長野県の南部・上伊那郡中川村に蔵を構える米澤酒造。後継者の不在や設備の老朽化などといった問題から、一時は廃業の危機に陥りましたが、2014年、地元を同じくする寒天メーカー・伊那食品工業による事業継承が行われ、新たなスタートを切りました。

米澤酒造の直売所外観

前回の記事では、地元酒販店の方々に事業継承前後の味わいの変化を伺いました。共通していたのは、「雑味が抜けて、よりきれいな味になった」というコメント。設備の入れ替えなど、酒質の向上にはさまざまな要因が考えられますが、その一端を担っているのが伊那食品工業の研究開発部です。

研究開発部で行われている日本酒の研究や分析は、米澤酒造の酒造りにどのように活かされているのでしょうか。米澤酒造で杜氏を務める坂口俊弥さんと、伊那食品工業 研究開発部の酒井武彦さんにお話を伺いました。

事業継承の直後に生まれた日本酒チーム

伊那食品工業の研究室

伊那食品工業の研究開発部には、現在、全社員の1割ほどにあたる約50名が所属。技術開発室・業務用製品チーム・家庭用製品チーム・研究グループと大きく4グループに分かれており、その中で和菓子・洋菓子など、さらに細かく担当が分けられています。

「私が入社した約20年前から、常に社員の1割ほどが研究開発部に所属しています。ほかのメーカーと比べると、割合は多い方ではないでしょうか。寒天の可能性を追求するため、会社の方針として研究開発には力を入れているんです」(酒井さん)

伊那食品工業 研究開発部・酒井武彦さん

伊那食品工業 研究開発部・酒井武彦さん

日本酒の研究チームが発足したのは、米澤酒造の事業継承が決まった直後でした。伊那食品工業の強みである研究開発の分野から、酒造りをサポートしたいという思いがあったのだそう。

当初、もちろん日本酒は専門外。ただ、同じ食品カテゴリーであることから共通する分析手法が多く、例えばアミノ酸度やグルコース濃度など、味わいに関する分析はスムーズに進めることができたといいます。

試験醸造の様子

試験醸造の様子

「細かい知識は、杜氏の坂口さんにひとつひとつ教えていただきました。ただ、私をはじめ、日本酒チームは学生時代に生物学を専攻していたメンバーばかりなんですよ。日本酒は微生物の世界ですから、まったくの畑違いというわけではなく、学んだ知識を日本酒の研究でも活かすことができています」(酒井さん)

現在、日本酒チームは全4名。それぞれが担当している寒天の開発と並行して、坂口さんからの分析依頼を進めたり、試験醸造を行ったりと、積極的に日本酒の研究にも取り組んでいます。

酵母の選抜を経て、世界で評価される酒へ

研究開発部が進めてきた取り組みで大きかったのが、長野県の研究機関である長野県工業技術総合センターが開発した、カプロン酸エチル(吟醸香の成分)の生成能力が高い「長野D酵母」に関する研究です。

当時、米澤酒造では、米・水・酵母のすべてが長野産である"オール長野"の純米吟醸酒を造ろうとしていました。そこで使うことを決めたのが「長野D酵母」。しかし、なかなかに扱いが難しい酵母だったのだそうです。

米澤酒造 杜氏・坂口俊弥さん

米澤酒造 杜氏・坂口俊弥さん

「とても繊細な酵母なので、いつもの造りではうまくいかなかったんです。あれこれ試しても失敗続きで、『もうこの酵母は使いたくない』と思ったときもありました」(坂口さん)

長野県としても、その扱いの難しさを感じていたそうですが、さらなる試験や改良を行うには手が足りていなかったといいます。そこで、伊那食品工業はより米澤酒造の造りに合った個体を見つけるために、長野県の許可を得て、「長野D酵母」の選抜を始めることにしました。

「県から提供してもらった『長野D酵母』を培養してみると、菌体の大小など、さまざまなタイプが出てくるんです。どれが優れた酵母なのかは、実際に造ってみないとわかりません。培養した酵母を使って仕込んでもらい、その結果を聞いて、少しずつ造りの特徴をつかんでいきながら、優良な個体を選抜していきました」(酒井さん)

「吟醸造りは低温で仕込むのが一般的です。でも、この酵母は低温だと弱ってしまう。常識はずれではありますが、高めの温度で造ったほうがうまくいくんです。酒井さんたちのおかげで、だんだんと扱い方がわかってきましたね」(坂口さん)

「年輪」と「今錦」

「今錦 純米吟醸」(右)

こうして選抜を重ねた「長野D酵母」で醸した"オール長野"の「今錦 純米吟醸」は、国際的な日本酒コンクール「SAKE selection 2018」のトロフィー(プラチナ賞の中の最優秀賞)をはじめ、「全国燗酒コンテスト2021」でも金賞を受賞するなど、国内外で高い評価を受けています。

「長野D酵母」の研究を始めてから約5年。現在、選抜は最終段階に入っているのだそう。選抜を終えた「長野D酵母」を使用することで、今後のさらなる酒質の安定化が期待されています。

相談相手がいることが、大きな支えになる

さまざまな分析機器がずらりと並ぶ研究室。これほどの規模の研究施設を持っている酒蔵は、業界全体を見てもそう多くはありません。研究開発部とともに酒造りを進めることができるメリットについて、あらためて坂口さんに伺いました。

伊那食品工業の研究室

「造りの中で、ちょっとした疑問が出てくるんです。例えば、『今回はちょっと醪日数が長かったけど、原因は何だろう』とか。その時点では造りに大きく影響することではなくても、私としては気になるし、もしかすると来年には大きな問題になってしまうかもしれない。どうしても造りで手一杯になってしまうので、そういう疑問を研究チームに相談して、ひとつずつ解決してもらえるのは本当にありがたいです。

あとは、純粋に『相談相手がいる』というだけでも支えになりますね。酒造りって、蔵に閉じこもりがちになりますから。酒井さんをはじめ、伊那食品工業のみなさんはプロフェッショナルばかりで、話していると本当に刺激になるんです。酒井さんとは仕事上の会話だけでなく趣味の話もしますし、それも気分転換になっていて、新しいアイディアにつながることもありますよ」

米澤酒造 杜氏・坂口俊弥さんと、伊那食品工業 研究開発部・酒井武彦さん

そんな坂口さんの言葉に「いつでも相談してください」と答える酒井さんは、研究チームとして感じている役割について、次のように話してくれました。

「私たちの役割は、米澤酒造の酒造りに"遊び"を加えることだと思っています。坂口さんは、引き継がれてきた米澤酒造の味を守る。私たちは、そこに新しいものを加えていきたいんです。変わらない味がありつつ、時にはワクワクするようなアイディアを組み込むことができれば、長く愛される蔵になるのではないでしょうか」

伊那食品工業の外観

さらに、両者が手を取り合うことで、伊那食品工業にも大きなメリットがあると酒井さんは話を続けます。

「伊那食品工業は、『永続』という価値観を最も大切にしています。これは、社員とお客様の幸せのために、急成長ではなく永続的な安定成長を目指して、会社を永く続けていくというもの。米澤酒造が持つ発酵技術は、この『永続』と重なります。日本人と発酵食品は切っても切れない関係なので、私たちにとっては大きな価値があるんです。お互いの技術を活かして、長くお客様の生活を豊かにできるような食品開発につなげられたら嬉しいですね」

グループ会社だからこそできる連携を

最後に、これから取り組んでいきたいことについて、おふたりに伺いました。

「酒米って、まだまだわからないことだらけなんです。現在、グループ会社の『ぱぱな農園』さんと中川村の棚田で米作りをしていますが、同じ村の田んぼでも農家さんによって米の性質が違うので、どこに要因があるのかを細かく分析できたら面白いですね。グループ会社だからこそ、うまく連携をとって、より良い酒造りにつなげたいと思っています」(坂口さん)

「斜陽産業と言われることが多い日本酒ですが、これは寒天も同じです。それでも、伊那食品工業では洋菓子やゼリー、化粧品まで用途を広げて、寒天の需要を拡大させてきました。この流れを日本酒でも再現できたら嬉しいですね。まだ日本酒に馴染みがないような方でも気軽に手に取れるような商品をつくって、間口を広げる。お互いの魅力を掛け合わせれば、きっとできるはずです」(酒井さん)

米澤酒造 杜氏・坂口俊弥さんと、伊那食品工業 研究開発部・酒井武彦さん

仕事のことも趣味のことも、話が尽きないおふたり。データに基づいての酒造りを可能にした研究力はもちろん、意見を出し合いながら二人三脚で歩むことができるという信頼関係もまた、今後の米澤酒造を力強く支えてくれるに違いありません。

両者が手を取り合うことによって、いったいどんな商品が生まれていくのか。これからの活躍がますます楽しみになる、そんな期待感を与えてくれる取材でした。

(取材・文:藪内久美子/編集:SAKETIMES)

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