1852年に秋田県で創業した新政酒造。2007年に蔵に戻った佐藤祐輔さんは、秋田県産の米と自社酵母にこだわり、生酛造りや木桶仕込みといった伝統製法への回帰と商品開発に取り組むことで、一度は深刻な経営状態に陥った酒蔵を再建しました。
昨今は、代表銘柄「No.6」におけるアーティストとのコラボレーションで他業界からも注目を集めるほか、日本酒と焼酎の蔵元がPRや販売を共同で行うプラットフォーム「J.S.P(ジャパン・サケ・ショウチュウ・プラットフォーム)」を立ち上げるなど、自社のみにとどまらない活動を行っています。
日本酒という伝統産業を担うひとりの経営者として、佐藤さんはどのような想いをもっているのでしょうか。日本酒専門WEBメディア「SAKETIMES」を運営する株式会社Clear 代表取締役CEOの生駒龍史が、佐藤さんに話をうかがいました。
「自社だけがよくなればいいという問題じゃない」
生駒龍史(以下、生駒):今日はよろしくお願いします。新政酒造の記事はすでに世の中にたくさんあるので、今回はSAKETIMESならではのお話を聞きたいと思っています。
最近の取り組みを見ていると、特に佐藤さんのアウトプットの方法論が気になっています。この数年はコラボレーション商品が増えていますよね。
佐藤祐輔さん(以下、佐藤):たとえば、漫☆画太郎さんとのコラボ商品とか。普通はやらないでしょう。
生駒:漫☆画太郎さんのインパクトはすごかったですね。期待を上手に裏切るのが新政。だからこそ、「なぜ、そんなことをやるのか?」という部分が気になります。佐藤さんが経営者として、新政酒造を通じて実現したいことは何でしょうか。
佐藤:私は飲み手としての「日本酒っておいしいな」というところからこの世界に入って、コレクターになり、「自分でも酒造りがしたい」と思って実家の蔵に戻りました。それぞれのフェーズで目的は違っているし、やりたいこともコロっと変わるんですよね。それなりに一貫性はあるはずですけど、年齢や体験によって目的は変わっていると思います。
まず、私は一ファンとして日本酒が大好きなので、「もっとこういうふうにしたら日本酒を楽しんでもらえるだろう」ということを考えます。でも、酒造りを始めたころは廃業寸前だったから仕方ないのですが、自分の蔵の経営のことばかり考えていました。
そこからだんだんと「自社の経営だけがよくなればいいという問題じゃない」と気づき始めました。日本酒というのは日本の飲食産業全体の一部だから、発酵業界をはじめ、他の業界とうまく連携していかなければならない。自分の会社の経営だけどんなにうまくやったところで、寿命が短い活動にしかなりません。
生駒:「コロッと変わる」と聞いて、右や左に行き先が変わるのかなと思いましたが、今のお話を聞いていると、視座が上がっているように感じますね。高い視座から視野を広く物事が見られるようになり、産業全体の中で自分たちの果たすべき役割がわかってきたということでしょうか。
佐藤:そうだといいんですけどね。自分の考え方なので、こればかりは第三者的な視点には立てません。でも、秋田県という地方で暮らすうちに、経営の中で社会問題の解決に取り組まないことには、日本酒という産業自体の寿命が延びていかないと理解するようになりました。
個性は、その蔵であることの必然性から生まれる
生駒:気持ちが変化するにあたって、きっかけのようなものはあったのでしょうか?
佐藤:もともと、アートが好きでリベラルな考え方を持っているほうです。音楽でもアメリカの反体制的なロックやグランジが好きですし、まったく保守的なタイプではなく、マイノリティ思考もあります。
生駒:「新政」を理解する上でのキーワードになりそうです。
佐藤:ただ、経営者だからバランスを取らなきゃいけません。人と違うことをしても、社会的に認められないと「個性」とは言われないから、きちんと世の中のためになっているというのは大事なんですよね。
伝統的な製法には最近になってから取り組んだように見えるかもしれませんけど、自分としては、蔵に戻ってきた時から「ローカリズム」に根ざしたことをやっていたつもりです。
2008~2009年ころは、きょうかい6号酵母だけでの酒造りに切り替えたり、焼酎の白麹を使ったり、低精白での醸造も始めていました。けれど、周囲に理解してくれる人は少なく、ただの"変な奴"としてしか見られていなかったと思います。
香り系の酵母が全盛の時代に、きょうかい酵母のラインナップの中でも最古の6号だけで酒造りをするなんて、同業者から見ればありえない行為ですし、山田錦も使わないんですから。
生駒:「よい酒を造るなら、山田錦は使って当たり前」という時代ですから、まさにマイノリティ思考の酒造りですね。
ここで、お聞きしたいことがあります。ひとつは、みんながやっていた「当たり前」をやらなかったのはなぜでしょうか?もうひとつは、それを突き詰めた結果、今では新政酒造が拓いた道が他の酒蔵も歩く道となっています。この状況をどのように捉えていますでしょうか?
佐藤:当初は自分の会社を救うために始めたことでした。6号酵母に関しては、他にも素晴らしい酵母がたくさんあるとは思いますが、「新政酒造は、6号酵母の発祥蔵だから」という理由で理解してはもらえました。でも、山田錦を使わないのはあまり理解されませんでしたね。
私は蔵に帰る前からずっと日本酒を飲んでいますけど、飲み手として、ある地域の酒蔵が別の地域の米や酵母を使って日本酒を造るということに、魅力を感じられませんでした。
多様性があって、その中で飲み比べながら議論をするのが楽しいのであって、たとえば、音楽がすべて流行りのポップミュージックだけだったらおもしろくない。ヘヴィメタルもあっていいし、クラシックもあっていいんです。
生駒:確かに、山田錦が使いやすいのはわかるけれど、みんなが同じことをやり始めると、その酒蔵ならではの特徴が薄まっていく。消費者からすると、あえてその酒蔵の酒を選ぶ必然性は感じられなくなってしまいますね。
佐藤:日本酒業界に多様性がなかったら、特定の酒蔵が寡占してしまうことになるし、酒質がどこも同じだったら、同業者が競争相手になっちゃうんですよね。価値基準を単なる多数決の「おいしさ」だけではないところにずらしていくのが私の考え方です。
このやり方ならば多様性が生まれます。いろいろな酒蔵が生き残っていける可能性が高いからこそ、追随してくれる酒蔵が増えているんだと思うんですよね。小さい蔵の生き残り戦略という点で共感を得たから、生酛や木桶を使う酒蔵が増えているんじゃないでしょうか。
生駒:その酒蔵でなければできないという必然性を追い求めていく新政酒造のチャレンジによって、他の酒蔵でも「自分が自分であることを肯定する酒造り」に取り組むことができたのかもしれません。
佐藤:風土や気候に委ねる伝統製法は、実は誰にでも開かれているメソッドなんですよ。「この醸造設備がいい」と言っても、資金力のある酒蔵しか導入できないし、みんなが同じ機械を使えば味わいも単一化します。
伝統製法で造った酒は、造れば造るほど酒蔵によってバラバラな味になっていく。多様な味わいが生まれることは、酒蔵が地方で生き延びていくという点でも有利に働きます。
地方企業の経営者としての責任の重み
生駒:新政酒造を規模として大きくしていくという考え方はもっていますか?
佐藤:成長にどう付き合っていくかというのは、経営者にとっては課題ですよね。地方企業だからという理由もありますが、みんながみんな成長を求めると戦いになってしまう。かといって、何も変わらないとつぶれてしまうので、どのように健康的なバランスを保つかが重要です。
でも、「足るを知る」というか、お金に換算されないような価値も含めて自分の存在を定義することが、これからの地方産業にとっては大事だと思っています。
生駒:日本酒に限らず地方の産業全体に言えることですね。みんなが東京に進出すればいいという考えでは、資本力の殴り合いになってしまいますから。
佐藤:人口統計学では、あと3世代ほどの間に人口が加速度的に減って、地方に人がほとんどいなくなってしまうと明らかになっていますし、地方で暮らしているとそのような変化を如実に感じます。
秋田の若者は、進学や就職でほとんど東京に出ていきますが、東京では思うように幸せに生活できないという問題もある。だから、若い人々が地方に残りたいと思えるような状況をつくるために、いかに理想的な企業になれるかということを考えています。
とはいえ、あまりに成長を重んじてしまうと、利益ばかり追求する資本主義型の経営方針になってしまい、"地方の守護者"という酒蔵の役割との両立が難しくなってしまいます。
生駒:少子高齢化が進むなか、「地方をどのように発展させるか」という発想はすごく大切ですね。
佐藤:東京で幸せに暮らせるならいいのですが、なかなかそうはなりにくいのではないでしょうか。結果として、出生率が比較的高い地方から出生率の極端に低い東京に人が流れていくばかりで、地方も大都市も人口がどんどん減っているのが現状です。
我々のような地方産業の経営者は、日本の未来に対してとてつもない責任を持っています。弊社には県外から働きに来る人も結構いるんですが、地元の人を雇用するのと同じくらい、県外から地方に有能な人たちが来てくれるというのは重要です。
生駒:新政酒造のような地方企業が増えていけば、日本の大きな力になっていくでしょうね。前々から影響力の強さは感じていましたが、意識して活動されていたことだったんですね。
佐藤:昔から、1社だけがうまくいってもしょうがないとは思っていました。地域の特産品というのは、多くの企業で取り組むからこそ成り立つものなんですよ。
コロナ前はよくヨーロッパに旅行していたんですが、たとえば、イタリアのパルマは、秋田市よりもずっと小さい町なのに生ハムのメーカーが150社もあって、国を代表する産業を成り立たせています。イタリアには、同じように絹織物の町や家具の町があり、そういう産業が栄えている地方都市が元気です。1社だけではなく、150社みんなで稼いでいるということが大事なんですね。
日本も江戸時代までは多様な産業が地方で生まれていました。日本は明治以降、特に戦後はアメリカのような資本主義をモデルにしていますが、どちらかというと、パルマの生ハムのように、地方の中小企業みんなで稼ぐというやり方が合っているんじゃないかと。
「NEXT5」(新政酒造も所属する秋田県の若手蔵元グループ)や「J.S.P」の活動に取り組んでいるのは、そういう利他的な行動がないと日本酒業界が成り立たないと思っているからです。地方の企業が地域の活力になったら、国全体によい影響をもたらします。特に、どんな小さな町にもある日本酒には、それだけの可能性があるはずです。
多様な酒が業界を育て、日本の風景をつくる
生駒:佐藤さんの針に糸を通すような絶妙なセンスによって、「新政」がさまざまな取り組みを行っていることがよく伝わってきました。ところで、今、注目している新しい酒蔵や日本酒の銘柄はありますか?
佐藤:花の香酒造(熊本県)の「産土(うぶすな)」は、J.S.Pの取り組みが功を奏した、ある種の好例だと思っています。蔵同士が交流し、情報交換すると素晴らしいブランドが生まれる。こういう事例を連発していきたいですね。
生駒:「高単価へのシフト」「クラフトサケ(※)の醸造所の増加」「海外輸出の伸長」など、今の日本酒業界で気になる潮流はありますか?
※編集部注:「クラフトサケ」とは、「その他の醸造酒」の酒類製造免許を持つ醸造所が造る、米と米麹を主原料とした醸造酒のこと。
佐藤:多様性に富む商品が出てきて活性化していますよね。弊社の蔵人だった今井氏(今井翔也さん/現 WAKAZE 杜氏)や岡住氏(岡住修兵さん/現 稲とアガベ醸造所 杜氏)もいますが、「その他の醸造酒」の酒類製造免許を持つ醸造所による新規参入はひとつの流れになりつつあります。
酒造りは家族経営だけだと保守的になりがちですから、勢いある若い人が外から入ってくることは必要です。既存の蔵でなかなかできないことを新しいプレイヤーがやってくれるのは助かりますよね。そういう意味で、ここのところの業界における活発な動きはすべて歓迎しています。
でも、まずは我々のような既存の酒蔵が多様化することが先だとも思っています。そうじゃないと、新しい動きを受け入れられないんですよ。多様性を否定する業界は、会社がひとつ増えるだけで敵同士になってしまう。でも、多様性を売りにしている業界だったら、プレイヤーは増えるほうが絶対にいいんです。
生駒:SAKETIMESで各地の酒蔵を取材していて気づいたことなんですが、2015~2016年ごろから、「新政はこうやっているが、うちはこうなんだ」と、自社の魅力を説明するときに新政酒造を引き合いに出す蔵が増えました。新政酒造がひとつの基準になり、その比較で自分たちの個性を出すところが増えたんです。
佐藤:それはいいことですね。
生駒:多様性が認められている中で、新政酒造は、自分たちの現在地を知らせてくれる一番星のような蔵になっている。そういう役割を担っているのを見ると、佐藤さんが目指しているとおっしゃっていた産業への貢献はすでにできていると感じます。
佐藤:私はひとりの日本酒ファンなので、基本的にはおもしろければいいと思っています。異常においしい日本酒がひとつだけしかない業界では、自分もファンであり続けることは難しい。日本中に魅力的な酒蔵がたくさんあるほうが、日本酒は楽しくなるんです。
私は日本酒を初めて飲んだとき、これが日本特有の文化であることに誇らしい気持ちになりました。しかし、いまや日本は地方都市すら均一化しています。秋田にいても、ふとここはいったいどこの国なのか、どこの都市にいるのかわからなくなるときがあります。
蔵の中を木桶だらけにしている理由はそこにあります。自分の蔵が「100%日本である」とひと目見てわかる場所というのは誇らしいことです。酒蔵が木工技術や農業などに関わるのは、日本らしい価値を担保するためでもあります。
生駒:「秋田には、日本には、新政がある」という価値は、絶対にあるはずですよね。
佐藤:でも、ちゃんと成功しないと話を聞いてもらえませんけどね(笑)。木桶の導入も、以前からずっと「こんなにいいものはない」と主張していたんですが、メディアのみなさんが好意的に取材してくれて、お客さんにも理解してもらえたからこそ、最終的に同業者も理解してくれるようになりました。
J.S.Pもそうですが、コロナ禍で飲食店の営業が難しくなり、結果として酒蔵がSNSなどを通してお客さんと直接交流することに注力するようになりました。また、地酒の流通は保守的でしたが、コロナ禍はそれに揺さぶりをかけました。流通の形もこれから大きく変わっていくと思っています。新規参入なども含めて、これから5~6年はおもしろい動きがより増えてくるのではないかと思っています。
取材を終えて
ひとつの価値観を追いがちな業界の風潮から、一歩ずれることで新しい価値を見出し、日本酒の多様化のきっかけをつくった新政酒造。同社は、ここ10年ほどの日本酒業界の中で、酒蔵の個性が評価される土壌を育んできました。
「グローバル化の影響を強く受ける大都市にはない、固有の文化が残る地方だからこそ、大きな可能性が眠っている」と、佐藤さんは指摘します。そして、その地域にしかない個性を発揮して地方が活性化することは、「日本が日本らしさを取り戻すことにもつながる」と続けます。
近年の日本酒業界の現象を見つめながら、「どんな動きも歓迎している」と語った佐藤さん。各地の酒蔵が多彩な個性を放つ未来を望むそのまなざしが、多くの造り手に勇気を与えています。
(取材・文:Saki Kimura/編集:SAKETIMES)