銘柄は「誉国光(ほまれこっこう)」です。

創業の地は群馬県沼田市でしたが、市街地の再開発のため1992年に川場村に移転。土田さんの父上である5代目の洋三さんが、移転とともに3,000石まで造れる大きな蔵を建て、それにあわせて観光客が立ち寄れるように見学コースや試飲販売所を併設しました。

そこまで大きな投資を行えば、蔵を子供たちに継いでほしいと思うのが人情ですが、一度として「継いでほしい」と子どもたちに言ったことはなかったそう。土田さんには、兄と姉が2人がいましたが、兄は鉄道会社へ。土田さん自身も大阪のゲーム会社に就職します。

「親父の代で蔵をたたむのかな、なんて漠然と思っていました」と、土田さんは当時を振り返ります。

転機は学生時代の仲間との何気ない宴会でした。実家からお酒を取り寄せて飲んだところ、その美味しさに友人ともどもびっくりしました。

「その時気づいたんです。親の仕事なのに酒造りについて何一つ知らないことを。そこで有給休暇を取って酒造りを体験してみたら、これがとっても面白い。体の中で酒造りのスイッチがOFFからONに切り替わったことを実感しました」

こうして酒造りの魅力に目覚めた土田さんは、2003年の秋に蔵に帰ってきました。蔵での修行ののち、2008年には父上からバトンを受けて、土田さんが蔵元社長になるとともに杜氏に就きます。

普通酒の落ち込みが大きな転機

このころの土田酒造の主力商品は、地元向けの普通酒と、蔵に来る観光客向けのお酒販売の二本柱。土田さんは若さとセンスを活かして蔵で販売するための新製品を企画もしましたが、基本的には先代のやり方を踏襲しつつ、少しずつ軌道修正しながら酒造りを行っていました。

ですが、地元向けの普通酒の落ち込みが止まりません。

「地域の人口減と高齢化が要因なので、どうしようもできない。やはり、地元以外の人たちに飲んでもらうような酒へと変えなければならないことを痛感しました」(土田さん)

造りの説明をする杜氏の星野元希さん

2013年から杜氏となった星野さんも土田さんと同じ考えでした。

ふたりは地酒屋で売れている日本酒を取り寄せては、その人気の秘密を探りました。何種類もの銘柄を飲み比べた結果、ふたりとも「抜群の味わい!」と絶賛したのが、秋田の新政酒造が醸すお酒でした。

星野さんは「後味のキレ、クリアさが全然違う。酸のさわやかさも別格。これはどうなっているんだろう、興味あるなあ、とぞっこんでした」と振り返ります。

新政酒造の造りの秘訣を知ろうと伝手を探しましたが、手立てが見つからず悶々とした日々を送っていたころ、2015年の夏に朗報が届きます。隣県の栃木県酒造組合の講習会に、新政酒造・社長の佐藤祐輔さんと元杜氏の古関弘さんが講師でやってくるというのです。

星野さんはその講習会に参加し、夜の懇談会で古関さんに猛烈にアタック。その後、すぐに土田さんとふたりで秋田市の新政酒造まで足を運び、新政の酒造りの真髄を学びました。

「古関さんはすごすぎる。生まれて初めて師匠と呼びたい人に出会えました」(星野さん)

古関さんからさらに細かな指導を受け、新政の酒造りを踏襲した純米大吟醸酒を全国新酒鑑評会に出品しました。

「金賞を取れなかったら蔵元とふたりで坊主になる、と公言して全力を投じましたが、新政の大胆な造りに及び腰になったこともあって入賞にとどまり、宣言通り坊主になりました」(星野さん)

すべての酒をオール山廃の純米酒に

翌年の2016年秋には、星野さんは新政酒造で蔵人として1週間の修行を体験しました。その成果もあってか、新政の造りを体得して醸した2度目の純米大吟醸の出品酒は、全国新酒鑑評会で金賞を獲得します。

造りの説明をする杜氏の星野元希さん

2017年夏、蔵の幹部の5人は合宿を行い、次の造りについて議論を重ねます。

「杜氏になって以来、醸造アルコールや人工乳酸、発酵促進剤などを使う酒造りに後ろめたさを感じていました。できることなら昔ながらの醸造技術である米と水と米麹と酵母だけで造る酒を自分たちは目指したい。

そんな思いを皆にぶつけたところ、それならば、すべて純米酒で、かつ人工乳酸不添加のオール山廃に切り替えようと意見が一致しました。山廃は飲みにくいというイメージを持っていましたが、新政酒造で学んだことで、さわやかで飲みやすい山廃を造れる自信がついたことも決断を後押ししてくれました。

首都圏で成功を収めている先行蔵は、特定名称酒に特化している蔵が多いので、退路を断つ狙いで、地元向けの普通酒も造りをやめ、純米酒にすることにしました」

杜氏の星野さんは、当時の決断をこのように振り返ってくれました。

混じりけのない純米酒の可能性を信じて

土田酒造の商品ラインナップ

山廃仕込に挑んだ2017年冬からの仕込み。1本目の酒母造りでは、乳酸菌の増殖が遅くて一時慌てましたが、事なきを得て、順調に酒造りは進みました。

室町時代の仕込み方法である菩提酛(ぼだいもと)にも挑戦し、その洗練された酸味とうま味の山廃純米酒は、首都圏市場でも話題になりました。ラベルはすべて一新。日本酒を好きになったばかりの若い世代にも人気を呼んでいます。

一方で、地元向けの「誉国光 山廃純米」は、前年までの普通酒が一升瓶で1,650円だったのに比べると、2,200円と割高になったため、売り上げは大幅に落ち込みました。

「地元の誉国光ファンを裏切るつもりはありませんでしたが、コストを考えれば、この価格設定はやむを得ませんでした。ただ、想像よりは売り上げの落ち込みは小さく、私たちの思いをしっかりと理解してくれた人がいらっしゃたのだと思っています」

土田酒造 6代目社長の土田祐士さん(写真左)と杜氏の星野元希さん(写真右)

市場の手応えをしっかりと感じた土田さんと星野さんは、今季(平成30BY)からは、アルコール度数12度の低アルコールの原酒、通常2~3割の麹割合を99%にまで増やした多麹酒、酵母無添加の日本酒など、いろいろな造りにチャレンジしています。

「マニアックな蔵でいい。小さな蔵なんだから、思いっきり尖がって、熱狂的な日本酒ファンに愛されたい。それが、醸造技術を惜しげもなく教えてくれた新政酒造さんへの恩返しだと思っています」と話す星野さん。土田酒造が繰り出す、新たな日本酒が楽しみでなりません。

(取材・文/空太郎)

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