独自の視点をもったオピニオンリーダーの言葉から、日本酒の未来への視座を探るシリーズ連載『オピニオンリーダーの視点』。第4回でお話を伺うのは、神奈川県横浜市に本社を構える「田中文悟商店」で代表取締役社長を務める田中文悟(たなかぶんご)さんです。

田中文悟商店は、兵庫県神戸市の阪神酒販株式会社のグループ会社。「酒造りという日本の伝統文化を正しく継承させる」をモットーに、現在下記10の酒蔵・酒造メーカーを運営しています。

これだけの蔵・企業の運営をしていながら、田中さんご自身は酒蔵の家に生まれたわけでも蔵人経験があるわけでもありません。大手ビールメーカーから転身後に田中文悟商店を起業。酒蔵を中心とした企業のM&A(合併・買収)を行い、それぞれの企業再建に向けて日本中を駆け回っています。

後継者不足や出荷量減少といった課題を抱える日本酒業界において、田中さんのような外部からの働きかけはどのような変化をもたらすのでしょうか?これまで表⽴って語られてこなかった「酒蔵経営への外部参⼊」について、ご意⾒を伺いました。

日本酒業界衰退の危機を知り、大手ビールメーカーから日本酒産業へ

生駒龍史(以下、生駒):文悟さんとはこれまでもよくお話しさせてもらっていますが、改めて田中文悟商店の事業はどのようなものか教えていただけますか?

田中文悟(以下、田中):ホールディングカンパニーとして、M&Aした酒蔵や酒造メーカーの再建へ向けたお手伝いをしています。田中文悟商店として何か大きな売上があるわけではなく、会社の中に入り込んで全体をまとめ上げる事業です。

生駒:マネジメントの立場にいるということですね。もともとはアサヒビール社にお勤めだったと聞いていますが、なぜ日本酒の事業を始めたんですか?

田中:アサヒビールにいたときから酒蔵出身の先輩や同期がたくさんいて、彼らから「今、日本酒の業界が大変だ」ということを聞いていたので、何か手伝うことができないかと考えていました。アサヒビールを退職後、阪神酒販にジョインして2年ぐらい経ったころ、元からお付き合いのあった人材派遣会社の社長さんが酒蔵を持っていて、それを手放すという話を聞いたんです。「じゃあ我々がやりますよ」ということで、阿桜酒造、千代菊、富士高砂酒造をうちで経営することになった、というのがスタートです。

生駒:その3蔵から始まったんですね。経営を任された蔵は、当時はどんな状況だったのでしょうか。

田中:もちろん蔵ごとに状況は様々ですが、一例ですと、断ろうと思っていた秋田・阿桜酒造の照井杜氏に会ったら「このたびは応援してくれてありがとうございます」って面と向かって言われて、その顔を見たら断れなくなっちゃって(笑)「何でもやるから酒を造りたい、自分が造りたくない酒でも造るからいっしょにやってほしい」と言われて。そこで気持ちが固まって、やっぱり何とかしなきゃいけないと思いましたね。

「蔵の雰囲気が酒の味に出る」──徹底的に浸透させる経営哲学

生駒:2012年から事業を始めて、いま5年目ですが、実際に酒蔵を経営してみていかがですか?

田中:「これをしたらダメなんだ」というのはわかってきました。まず、蔵の雰囲気が悪いと確実にダメですね。いつも社員には「蔵の雰囲気が酒の味に出る」と言っています。あとは食品産業なので、いわゆる5S(整理・整頓・清掃・清潔・習慣化)ができていない蔵もダメ。これもきつく言っています。それと愚痴や噂話が多いのもダメ。彼らはM&Aされた側なので、みんな思うところはあると思うんです。けれど「この会社は僕のものじゃなくて、社員みんなのものでしょ。みんなが変われば会社は変わるんだから、愚痴があるんなら直接言い合って、会社を変えようよ」ということはいつも言っています。

生駒:以前、銀盤酒造のみなさんを取材した際、M&Aが決まったときはこの先どうなるかわからなくて暗い気持ちでいたけれど、今はお客さんからも「雰囲気が良くなった」と言われるようになったと伺いました。

田中:ありがたいことです。結局は彼ら一人ひとりが変わらない限り蔵も変わらないんです。僕らは酒蔵や日本酒業界をなくしてはいけないという思いで入ってきています。でもひとりだけの力では、一時的には良くなるかもしれないけれど長くは続かない。この先ずっと良くしていくためには自分たちがどう変わっていけるかにかかっている。だから僕は会社の雰囲気が悪いなと思ったら従業員に積極的に話しかけるし、何があったの?と話を聞く。それはすごく気を付けています。

生駒:自分の仕事に誇りを持って取り組めるかどうかは、とても大切なことですよね。

田中:そうですね、おっしゃる通り。本当に利益とか関係なしに、出会った人みんなを幸せにしたい。特に伝統産業に携わる方々って、本当に厳しい労働環境の中で働いていますから。ですから、給与などの待遇面も改善していきたいですね。

生駒:M&Aをする蔵を選定する基準ってあるのでしょうか?

田中:創業当時は、200~300石クラスで地酒に特化している小さい蔵が中心でした。今でも小さい蔵を重点的にやりたい気持ちはあります。ですが日本酒の伝統と技術の継承ということを考えると、大手蔵の倒産の方が影響が強いので、今はある程度規模の大きい蔵を中心に考えています。その上で、第一に見ているのは"杜氏のやる気"ですね。数字が悪い蔵より、杜氏のやる気がない蔵の方が厳しいので。ものすごく困っていて、もう営業先もあんまりない、けれど杜氏だけは酒造りに燃えてる、という蔵はぜひお手伝いしたいなと思います。

生駒:そうなると、造りにはそんなに口を出さないということでしょうか。

田中:そうですね、僕は杜氏と対話をします。「こういうお酒がいまトレンドでこういうお酒を造ってほしいんだけど、どう思う?」と。造るのは杜氏なので、いくら社長に言われたからといって自分の納得しない酒造りはしてほしくない。ですから「今年の酒造りはどうしよう」と話し合うことに時間を割いて、決まったらあとはもう「杜氏が造りたいように造って」とお任せしています。

生駒:信頼関係がないとできないことですね。今後はもっと蔵を増やしていく予定ですか?

田中:大きな目標で言うと、47都道府県全部に蔵を持ちたいな、と。

生駒:それはすごいですね!ちなみに、海外に対してのアプローチや、海外でお酒を造る現地醸造などは考えているのでしょうか?

田中:僕は製造も営業も、国内でやることはまだたくさんあると思っているので、今のところ現地醸造は考えていません。いま、日本酒の総生産量に対しての輸出量は3%ぐらいしかありませんよね。東南アジアの方は日本酒ブームだと言われますが、単に日本の企業が増えて現地の日本人が飲んでいるだけ。その一方でフランスワインは総生産量の7割が輸出。日本酒がそうなるまでにはまだちょっと時間がかかると思います。でもブームになってから動くのでは遅いので、グループ全体ではヨーロッパと東南アジアには積極的に商品企画や輸出を行っていますよ。

垣根を越えた蔵同士の交流・協力がグループシナジーを生み出す

生駒:経営主体が田中文悟商店になった結果、具体的にどの蔵の経営がどれくらい良くなったのでしょうか。

田中:「阿櫻」の例で言うと、M&Aをして6年で売上はおよそ160%増。赤字体質からの健全化にも成功して、売上の1割ほどの利益も出ています。日本酒業界で利益が1割ってなかなか高い数字なんですよ。ひとつの目標に達することができましたね。

生駒:すごいですね、売上だけじゃなくて、利益率自体を大幅に改善することはメーカーとしては相当な努力が必要ですよね。

田中:これはグループシナジーによるものも大きいと思います。グループ内で資材の共有をしたり、米もいっしょに仕入れたりすることで、経費を抑えることにもつながりました。

生駒:グループシナジーというと、他にどんなことが挙げられますか?

田中:営業面で言えば、販路の共有や蔵同士の情報交換などでしょうか。でも一番大きいのがメンタル面ですね。我々は今、年に1回「蔵サミット」というのを開催していまして、グループ内の経営者、営業部長、製造部長、杜氏をみんな集めて、自分たちの蔵に1泊2日で泊まって意見交換や技術の相談をしているんですが、やっぱり杜氏たちが一番ホッとしているんじゃないでしょうか。日々孤独と戦いながら酒造りをしている彼らですが、今は困ったことがあったらお互いに電話でやりとりするようになりました。

生駒:それはすごく大きいですね。グループ内の仲間だからこそ、気軽に相談できるというのは大きな価値ですね。

田中:そうそう、垣根を越えて交流できていることは大きい。絆ができているなと思います。

生駒:2016年12月の糸魚川市大規模火災で蔵が全焼してしまった加賀の井酒造も、文悟さんが経営している酒蔵のひとつですね。今年の2月からは銀盤酒造のタンクを借りて、仕込みを再開しているそうですが、これもまさにグループシナジーによるものですね。

田中:そうですね、加賀の井の被害を聞いたときにパッと頭に思い浮かんだのは「酒造りをどうしようかな」ということでした。このままやめるなんて思いは1ミリもなくて、酒造りを続けるには銀盤でやるしかないなとその日のうちに考えたんです。

生駒:現在、加賀の井の蔵はどうなっているんですか?

田中:今は瓦礫の撤去も終わって、知事と市長さんが「加賀の井を復興のシンボルにしたい」と言ってくださって、いま優先的に動いていただいてます。設備も整い始めて、合言葉としては「この冬に間に合わせよう」と。

生駒:そうなったらすごいですね、1年で復活って。でも、よその蔵で酒を造るって普通はあり得ないことですよね?

田中:そうですね、これは銀盤にとっても良いことだったと思います。銀盤と加賀の井は規模が全然違いますが、銀盤のメンバーも加賀の井のていねいな仕事は参考になるんじゃないかなと。あと他の蔵でもいろいろやってみようかと考えています。また新しいことができるかもしれない。

「身売り」「乗っ取られた」M&Aへのネガティブなイメージを変えられるか

生駒:日本酒業界におけるM&Aは多くの場合、理解されづらいですよね。「身売り」という表現がされることすらありますから......。

田中:まず良い方には捉えられないですね。「乗っ取られた」とか、悪い方に捉えられることが多い。でもやっぱり、M&Aで外から来た社長と直で接することがなかったら、悪く考えてしまうのもしょうがないと思います。だから僕が銀盤酒造でやったのが、地域のドブ掃除。年に4回ある地域の活動で、それまで銀盤の人はだれも出ていなかったんだけど、これはやらなきゃダメだと思って社員といっしょにやり始めたんです。すると町内会の人たちが驚くわけですよ。「今までだれも来なかった銀盤の人がみんな来た」って。その後に懇親会があって、みんな僕のところに来るんです。「ごめんね、そんな人だと思ってなかった」って。ですから、地元のイベントなどには積極的に出るようにしています。

生駒:なるほど。僕はM&Aで経営再建するのって、酒蔵が生き残る道としてこれからもっと増えるんじゃないかと思っています。いま文悟さんが身を切って「M&Aしても上手くいくんだ、大丈夫だ」と発信していて、酒蔵を経営再建することがポジティブなイメージになるかどうかを文悟さんが背負っている。それってすごいことですよね。

田中:先駆者としてそういうことをやっていきたいと思っています。やはり日本酒は伝統技術であるがゆえに、「M&Aなんて恥ずかしくてできない、売却なんてしたら地元でやっていけない」という方が多かったので、今までだれもやってこなかった。でも「そうじゃないんだよ」という姿をだれかが見せなければいけないと思います。僕みたいなことをやる人がもっと出てくればもっと日本酒業界は盛り上がりますし、もっと救われる蔵も多くなるので、どんどん出てきてほしいですね。

生駒:外部参入の視点から、日本酒業界の活性化のために必要だと感じるアクションなどはありますか?

田中:やはり「正しく伝えること」が大事だと思います。最近、若い人が蔵に戻ってきて、お客様と直接触れ合う機会が増えてるところもあると思います。ですが、まだまだ"良い時代"を知っている人は、蔵寄りの考えでお客様目線じゃないところがある。良い酒を造っているからこそ、それをどうやってお客様にアプローチするかを考えなきゃ、飲む人は増えていかないと思います。

生駒:マーケティング的な考えですね。

田中:まさにそう、マーケティングとかブランディング的なところが日本酒の酒蔵は弱いので、そこはもっと広めていかないといけないでしょう。これだけ配送が発達してどこのお酒も手に入るようになったことですし、日本酒を語る人がもっと増えていいと思います。結局この業界ってV字回復することはないので、積み重ねていった結果が大事になる。だから、そういうスピーカーとなる方を増やしていかなきゃいけないし、杜氏にも試飲会などでお客様とふれ合う機会を増やしていってほしいと思います。

未来への種をまくときが一番の幸せ。蔵とともに自分も成長していきたい

生駒:今日お話を聞いて、酒蔵さんで事業継続に困っているところがあれば一度文悟さんに相談に行ってみてほしいと改めて思いました。

田中:最近は「困ったら田中文悟商店に聞こう」というように少しずつなってきているのを感じています。僕のやることは、きちんと蔵の後継者を育てて引き継ぐことです。蔵を良くして、育てて、返す。酒蔵って"会社"じゃなくて"家族"なんですよ。だから「会社にします」というと聞こえは悪いかもしれないけど、残していくためには会社になっていかないといけないので、そこはお手伝いしなきゃいけないなと思っています。もっとも、「組織は会社だけど社員は家族だよ」ということはみんなに言っていて、蔵の人は僕に託しているわけですから、彼らを不幸にするわけにはいかない。彼らの幸せを約束していっしょにがんばっているので、裏切れないですからね。

生駒:文悟さんって戦略的な話をすると実業家っぽいですけど、かなり情に厚いですよね。

田中:そうかな、とにかくどうすればみんなでやる気になれるかということを常に考えてますね。ありきたりな言い方ですけど、彼らが本気にさえなれば1+1が3にも5にもなる。絶対蔵は良くなるので。

生駒:経営的にも利益を上げていますけど、蔵の人との絆が資産になっているんですね。文悟さんの原動力はやはり人とのつながりなんでしょうか。

田中:それが大きいんですかね、目先の利益よりも、長年伸ばしていかなきゃいけない事業なので、種まきというのは常に続けていかなければいけない。そのまいた種が3年後でも10年後でも、ちゃんと収穫できるとうれしいですね。でも商品の製造や得意先へのアプローチ、社員のモチベーションアップとか、種をまいているときが一番幸せ。数字に着目してばかりいるよりも、可能性を広げることをやっていった方が結果的に良い。僕の力で救える蔵があればいっしょにやらせてもらいたい。いっしょに成長させてもらいたいなと。蔵が成長すると自分が成長するのも感じるので、僕も蔵からパワーをもらっています。

インタビューを終えて

伝統産業においては、ことさらネガティブに捉えられがちなM&Aという手法ですが、田中文悟さんの熱意を持って酒蔵の再建に取り組む姿を見れば、そのマイナスイメージは払拭されるだろうと強く感じました。

お話を聞いていくなかで、酒蔵を支えているのは"一人ひとりの人間"なのだと改めて気付かされました。蔵で働く人々を「家族」と呼ぶ、その愛情あふれる語り口に、心がホッとあたたかくなるインタビューでした。

(取材・文/芳賀直美)

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