長野県の南部・上伊那郡中川村にて1907年に創業した米澤酒造。南アルプスと中央アルプスに囲まれた盆地「伊那谷(いなだに)」に位置していることから良質な水に恵まれ、豊かな自然環境のもとで酒造りを続けてきました。
後継者の不在や設備の老朽化などといった問題から、一時は廃業の危機に立たされますが、2014年、同じく長野県の企業である寒天メーカー・伊那食品工業の「地域の文化として酒蔵を残したい」という想いにより、事業継承が行われました。
伊那食品工業のグループ会社となり、新体制での再スタート。古くから米澤酒造を知る酒販店の方々は、この事業継承をどのように捉え、どのような変化を感じているのでしょうか。今回は、長野県内にある3軒の酒販店を訪ね、お話をうかがいました。
「継承先を聞いて、率直によかったなと思いました」
最初にお伺いしたのは、JR飯田線・切石駅から徒歩10分ほどの場所にある「酒のしお澤」です。
今年で創業101年目を迎える同店。店内には日本酒をはじめ、焼酎やビール、ワインなど、バラエティ豊かなお酒が並びます。すべて、3代目の塩澤賢治さんが自ら味を確かめて、取り扱いを決めたものです。
米澤酒造とは25年ほど前からの付き合いなのだとか。塩澤さんは、事業継承が決まった当時の想いを、次のように話してくれました。
「継承するのが伊那食品工業さんだと聞いて、率直によかったなと思いましたよ。伊那食品工業さんは、長野が誇る会社です。地元から愛されている、本当にいい会社なんですよ。会社の周りで渋滞が起きないように右折をしないとか、毎朝地域の清掃をするとか、そういう地域を想う姿勢が素晴らしいんです。
そんな会社が引き継ぐのなら、利益だけを追い求めるのではなく、きちんと米澤酒造の良さをわかってくれるでしょうし、きっと地元にも可愛がられる蔵になるだろうと思いました」
心から信頼している会社のもとでの新体制となり、その後のお酒の方向性が気になっていたという塩澤さん。実際に飲んでみると、「良い意味での"田舎っぽさ"は変わっていない」と感じたそう。
「田舎っぽさって、つまり旨味なんです。そこがだいぶ磨かれて、さらに洗練された印象ですね。きっと設備に手を入れたおかげなんでしょう。以前は味に多少のブレを感じることがありましたが、最近は安定してきて、心強く感じます。
米澤さんの酒は、湯呑み茶碗に入れて、山菜やたくあんを添えるのがよく似合うんですよ。個人的には、常温で楽しんでいただくのが一番だと思います。常温でじっくり味わうと、米澤さんの"自然体"が見えてくるんです」
「最近は、個人も飲食店も、米澤さんのお酒のリピーターがどんどん増えています。飲食店さんが何件も、『もうメニューから外せない』と言っているんですよ。美味くなけりゃ、そうはなりませんよね」
事業継承から約8年が経った現在。これからの米澤酒造に期待することをうかがいました。
「米澤酒造は、伊那谷の風景として、ずっと残っていてほしいんですよ。伊那盆地があって、天竜川が流れていて、そして米澤さんの蔵がある。地域に溶け込んでいて、伊那谷に不可欠な蔵になっているんです。
酒の味は、土地はもちろん、酒に関わる人の姿勢も反映されるものだと思っています。伊那食品工業さんといっしょに造る酒は、きっと、もっと美味くなるでしょう。日本を飛び出して、世界に伊那谷を伝えるような存在になってほしいですね」
「地元の文化を大切にしてくれることがうれしい」
続いてお伺いしたのは、JR飯田線・飯島駅からすぐの場所に店を構える「池上酒店」です。
今年で創業87年を迎え、現代表の池上明さんは3代目にあたります。お客様は飲食店が中心ですが、コロナ禍で個人へのオンライン販売も増えたとのこと。なんと、米澤酒造とは池上酒店の創業当初から付き合いがあり、約80年以上の関係になるそうです。
「米澤さんは、店の創業当初からずっとお付き合いのある酒蔵さんです。『棚田の米でお酒を造りましょうよ』と話を持ちかけて、『おたまじゃくし』は私が発案したんですよ」
『おたまじゃくし』は、中川村の棚田で収穫された美山錦のみを原料米として造られる銘柄。その特徴ゆえ、多くは仕込めませんが、棚田という中川村の景観と文化を残すために造り続けている、米澤酒造の人気銘柄です。
長く、そして深い付き合いがあったからこそ、事業継承を知った時は「驚きを隠せなかった」と池上さんは話します。
「もちろん、伊那食品工業さんは知っていましたが、これからどんなお酒になっていくのか、見当がつかなかったですね。ただ、米澤さんの蔵の老朽化が進んでいたことは知っていました。そこは食品メーカーとしての知見を活かして、しっかりとした衛生管理をしてくれると思っていたので、安心感がありましたね」
事業継承後、2年目の造りから味の変化を感じ始めたという池上さん。そして、3年目からは「良くなる一方でした」と話を続けます。
「全体的に酒質が底上げされたように感じます。きっと設備を新しくしたことで、雑味が抜けて、本来の味わいが感じられるようになったのでしょう。そこは食品メーカーが引き継いだメリットですね。衛生管理をはじめ、基本的なことが徹底されているのだろうと思います。
米澤さんの酒は、キレがあるのに、余韻も長く感じられて、飲み飽きしません。普通酒は燗にしても嫌な香りがなく、米の旨みが口いっぱいに広がりますし、純米酒はやわらかい飲み口で華やかな香りです。おそらく、酵母の使い方が上手なのでしょう」
池上酒店から米澤酒造までは車で15分ほど。まさに、地元の酒蔵です。
「このあたりには米澤さんのほかに酒蔵はないので、『地元蔵』と呼べるのは米澤さんだけ。うちとの付き合いも長いですし、本当に愛着のある酒蔵です。伊那食品工業さんも言っていますが、酒蔵は文化を継承するもの。昔から、地元のお祭りには米澤さんの『今錦』が並んでいました。この地域には欠かせない、地元の文化を伝えていく存在として、これからも酒造りを続けていってほしいです」
「また、今年、中川村の棚田の維持管理を伊那食品工業さんが引き継ぎました。棚田の管理には大変な面もあると思いますが、棚田という文化を守るために決断していただいたのでしょう。利益だけを追うのではなく、きちんと文化として大切にしてもらえる企業に継承されたことは、酒屋としてだけでなく、地元の人間としても本当にうれしいですね」
"あえてしていること"から感じる、中川村への愛情
最後にお伺いしたのは、JR伊那市駅から車で5分ほどの場所にある「酒文化いたや」です。
開業は1952年。もともとはお酒以外も取り扱う商店でしたが、1996年に地酒専門店としてリニューアル。代表を務める中村修治さんの「地域のお酒を応援することこそ、地域の酒販店の使命」という想いのもと、地元に根付いたお酒を取り扱っています。
米澤酒造との取引が始まったのは13年ほど前。それから数年が経ち、事業継承が行われました。
「最初は驚きましたが、振り返ってみると、継承したのが伊那食品工業さんで良かったです。企業によっては、『お金があるので継承してみました』という"お試し"のような形での継承もあり得ますよね。それだと、米澤酒造さんの良さを維持するのは難しかったと思います。伊那食品工業さんは真面目な企業だとわかっていたので、寄り添った形で継承してくださると思っていました」
米澤酒造のお酒の味わいについて、中村さんは「ごつごつとした硬さがベースにある」と話します。
「ミネラル感のある味わいが特徴ですね。新体制になってからは、その土台は引き継がれつつも、クセが取れてきれいな味わいになったように感じます。きっと、設備を整えたことで、余計な雑味が入らなくなったのでしょう。伊那谷は百姓をやっている人が多かったので、保存食など、味の濃い食べ物が多いんです。そういう、この土地の食べ物によく合うお酒だと思います」
伊那食品工業は、「中川村の文化である米澤酒造を残したい」という想いで事業継承を決断しました。その想いを、中村さんは以前から感じていたといいます。
「伊那食品工業の最高顧問(塚越寛さん)は、写真がご趣味ですよね。伊那食品工業が作っている伊那谷のカレンダーで、最高顧問が撮影した写真を拝見していましたが、『ああ、この地域を愛していらっしゃるんだな』と、心の底から感じるんです。酒蔵も、そのような想いから引き継がれたのでしょう。もっと便利な場所へ蔵を移すこともできたでしょうし、棚田で米を作らなくても酒造りは続けられます。そこをあえてやっているところに、地域への愛情を感じます」
事業継承前の米澤酒造を知っている方からは、その後の蔵の体制について、質問をいただくこともあるのだとか。「もっと米澤酒造の今を伝え、広めていきたい」と話す中村さんは、米澤酒造への期待を次のように話します。
「蔵の方々には、自分たちの好きなお酒を、好きなように造ってほしいですね。中川村でしか造ることができない、その土地を映し出したような個性あふれるお酒を期待しています」
二人三脚で歩む"パートナー"として
みなさんのお話に共通していたのは、新体制になってからも味わいの根本は変わらず、より洗練されたお酒になったということ。そして、地域とともに歩んできた伊那食品工業の企業姿勢に対する、大きな信頼感がありました。
守るべきものは守り、変えるべきところは変える。単なる親会社と子会社という関係ではなく、"パートナー"と呼ぶべき信頼関係のもとで、これからも米澤酒造は地域に根差した酒造りを続けていくのでしょう。
(取材・文:藪内久美子/編集:SAKETIMES)
sponsored by 米澤酒造株式会社