「可能性の見本市」をキーワードに、日本酒の新しい価値を提案しようとする人にフォーカスする連載「SAKEの時代を生きる」。今回は、海外市場を対象とした自家醸造キット「MiCURA(マイクラ)」の開発者である伊澤優花(いさわゆうか)さんを紹介します。
自家醸造という観点から世界中でSAKE愛好家を増やしている伊澤さん。その開発や販売にともなう苦労、ピンチをチャンスに変える逆転の発想力、期待が高まる今後の展望についてお話を聞きました。
きっかけはニューヨークのレストランでの酒造り
仙台伊達家御用達の酒蔵として知られる宮城県仙台市の仙台伊澤家 勝山酒造で、3人兄弟のふたり目として生まれた伊澤さん。MiCURA誕生のきっかけは、東京大学に在学中の21歳のときに訪れたニューヨークにありました。
「官民共同の奨学金プログラム『トビタテ!留学JAPAN』に応募し、海外市場調査のためにニューヨークに留学しました。現地の教育機関『Sake School of America』でSAKEソムリエの資格を取り、飲食店で働きながら、いろいろな飲食業界の人たちに出会いました」
伊澤さんは、仲良くなったとあるミシュランレストランの店主から、「清酒を造ってみたいんだ」と相談を受けます。自家醸造(ホームブルーイング)は日本では法律で禁止されていますが、アメリカをはじめとした多くの国では、家庭で楽しまれる趣味のひとつです。
家でお酒を造ることに興味を突き動かされた伊澤さんは、約3カ月のリサーチと試行錯誤の末にSAKEの自家醸造レシピを提案します。
もともと焼酎の愛好家だったという店主は、伊澤さんと一緒に自家醸造を進めるうちにSAKEの魅力に夢中になっていきます。
「レストランでSAKEを仕込んでいるので、『今日のもろみの調子はどう?』といった具合に、いろいろな人が見にくるんです。店主も『昨日までは甘かったのに、急にSAKEらしくなったんだよ』なんて返していて、酒造りにはみんなを巻き込んで楽しめる要素があるんだなと気付かされました」
酒造りは衛生管理が難しく、「最初から成功させるのは厳しいのでは」と考えていた伊澤さんですが、できあがったお酒のおいしさにびっくりしたといいます。
「店主は星付きの和食レストランのシェフだからか衛生観念のレベルが高く、初めからおいしいお酒を造ることができたんです。衛生的な条件下で温度管理をしっかりすれば、自家醸造でもおいしい清酒ができる可能性があるんだと気付かされ、そのレシピがMiCURAのプロトタイプになりました」
このプロトタイプを周囲の飲食関係者に配り、みんなで酒造りをスタート。自分の名前のうしろに「~ Kura(蔵)」をつけて、「今回、『XXX Kura』のお酒の仕上がりはこうなりました」と報告しあうコミュニケーションが始まります。
「造った人はみんな、『杜氏さんってすごいね』というんです。一回体験してみることで酒造りへのリスペクトが高まり、日本酒に対する見方もかなり変わるんだなと思い、より多くの人にチャレンジして欲しいと感じるようになりました」
プロトタイプで酒造りをした人々からのフィードバックをもとに商品を改良。2018年8月に自家醸造キット「MiCURA」として発売しました。
「蔵のオーナーとなって愛着を持ってもらいたい」
「MiCURA(マイクラ)」という商品名には、小規模醸造所を意味する「マイクロブルワリー」や微生物の世界を表す「マイクロオーガニズム」といった言葉のほか、「My 蔵(私の蔵)」という意味が込められています。
「『蔵』という言葉が、小さいころからすごく好きなんです。私の実家・勝山酒造は、『どんと祭』などの行事のたびに御神輿を出し、地域の中心的な役割を果たしてきました。私の地元では自分が生まれた土地のお酒に誇りを持つ人が多いです。そのため、世界中にSAKEが広めるには、お酒を自分のものとして誇りに思ってもらうことがとても大切。自分が蔵のオーナーとなってお酒に対する愛着を強く持ってもらうという意味で、この名前を付けました」
伊澤さん曰く、MiCURAは「吟醸酒を造れる唯一の自家醸造キット」で、造り方の指南書と米麹、酵母、掛米、乳酸などの材料、酒袋が同封されています。「本格的、高品質、シンプル、おもしろい」というコンセプトのもと、「楽しむ」ことにフォーカスした商品づくりにこだわっています。
「麹も造ることができれば、さらに楽しいのはわかっていますが、麹造りは設備や技術によって仕上がりが相当左右される工程でもあります。このキットでは醪(もろみ)をいかに楽しむかということを重視して、麹造りと酒母造りの工程を省いています。冷蔵庫を使った低温発酵の吟醸造りを採用してるので、このやり方なら醸造中に腐造するということはまずありません」
MiCURAの商品展開は、「Crisp(クリスプ)」「Mellow(メロウ)」「NANA(ナナ)」の3種類。
「クリスプとメロウは配合違いで、クリスプがスタンダードな吟醸酒で、メロウは少し甘口になります。ワインではブドウが味わいの8割を決めますが、日本酒は造りが8割。配合が違うだけで味わいが大きく変わることを体験してほしくて、麹歩合、汲み水歩合、もろみ日数に違いを出しています」
「新商品のナナは自信作」と胸を張る伊澤さん。「ナナ」という名前は7段仕込みの製法に由来しています。
「Kura Masterの授賞式でフランスへ行ったときに、ソムリエとビオワインの流行について話したんですが、海外の飲み手の中には添加物を気にする人も多いんですよね。だから、人工の乳酸を使わず、黄麹よりも酸を多く出す白麹を使った商品にしようと思った結果、7段仕込みのユニークな商品ができました。
できあがる味わいもポップでジューシーで、海外ではあまり出回らない無濾過の活性にごり酒も造れるんですよ。『自家醸造だからこそできること』に目を向けたのがナナという商品なんです」
ウェブサイト上では使い方をくわしく解説した動画を言語別に公開しているほか、メンバーシップに登録したユーザーには充実したテクニカルサポートを提供しています。
「酒造りの材料というよりはコンテンツそのものを提供していると思っています。『主治医』という表現が合っているかわかりませんが、最近、お客さんのカルテを作り始めたんですよ。自家醸造のキットを売っているところはほかにもありますが、より総合的に酒造りをサポートできるのがMiCURAの特長だと思っています」
「できない理由を探すほうが楽なんです」
日本では自家醸造が法律で禁止されているため、商品のリリースにともない批判を受けることも多かったといいます。
「酒蔵での酒造りを聖域として見ている人は多く、私がまるで聖域を汚しているような見方をされることに驚きました。自家醸造キットの販売自体は法を犯しているわけではないのですが、税務署に通報する人もいたほどです。海外事情をよく知る酒蔵には好意的なところもありましたが、表立って応援してくれるところはありませんでした」
しかし、「そんなものだろうなと思って、あまり気にしていませんでした。最初にこれだけ叩かれていた方が、後で話のネタにできるしおもしろいだろうな」と続ける伊澤さん。海外の関係者からはネガティブな意見を聞いたことはなかったといいます。
国によって法制度が異なるため、商品を輸出する際の手続きにも多くの課題が立ちはだかりました。
「ひとつは原料となるお米です。国によっては生の植物や穀物の輸入は禁じられています。MiCURAのお米は特殊な加工をしているのですが、見た目が生米に見えるので、加工米だということを証明するための書類の作成が必要になりました。そのため、各国の法律はしっかり読み込みました」
もうひとつの大きな課題は送料です。海外への配送料は基本的に重量制ですが、重量換算とサイズ換算で高い方の料金を取られるといったケースもあるのだとか。
「箱のサイズを最適化し、商品の組み合わせによって容量とサイズを場合分けして、最安値を洗い出すという作業が必要でした。ウェブサイトでは、商品をカートに入れて送り先を入力すると自動的に送料が表示されるようになっていますが、これは私が関数を使って算出した数値が弾き出されています」
商品の発送には国際郵便を活用していましたが、新型コロナウイルス感染症拡大の関係で流通が停止。送った商品が倉庫に保管されたまま数カ月届かず、そのまま廃棄処分となったことで、多くの損失を被りました。現在は、DHLというドイツの国際輸送物流サービスを活用しています。
コロナ禍により、「できないことよりもできることを探すことに力が入った」と語る伊澤さん。感染症が拡大するまでは海外の料理学校やワインスクールとのコラボを企画していましたが、現地へ行くことができなくなったため、オンラインでイベントを行ったそうです。
「越境ECなので、もともとオンラインを活用することは多かったのですが、人々のオンラインに対する抵抗が薄れてきたのは大きなメリットだと感じますね。スイッチングコストはあまりなく、今までやってきたことを加速させていこうとしている状況です」
海外向けの自家醸造キットのアイデアは、過去にも業界内で生まれていたはずですが、「実現に至る例はありませんでした」と伊澤さんは指摘します。その一方で、伊澤さんがMiCURAを実現できたのはなぜなのでしょうか。
「できない理由を探すのは楽なんですよね。温度管理が難しい、腐敗したら大変、いい麹ができない、配送料が高い。そんな課題は全部、やっていく中で解決すればいいんじゃないかと思ったんです。もともとマス受けする商品でないことはわかっていたし、熱狂的な人たちに支持されるコアな商品でもいいんじゃないか、と」
SAKE愛好家を増やすための自家醸造
現在、MiCURAには世界23カ国に5,000人以上のユーザーがいます。
「広報にはお金をかけていないのですが、クチコミとリピーターだけでここまで増えました。どこの国が多いかよく聞かれますが、おもしろいくらいバラバラなんです」
ユーザーには、もともとワインやビールを醸造していたという人のほか研究職の人も多く、自分で搾り機やセンサーを自作するといった力の入れっぷりを見せてくれることも。カスタマーサポートのためにユーザーの一人ひとりと交流している伊澤さんは、海外の自家醸造家たちのユニークなエピソードは数多くあるといいます。
「華僑圏では旧正月に合わせて自分のお酒を搾りたいからと、その時期に合わせた注文が増えました。カナダでは、買ったばかりのころは奥さんと娘さんから『また変なガジェットを買って』と顔をしかめられていたのに、できたお酒が彼女たちを唸らせたそうで、もろみ置き場がガレージからリビングに昇格したという話も聞きましたね。ポーランドには、もろみにショパンを聞かせている人もいるんですよ」
世界中の人々が、それぞれの酒造りを楽しんでいることを喜ぶ伊澤さん。そうした活動が共感を呼び、今年1月、アメリカの酒蔵の同業組合「Sake Brewers Association of North America(SBANA)」に加盟しました。
「海外のローカル蔵は自家醸造を経てビジネスを始めた人が多いので、自家醸造のウェビナーに協力してほしいと声がかかったのですが、一時的なコラボだけではなく、加盟してはどうかという提案がありました。彼らも日本側の情報を欲しているので、英語と日本語がわかり、どちらの事情も理解している橋渡し役が必要だと。この加盟は転機になると思っています」
伊澤さんとSBANAは、世界中にSAKEの愛好家を増やすことを目指すうえで、「自家醸造が入口になる」という点で意見が一致しています。
「MiCURAのユーザーにも、もともとSAKEが好きだという人のほか、料理研究家や自家醸造が趣味だという人も多く、自家醸造を通してSAKEの世界に入ってくる人がいることに気づいていました。蔵の見学に来る人もそうですが、単にできあがったお酒を飲むのと酒造りに触れるのとでは、思い入れの程度が変わるんですよね。自分で酒造りを体験するということが、SAKEへの愛着に強く影響すると思っています」
SBANAでは、オンラインセミナーのほか、ソムリエスクールと連携して日本酒講座を開いたり、MiCURAを使って酒造り体験をしてもらったりといった企画が予定されています。
海外からの刺激が日本酒業界を変える
現在の日本では自家醸造は禁止されており、ビジネスとしての清酒製造免許の新規取得も難しいのが現実です。
「たとえば、音楽は聴いているだけでも楽しいけれど、自分で楽器を演奏してみて初めてその奥深さを理解し愛着が湧いたり、鑑賞する能力が高くなったりします。
日本国内の日本酒業界でいえば、鑑賞側、つまり飲み手はどんどん成長しているけれど、演奏者側である造り手はまだ狭い世界の中で闘っているという状態です。業界がもっと活発になるには、外から新たな造り手となる人たちが入ってこなければなりません」
伊澤さんは、そうした法制度だけではなく、酒蔵に色濃く残る家父長制や年功序列の制度、賃金の低さなどの慣習も、外部から新しい人材が参入しづらい状況を作っていると分析します。
「私より上の世代では、少量生産と高級路線に切り替えて生き残った人たちが、素晴らしい日本酒を造って今の業界を率いています。ところが近年は、日本酒がブームになった時代に育ち、試練や淘汰がないまま蔵元になった世代が増えてきました。
上の世代の敷いたレールに乗っていればなんとか回っていくという現状のままでは、業界の成長が停滞してしまう可能性があります」
蔵元の娘として育ち、自分自身もわだかまりを抱えていたときにニューヨークを訪れた伊澤さんは、激しい競争の中で生き残ってきたレベルの高い飲食業界の関係者から大きな刺激を受けます。
それはMiCURAの事業やSBANAの活動を通して、現地の造り手をサポートするモチベーションへと繋がりました。
「『外から入るのが難しいなら、酒造りを外へ持っていけばいいんじゃないか?』というアイデアが浮かんだんです。共通の価値観を持ち保守的な業界に外から新しい刺激がぶつかっていけば、破壊的なイノベーションを起こせるかもしれない。酒造免許の新規発行も賃金の設定も、やろうと思って簡単に変わるものではなく、危機意識や必要に駆られて初めて改革できることだと思います」
アメリカの現地蔵では、フルーツやスパイスを注入したお酒や、おしゃれなグラフィックの缶入り商品など、斬新なアイデアによる新しいSAKEが次々と誕生しています。MiCURAのユーザーも、クリエイティブなアイデアを取り入れながら自分なりのSAKEを造っていて、そうした姿から伊澤さん自身も刺激を受けることは多いのだとか。
「MiCURAでは、現在、台湾の大学や香港のワインスクールと自家醸造の共同プロジェクトを計画しています。日本でできないことが、どんどん海外で実現されていっている。海外から少しずつ刺激や危機感を与えることで、日本国内でもよい方向へ変わっていけばと思います」
伊澤さんが目指すのは、情熱とセンスを持った人たちが性別や国籍などに関係なく酒造りに関われる世界。MiCURAを使ってSAKEの自家醸造を極めたホームブルワーたちが本格的なマイクロブルワリーへと成長し、日本国内の日本酒業界と一緒に切磋琢磨する日は、そう遠くありません。
課題に直面したとき、むしろそれをチャンスだと受け止める「逆転の発想」によって、MiCURAの事業を成長させてきた伊澤さん。
自家醸造を通してSAKEの輪を広げ、各国の醸造家と触れ合っている彼女の瞳には、世界中でSAKEが愛される未来が見えています。
(取材・文:Saki Kimura/編集:SAKETIMES)
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