酒造りにおいて重要な役割を果たす酵母。現在、ほとんどの酒蔵や酒造メーカーでは、日本醸造協会から頒布されている「きょうかい酵母」を使用しています。全国各地からさまざまな種類の酵母が収集・頒布されており、酵母によって異なる香りや風味を楽しめるのも日本酒の醍醐味でしょう。

2019年4月、京都・伏見の月桂冠は「きょうかい2号」を使った「伝匠月桂冠 百年酵母仕込み 純米吟醸」(以下「百年酵母仕込み」)を限定発売しました。

100年以上前に採取されながら、わずか20年ほどの間しか頒布されなかった「きょうかい2号」。そこで、月桂冠は「きょうかい2号の酒再生プロジェクト」を立ち上げ、社内の部門を越えたチームで「きょうかい2号」を使った酒造りに挑戦したのです。

長い間眠っていた「きょうかい2号」とは、いったいどのような酵母なのでしょうか。プロジェクトのキーマンである設計開発と製造のリーダーにお話を伺いました。

"アルコール発酵力の弱さ"から姿を消した「きょうかい2号」

明治45年(1912年)、月桂冠の蔵付き酵母として採取された「きょうかい2号」。歴史ある酵母でありながら、実際に頒布されていた期間は、大正6年(1917年)から1939年(昭和14年)の間のみ。それ以降は酒造りに使用されることはありませんでした。

その理由について、「さまざまな文献を読んでの推察になりますが」と前置きしつつ話してくれたのは、月桂冠総合研究所 製品開発課の鈴木佐知子さん。鈴木さんは新商品の設計開発を主な仕事とし、「きょうかい2号の酒再生プロジェクト」の主幹担当を務めています。

月桂冠総合研究所 製品開発課 鈴木佐知子さん

月桂冠総合研究所 製品開発課 鈴木佐知子さん

「『きょうかい2号』は、第二次世界大戦を境にぱたりと頒布がなくなっています。おそらく、戦後の混乱と高度経済成長期の中で、酒造りには発酵力が強くてアルコールをより多く作る"強い酵母"が求められていたのではないでしょうか。

『きょうかい2号』はとても繊細な酵母で、ほかの酵母に生存競争で負けてしまいますし、発酵力が非常に弱いのでなかなかアルコールが出ないという特性があります。戦後以降は発酵力が強くお酒の仕上がりもいい『きょうかい6号』や『きょうかい7号』、『きょうかい9号』を使ったお酒が増え、『きょうかい2号』のように繊細な酵母での酒造りは途切れてしまったのではないでしょうか」

月桂冠総合研究所の外観

月桂冠総合研究所

一方で、自社の蔵付き酵母だったこともあり、月桂冠総合研究所では「きょうかい2号」を使った酒造りに関心をもち続けていたといいます。

2009年、研究所の設立100周年記念として小スケールでの造りが行われました。その際に使用されたのは、「きょうかい2号」を親株にして、吟醸香を高めるように研究所が独自に育種した酵母。完成したお酒は記念酒として関係者のみに振る舞われました。

2017年には「きょうかい2号」が頒布開始から100周年を迎えるのを機に、研究所が遺伝子を解析して学会で発表。並行して「百年酵母」の商標登録も行い、本格的に酒造りに向けて動き出しましたが、順調にはいきませんでした。

非常に発酵力の弱い「きょうかい2号」は、これまでの造りと同様に仕込んでもなかなかアルコール度数が上がりません。販売できるようになるまで、試行錯誤を重ねたと鈴木さんは振り返ります。

月桂冠総合研究所 製品開発課の鈴木佐知子さん

「一般的な清酒酵母は、アルコール度数が18~20度ぐらいまで上がると、自分が生み出したアルコールによって死滅します。ところが、『きょうかい2号』は15~16度ぐらいまで上がると発酵をやめてしまう。酵母は死なないのですが、アルコールをつくってくれません。本来、生物はそうやって自分の身を守るものなので、賢い酵母ともいえますね。

2017年に学会発表しましたが、遺伝子解析してわかったのは、『きょうかい2号』が現在主流の酵母とは異なる系統の酵母だということ。遺伝的にも裏付けられているように、発酵の性質も大きく異なるので、温度や加水、酒母はどうするか......さまざまなパターンで小仕込みを繰り返しました」

ある程度は形になったタイミングでテイスティングをすると、若手社員は「甘酸っぱい、お菓子みたい、個性的」、ベテランの造り手たちは「発酵不良、においが良くない」と、評価が二分しました。その個性もおもしろいと感じた鈴木さんたちは、よりブラッシュアップするべく小仕込みを続けました。結果、実製造へ段階を進めてOKと判断し、商品化にこぎつけました。

「伝匠月桂冠 百年酵母仕込み 純米吟醸」(720mLびん)のボトル

「伝匠月桂冠 百年酵母仕込み 純米吟醸」

こうして、およそ2年の開発期間を経て2019年に完成した「百年酵母仕込み」。「酵母の風味を活かす純米吟醸で、京都生まれの酵母に合わせて米と水も京都産」といったコンセプトのもと、京都府産の酒米である「祝(いわい)」を60%まで精米し、京都伏見の名水「伏水(ふしみず)」を使用しています。

リンゴやブルーベリーの完熟果実を思わせる甘酸っぱい香りと、その香りにマッチしたふくらみのある味わいが特徴で、「刺身よりもカルパッチョ。ピザやパスタなど、洋食にもとても合うお酒です」と、鈴木さんは料理との相性を評します。

「完成したお酒を始めて前にしたとき、香りの広がりがとてもよかったんです。私はパイナップルのように感じましたが、リンゴのようだと言う人もいました。醪の期間が通常より長かったので、見た目もリンゴジュースのような黄金色です。味わいはふんわりと甘酸っぱく、ジューシーなテイスト。こんなお酒はこれまでの月桂冠になかったので、みんな驚いていました。正直、予想を超えたすばらしい出来栄えでした」

「日本釀造協會雜誌」の酵母に関する記事

1925年当時の酒造りを記した「日本釀造協會雜誌」にも「林檎のやうな芳香を放ち」という表記があることからも、およそ100年前と同様に「きょうかい2号」の特性を活かした酒造りに成功したことが伺えます。

「100年前にも同じ味のお酒を飲んだ人がいたのかもしれない。そう思うと、ロマンを感じますね」と、鈴木さんは嬉しそうに話します。

試行錯誤を重ねた一本

鈴木さんとともに、製造の面で「きょうかい2号」と向き合った熊田裕次さんにもお話を伺いました。

月桂冠の四季醸造蔵である「大手蔵」は一号蔵と二号蔵に分かれており、熊田さんは吟醸酒専用ラインのある一号蔵で吟醸酒を担当するグループのまとめ役を担っています。「きょうかい2号の酒再生プロジェクト」では、製造のリーダーを務めました。

月桂冠 醸造部 一号原料発酵グループ 熊田裕次さん

月桂冠 醸造部 一号原料発酵グループ 熊田裕次さん

もともと「祝」を使った酒造りは経験していましたが、「きょうかい2号」を使うのは初めてだったそう。2009年に行った小仕込みのデータを参照しても、その際に使われた「きょうかい2号」とはまた違う性質だったため、ほぼ前情報がない状態で試験醸造がスタートしたとのこと。

「酒造りは、発酵経過にもよりますが醪の段階の前半で発酵を促すため加水を行い、薄めることで糖分が濃くなるのを防ぎつつ、発酵が旺盛になるよう環境を整えることが重要です。『きょうかい2号』は遺伝子の解析結果からアルコール発酵が緩やかなことが分かっていたので、本当は水を入れたいタイミングでも水の入れすぎにならないよう我慢しなければなりません。通常よりも少ない回数で加水を行い、『これ以上水を入れたらアルコールや酒の味が薄くなりすぎてしまう』というところで止めていました」

仕込み作業の様子

ほかにも、発酵を促すための温度管理にも苦労したと話す熊田さん。発酵が緩やかな「きょうかい2号」の醪では、通常の吟醸酒を造るときよりも温度経過を高めに設定しました。12月に仕込みを開始しましたが、外気温が下がるとともに発酵室内の温度も低下。1月中旬には発酵室内の温度が下がり過ぎないよう、室温管理にも気を配ったといいます。全国新酒鑑評会の出品酒の製造期間とも重なっていたため、スケジューリングにも気を遣ったそう。

「一般的な醪の発酵期間が20~25日間程度なのに対して、『きょうかい2号』では36日間もかかります。発酵が緩やかなため、分析のグラフも予測の数値とまったく違う。展開が読めず、他部署との連携も密になりました」

初めての酵母、そして設計開発と醸造との協力体制、勤続26年のベテランである熊田さんにとっても新鮮な環境で造られた「百年酵母仕込み」。その仕上がりは満足のいくものでした。

「搾ってすぐのできたてを口にしたときに、すごく良い仕上がりになったと思いました。酸味が特徴的で甘みもあって、こんな酒はうちにはない。最初は食前酒のイメージでしたが、商品化したものは強く出ていた味が落ち着いて、さまざまな料理に合う可能性を感じました」

"京都へのこだわり"が生んだ運命的な味わい

月桂冠総合研究所 製品開発課の鈴木佐知子さん

発酵力が弱く、思い通りの数値にならない。"造り手泣かせ"とも言える繊細で控えめな「きょうかい2号」ですが、そのぶん完成したときの喜びはひとしおだったと鈴木さんは語ります。

「とてもゆっくりと発酵が進むため、醪の発酵期間が何日間になるかわからない。『明日か明後日か』と見守りながら育てていきました。普通は発酵したら表面に泡が出てきて見た目でわかりますが、それもほとんどなくて大人しすぎ。みんなで『死んだんじゃないか』と心配することもありました(笑)。手塩にかけて育てたので、商品として形になったときは本当に嬉しかったですね」

月桂冠 醸造部 一号原料発酵グループ 熊田裕次さん

また、2人が口を揃えて言うのが「結果的に『祝』を使って良かった」ということ。当初は「きょうかい2号」と「祝」を組み合わせることへの懸念があったと熊田さんは話します。

「なんで『祝』なんだろうと思ったのは僕だけではなかったはず。『祝』は滑らかな口当たりと膨らみのある味わいが特徴ですが、柔らかくて溶けやすい米なので、繊細な酵母の仕込みに使うと、どうしても溶けが先行して発酵とのバランスが取りづらくなるんです。また、収穫した年によっては溶けづらいこともあり、その見極めも難しい。

しかし、とても良いお酒ができた。今では、『きょうかい2号』と『祝』との組み合わせが良かったから、この香りと味わいが生まれたんだと思っています」

「自分たちはあくまで見守っただけ。頑張ったのは酵母です」と話す2人。「百年酵母仕込み」が発売された際は、手のかかる子どもが立派に成長した姿を見届けるような気持ちになっていたかもしれません。

「伝匠月桂冠 百年酵母仕込み 純米吟醸 紅熟(こうじゅく)」

「伝匠月桂冠 百年酵母仕込み 純米吟醸 紅熟(こうじゅく)」

造り手の試行錯誤によって完成した「百年酵母仕込み」は、2019年4月に3,000本の数量限定で発売。その個性のある味わいが評判となり、まもなく完売となりました。

9月18日からは、第二弾となる「伝匠月桂冠 百年酵母仕込み 純米吟醸 紅熟(こうじゅく)」を2,400本限定で発売。「百年酵母仕込み」を寝かせたことで、よりまろやかな味わいが楽しめるといいます。

100年前の味わいが、未来へつながる

今後の「きょうかい2号の酒再生プロジェクト」の展望について鈴木さんにたずねると、若手への期待を寄せてくれました。

「『百年酵母仕込み』のバランスが奇跡的な仕上がりなので、これよりさらにおいしいものを造るとなると大変かもしれません。しかし、後輩たちがいろいろな挑戦をしているので、これからが楽しみです」

熊田さんも「酒造りが好き、ものづくりが好きという人ばかりです。非常に知識が豊富で、僕が太刀打ちできないような若手も出てきています。若いうちにたくさん経験を積んでほしいですね」と、次世代の成長を喜んでいるようです。

明治時代に見つけられた酵母を、100年以上の時を経て令和に受け継ぐ。ドラマティックな「きょうかい2号」の物語は、新しい世代へとつながれていきます。

sponsored by 月桂冠株式会社

(取材・文/芳賀直美)

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