全国新酒鑑評会と言えば、いまや酒蔵のみならず日本酒ファンにも注目される業界の一大イベント。その「金賞」に選ばれることは、醸造技術が特に優れていると認められた証と言えます。
そんな全国新酒鑑評会で、近年躍進を続けている地域が福島県です。2012年より7年連続で最多金賞受賞数を記録し、2005年以降は2位以下に落ちたことがないほどの好成績を修めています。銘醸地として有名な地域は数あれど、なぜ福島県の一人勝ち状態が続いているのでしょうか。
その鍵を握るのは、福島県ハイテクプラザ 会津若松技術支援センターの鈴木賢二さん。福島酒の強さの秘密について伺いました。
福島には"日本酒の神"がいる
福島県内の蔵元に取材をすると、「鈴木先生の教えてくれた通りに造りました」、「不安があると、すぐ鈴木先生に相談します」など、必ずと言っていいほど鈴木さんの名前が挙がります。
その圧倒的な信頼感からついたあだ名は"世界の鈴木"、そして"日本酒の神"。親しみと尊敬を込めて、福島県内の蔵元や日本酒関係者は鈴木さんのことをそう呼んでいます。
鈴木さんの現在の役職は、福島県ハイテクプラザ 会津若松技術支援センターの副所長兼醸造・食品科長。福島県ハイテクプラザとは、福島県内のさまざまな産業の振興や技術支援のために県が設置した研究機関です。
鈴木さんが勤務する会津若松技術支援センターでは、日本酒をはじめとする食品のほか、漆器や陶芸のデザインなどを担当しています。
福島の日本酒は、鈴木さんが技術指導に就いてから目覚ましい進化を遂げました。金賞受賞数日本一が話題にのぼる昨今は、各地の酒造組合や日本酒関係者からの講演依頼も殺到。ユーモラスな人柄も相まって、鈴木さんの名前は広く知られるようになりました。
金賞獲得のための「吟醸酒製造マニュアル」
とはいえ、それもここ10年ぐらいの話。1990年の全国新酒鑑評会では、金賞を受賞した酒蔵がゼロという苦い記録も残されています。鈴木さんが日本酒の担当に就いたのは、まさにそのころでした。
「当時は、新潟の日本酒が業界を席巻していたころ。福島県の日本酒は普通酒が主流でしたが、県独自の吟醸酒向きの酵母『うつくしま夢酵母』が開発されたこともあり、酒蔵側でも少しずつ高級酒を造ることに興味が出てきた時期だったと思います」
2000年には福島県初の酒造好適米「夢の香」が誕生。地酒ブームに乗り、「特定名称酒を造ろう」という機運が高まるのと同時に、鑑評会で賞を獲りたいという声も聞くようになります。しかし、当時の鈴木さんは、酒蔵にどんなアドバイスをするべきかまったくわからなかったのだそう。
「方法論が定まっていなくて、上司に聞いても全員から違う答えが返ってくるような有様だったんです。『日本酒ってこんなに決まりがないのか』と、雲をつかむような日々でした」
転機となったのは、2002年に新潟県醸造試験場の責任者を務めていた廣井忠夫さんの講演を聴いたことでした。テーマは「金賞を獲るための酒造り」。それまで、明確に「金賞」を見据えた造りについて言及する研究者はいなかったといいます。
目から鱗が落ちた鈴木さんは、その話をもとに「福島流吟醸酒製造マニュアル」を作成し、福島県内の酒蔵に配ったのです。
「"蔵クセ"というその蔵独自の方向性があるのですが、普通酒なら個性でも、金賞を目指す上ではネガティブな要因になってしまうこともあります。マニュアルは、自分たちでは気づかない"蔵クセ"を知る上でも役に立つものでした。酒造りは迷いとの戦い。指標ができたことで、迷う時間が減らせたのかなと思います」
参考までに最新版を見せてもらうと、製麹にかける時間から、醪管理の目安の温度、上槽のタイミングまできちんと数値が示してあるばかりか、カビ臭などの対策法まで細かく指示されており、極めて明快です。
たとえ金賞を逃しても「なにが悪いかわからない」と悩むことなく、反省点を見つけることができるよう、徹底して"金賞酒の法則"が記されていました。
「ところが、最初はあまり参考にしてくれませんでしたね(笑)。しかし、当時の会津杜氏会の会長だった方がこのマニュアルを絶賛してくれたおかげで、やっと信用してもらえました」
すると、会津地方の酒蔵から金賞を受賞する蔵が現れ、「吟醸マニュアル」の存在は県内で広く知られるように。1990年にはゼロだった金賞受賞蔵が、2002年に5場、2003年に13場、2006年には23場と飛躍的に増加。現在まで続く福島酒の快進撃は、ここから始まったのです。
杜氏を育成する「清酒アカデミー」
躍進の要因となったのは、マニュアルだけではありません。忘れてはならないのが、1992年に開校した清酒アカデミーの存在です。ここで、鈴木さんは若手杜氏の育成にも尽力してきました。
かつて、福島県内の酒蔵で酒造りを担っていたのは、越後杜氏や南部杜氏といった季節労働の杜氏集団でした。しかし、高齢化などにより杜氏の人数が減少。このままではいつか来てもらえなくなると危機感を募らせた福島県は、人材育成の場として清酒アカデミーを設立しました。
生徒は造りに携わる蔵人や蔵の後継者たち。3年間で約300時間以上の授業が行われ、酒造りの基礎を学びます。これまでの卒業生は約280名を数え、現在通っている生徒は28期生。県内の2/3の酒蔵において、アカデミーを卒業した杜氏が活躍中です。
なかには親子2代に渡る教え子もいるのだとか。特にここ10年ほどは県内の各蔵で代替わりが進み、若手の蔵元が台頭。柔軟で新しい考え方も素直に受け入れる若い力が、鈴木さんの教えを基礎に酒造りに励み、金賞の獲得に貢献しています。
彼らを"鈴木チルドレン"と呼ぶ人もいるほど、鈴木さんの影響力は絶大です。
「これまでで一番多く杜氏を輩出した12期生が印象深いですね。昨年、『黄綬褒章』を受賞した鶴乃江酒造の坂井義正さんをはじめ、花春酒造の柏木純子さん、千駒酒造の菊地忠治さん、そして宮泉銘醸の宮森義弘さんなど。アカデミーの卒業生には、学んだことを活かして、自分が美味しいと思うお酒を造ってほしいと常に思っています」
新入生がやってくると、まず「酒蔵には未来がある」と話すという鈴木さん。「売れている蔵がなにをやっているか教える。だから、一番最初は手間がかかってもおいしいお酒を造りなさい」と、背中を押してあげるのだそうです。
日本酒という未知の世界に飛び込む生徒に、この言葉がどれほど力強く響くか。福島の蔵元たちは、今もその言葉を胸に刻み、酒造りに取り組んでいるのかもしれません。
"情報"が福島の強み
出品酒の製造方法をマニュアル化したり、若い造り手の育成を行ったり......これらは福島県の日本酒のレベルを押し上げた要因ではありますが、他県でも行われていること。それでは、なぜ福島が勝ち続けられるのでしょうか。
「最も大きな理由は"情報"ではないか」と、鈴木さんは話します。
「たとえば、清酒アカデミーにはいろんな蔵から年齢も性別もバラバラなメンバーが集まり、いっしょに学びます。それだけではなく、お互いに情報交換をして、常に交流している。新しい情報を取り入れ、造りに生かす下地ができていたのだと思います。それが、福島の日本酒の質を底上げしたのではないでしょうか」
かつての日本酒業界では、自分たちの技術は門外不出。他人に教えるなどもってのほかでした。それゆえ、自分たちの方法に固執し、間違った情報を修正せずにやってきた蔵も多かったそうです。
しかし、福島ではアカデミーの設立、会津若松技術支援センターの技術指導などのおかげで、蔵同士の風通しがよい関係性が築かれていきました。
有志の酒蔵が集まり、各種鑑評会で金賞の獲得を目指す「高品質清酒研究会」(通称・金取り会)の発足もその一助となっています。出品酒の持ち寄り審査などを行い、遠慮なく意見を言い合う場です。
3連覇を達成した2015年以降は、福島県が日本酒のPRを本格化。鈴木さんにも大きな期待が寄せられているのだそう。
「すでに、『8連覇をよろしく!』と言われています。連覇が止まってしまうと、私も講演会で自慢することがなくなっちゃうので、蔵元たちにはがんばってほしいですね(笑)」
そうにこやかに話す一方で「常に一石を投じる存在でいたい」と、自らの役割にも真摯に向き合う鈴木さん。官民の垣根を越え、一丸となった結束力が福島酒の"強さ"だと言えるのではないでしょうか。
すべては福島県民から愛される酒のために
鈴木さん自身も、とにかく日本酒が好きなんだとか。福島県の日本酒が評価されて最もうれしいのは、「かつては他県のお酒ばかりが置かれていた居酒屋に、福島のお酒が並んでいること」だと話してくれました。「おいしくしてくれてありがとう!」と、店主やお客さんから声をかけられることもあるといいます。
「昔は県民からも好かれていなかった日本酒が、今はこんなに愛されている。感無量です」。そう言って目を細める"日本酒の神"は、誰よりも日本酒愛に満ちた人でした。
現在、福島県の各蔵では、今年の全国新酒鑑評会に向けて仕込みの真っ最中。前人未到の受賞記録に挑む、福島酒の動向にぜひご注目ください。
(取材・文/渡部あきこ)